お盆の帰省から盛岡に戻るたびに、「あ~今年もいけなかった」と思っていました。
どこかというと・・・・
国史跡・関城跡。
実家から一番近い国史跡にもかかわらず、行ったことがなく、帰省のたびに「今年こそ行こう」と思いつつも、暑さに負けて脚が向きませんでした。
が、今年は一念発起(←おおげさ)して行って来ました。
土塁跡 坑道跡
土塁や城攻めのための坑道が残っていて、遠く離れた南北朝の対立の激しさを物語っているのでしょうが、やはり関城跡を国史跡たらしめているのは、北畠親房が、日本を代表する歴史書『神皇正統記』をここで完成させたということでしょう。
近くて遠い史跡にやっと行けて、長年の宿題をやっと片付けた気分でした。
どこかというと・・・・
国史跡・関城跡。
実家から一番近い国史跡にもかかわらず、行ったことがなく、帰省のたびに「今年こそ行こう」と思いつつも、暑さに負けて脚が向きませんでした。
が、今年は一念発起(←おおげさ)して行って来ました。
土塁跡 坑道跡
土塁や城攻めのための坑道が残っていて、遠く離れた南北朝の対立の激しさを物語っているのでしょうが、やはり関城跡を国史跡たらしめているのは、北畠親房が、日本を代表する歴史書『神皇正統記』をここで完成させたということでしょう。
近くて遠い史跡にやっと行けて、長年の宿題をやっと片付けた気分でした。