今日もお日様にお目にかかれなかった。
あれだけ、暑い暑いと騒いでいたのに・・ちょっぴりお日様が恋しくなってたりする。困ったもんだ。
kおばちゃんの通勤で利用する線に新しいホームを作っている駅があるのだが・・あれはあそこの駅どまりというのが出来るのかな??だってその先の線路が見当たらない・・
○7月4日(水)
kおばちゃんの辿り着いたのはポン・デュ・ガールPont du Gardというフランス南部・ガール県のガルドン川に架かる水道橋。これも古代ローマ遺跡。もちろん世界遺産!
紀元前19年頃にアウグストゥスAugustus帝の腹心であり義理の息子のアグリッパMarcus Vipsanius Agrippaによって架けられたらしい。このアグリッパの胸像は美術のデッサンに良く使われ・・ある意味では有名人?
ガルドンGardon川は ガール川Gardとも呼ばれたのでポン・デュ・ガールは『ガール川の橋』という意味でしょうね。3層の水道橋で、ニームNîmesへの導水路として使われていたとか。ニームには美味しい水がなかったのでユゼスUzèsの泉から全長は50kmでわざわざ水を引く為に作れたとか。しかも高低差は17メートルしかないので、1kmあたり34cmの勾配つまり、およそ3千分の1というわずかな勾配にしかならない!ごく最近まで自動車も通行する現役の橋だったそうだ。
橋の高さは3層で49メートル。一番下の層は幅6.3メートル、高さ21.8メートル、長さ142メートル。6つの大きなアーチり、3層目は幅3メートル、長さ275メートルで、35のアーチがかかっている。 石組みの石は一番大きなは6トンもある巨石で、近くの石切り場から持って来たとか。
2層目は狭くて人は通れないほらね!
現在3層目はガイディングツアーを現地で申し込んで渡ることができるそうだが・・
普段は通れません!!どうも3層目に導水管が設置されていたらしい。
3層目はこんなとこを通りこんな穴に続き穴倉をとおり・・このあとはウネウネうねうねといろは坂状態で曲がりくねりながらニームの町まで続いていたとか・・だって 24kmしか道路で距離がないんだもん。ユゼスUzèsとニームNîmesの距離は。
ここは行政的にはプロバンスにはいらないみたいだが、kおばちゃん何時の頃からか『見てみたい』と思っていたのだ。だからせっかく南仏に行くのだったら、是非見てみた方目的地!!だから、アルル近郊のゴッホの『跳ね橋』をけっても見たかったのだ・・どうせあれは複製だし・・
ここにきてこのトンネルの脇にかかっているプレートが気になった。
これ反対川の端の袂にも
こんなプレートがかかっており、どうも、『1800年代』の年号さらにナポレオン3世の文字が・・kおばちゃんおフランス語はまったくダメだし・・例によって帰国してから調べてみたら・・
この橋、中世から18世紀にかけては通行する『橋』として整備され、一番下の層は1743 年に道路として拡張されたとか・・そして、その後大々的に『修復』されたようだ。
このナポレオン3世:ナポレオン・ボナパルトの弟であるルイ・ボナパルトと、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの連れ子であったオルタンス・ド・ボアルネの三男(シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトCharles Louis-Napoléon Bonaparte, 1808年4月20日 - 1873年1月9日)は1852年 - 1870年しか在位しなかったようだが、この事業には名前をのこしているのね、なんて思ったkおばちゃんです。
それにしてもこの川は橋の下流方向は浅瀬で泳げるようだが
上流方向は曲がりくねって流れがはやそう。
そして橋の上には観光客がいっぱい・・・でございましたです。
あれだけ、暑い暑いと騒いでいたのに・・ちょっぴりお日様が恋しくなってたりする。困ったもんだ。
kおばちゃんの通勤で利用する線に新しいホームを作っている駅があるのだが・・あれはあそこの駅どまりというのが出来るのかな??だってその先の線路が見当たらない・・
○7月4日(水)
kおばちゃんの辿り着いたのはポン・デュ・ガールPont du Gardというフランス南部・ガール県のガルドン川に架かる水道橋。これも古代ローマ遺跡。もちろん世界遺産!
紀元前19年頃にアウグストゥスAugustus帝の腹心であり義理の息子のアグリッパMarcus Vipsanius Agrippaによって架けられたらしい。このアグリッパの胸像は美術のデッサンに良く使われ・・ある意味では有名人?
ガルドンGardon川は ガール川Gardとも呼ばれたのでポン・デュ・ガールは『ガール川の橋』という意味でしょうね。3層の水道橋で、ニームNîmesへの導水路として使われていたとか。ニームには美味しい水がなかったのでユゼスUzèsの泉から全長は50kmでわざわざ水を引く為に作れたとか。しかも高低差は17メートルしかないので、1kmあたり34cmの勾配つまり、およそ3千分の1というわずかな勾配にしかならない!ごく最近まで自動車も通行する現役の橋だったそうだ。
橋の高さは3層で49メートル。一番下の層は幅6.3メートル、高さ21.8メートル、長さ142メートル。6つの大きなアーチり、3層目は幅3メートル、長さ275メートルで、35のアーチがかかっている。 石組みの石は一番大きなは6トンもある巨石で、近くの石切り場から持って来たとか。
2層目は狭くて人は通れないほらね!
現在3層目はガイディングツアーを現地で申し込んで渡ることができるそうだが・・
普段は通れません!!どうも3層目に導水管が設置されていたらしい。
3層目はこんなとこを通りこんな穴に続き穴倉をとおり・・このあとはウネウネうねうねといろは坂状態で曲がりくねりながらニームの町まで続いていたとか・・だって 24kmしか道路で距離がないんだもん。ユゼスUzèsとニームNîmesの距離は。
ここは行政的にはプロバンスにはいらないみたいだが、kおばちゃん何時の頃からか『見てみたい』と思っていたのだ。だからせっかく南仏に行くのだったら、是非見てみた方目的地!!だから、アルル近郊のゴッホの『跳ね橋』をけっても見たかったのだ・・どうせあれは複製だし・・
ここにきてこのトンネルの脇にかかっているプレートが気になった。
これ反対川の端の袂にも
こんなプレートがかかっており、どうも、『1800年代』の年号さらにナポレオン3世の文字が・・kおばちゃんおフランス語はまったくダメだし・・例によって帰国してから調べてみたら・・
この橋、中世から18世紀にかけては通行する『橋』として整備され、一番下の層は1743 年に道路として拡張されたとか・・そして、その後大々的に『修復』されたようだ。
このナポレオン3世:ナポレオン・ボナパルトの弟であるルイ・ボナパルトと、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの連れ子であったオルタンス・ド・ボアルネの三男(シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトCharles Louis-Napoléon Bonaparte, 1808年4月20日 - 1873年1月9日)は1852年 - 1870年しか在位しなかったようだが、この事業には名前をのこしているのね、なんて思ったkおばちゃんです。
それにしてもこの川は橋の下流方向は浅瀬で泳げるようだが
上流方向は曲がりくねって流れがはやそう。
そして橋の上には観光客がいっぱい・・・でございましたです。