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三島由紀夫「金閣寺」を読んでの感想

三島由紀夫「金閣寺」を読んでの感想です。
NHKの100分で名著を見てから読んだのですが、よく分からない所も多かったです。
でも僕と共通していると感じる所もありました。
主人公溝口は最終的に「金閣寺」を放火してしまうのだけど、そこに行くまでの葛藤が書かれている。
その中で溝口はずっとモノローグ、一人で考えて一人で対話している。
何人かの出会った人と対話を試みているけれど、最後は一人。他の人との対話を活かせられなかった。

それと溝口は屈折した性への思いがあるように感じました。そこが僕にも共通しているような分かるようにも思いました。
そして認識と行為についてずっと考えていた。
「南泉斬猫」という話。金閣寺の弟子の坊さんの一人が頭の上に靴を乗せて部屋を出た話。
認識を変えれば行為をしなくても済むのでは?
敗戦後、日本が天皇陛下を象徴として天皇制を維持したように考えられれば。
でも溝口は金閣寺をこころの中で燃やすことだけでは収まらず実際に燃やしてしまった。

三島由紀夫自身もこの「金閣寺」を書きながら認識を変えて戦後の価値観の変貌に対応しようとして来たのかなと僕は思います。
でも最終的に三島由紀夫は自衛隊で自決して死んでしまった。
考えれば僕もどうにもならない現実を自分の考え方を変えることでいわゆる妥協して来たことも多いです。
行為をしてはいけないというのではないけれど認識を変えて折り合いをつけていかれればこの世の中で生きていけるのだろうなと僕は思います。
そしてその認識を変えるには一人のモノローグでは変えにくい。他の相手と対話が出来れば認識を変えられる。
僕もこころある人たちとの付き合いで、つらいことを話して楽しいことも共有して対話をさせてもらえたのだなと思い出します。

僕はずっと三島由紀夫は現実との折り合いをつけようとあがいて来たのだと思います。
この「金閣寺」で書きながら必死に考えて認識を考えていたのだと思います。ある意味自分に正直な人だったのかなと思います。
何も分かっていないのかも知れませんが僕は何か三島由紀夫に共感するところがあると感じます。
まあ「金閣寺」も難しくて部分的に分かる所だけで読みましたが、屈折した感情が僕にもあるなと思いました。
ただ「金閣寺」は難しかったので三島由紀夫の恋愛小説がいいと話してもらったのでそちらをまずは読んでみます。
僕にとって三島由紀夫は何か僕に深く考えさせてくれる人かもしれないと思っています。
そして僕が今行っている居場所も認識を変えられれば居心地の良い場になるのかなと考えています。
いろいろな人がその場に来る。温室栽培でなくて露地栽培の方がたくましく実りの多い生活が出来るかもしれない。
僕の認識は今、そういう所です。
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