土・日はあるイベントのお手伝いでドサ周り。でも、楽しかった!
お宿は山奥の温泉!そこへ辿り着くまでバスで移動だったけど、対抗車がきたら如何なったのかしらね。
静かなお宿は全館貸切。風情のある緑が美しゅうございました。
イベントの方は、出演者のほうが観客よりは絶対多いだろうな・・と思うような感じ。
でも主催者の方が一生懸命なのが伝わって着て・・なんだかこっちもエンジンが・・かかりそうで醒めた自分もいたりしてちょっと反省。
帰りのバスの中でのお仲間との会話。1000円高速じゃなくなったら、こんなに空くなんて、あの1000円高速はなんだったんだろうね?と。移動しなくても良い人達がわざわざ移動してCO2の発生が増えただけ?
みんな走りやすくなったと喜んでましたね。
それにしても、飲みすぎたし・・疲れた!
○4月28日(木)
シュヴェッツィンゲンSchwetzingenの王宮庭園に入ったkおばちゃん。お借りした入場券はこんなものです。
とりあえずは、噴水の見えるほうが中心でしょうからそちらに進みましょう。
途中で噴水よりも、その右側にある建物が気になったので方向転換!
あら、この建物は直線ではありません。弧を描いてますね。これが宮殿でしょうかね。
建物の内部は一部公開されていました。そこにはこの宮殿の歴史が展示されているようでした。
シュヴェッツィンゲンSchwetzingenの宮殿は1350年にライン宮中伯ルドルフ2世ルドルフ2世 (ライン宮中伯)Rudolf II. (Pfalz)の時に初めて記録がのこっているとか。
その後、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムとその後継者によって再建されていったとか。
カール3世フィリップ (プファルツ選帝侯)Karl III. Philipp (Pfalz)の時代1720年に、ハイデルベルグからの一時避難用の館として再建。
その外孫エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ=ズルツバッハElisabeth Auguste von Pfalz-Sulzbachの夫カール4世フィリップ・テオドールKarl IV. Philipp Theodorが後を継ぎ増築。
1742年からは夏の宮殿として、1750年に城の庭園を含む「新しい都市」の設計がなされ、建設が行われた。1752年には城内劇場がオープンしたそうです。
その当時の装飾でしょうか?
いくつかあります。
これはどこかの噴水にでもつかわれていたのでしょうか?
宮殿の敷地全体は冒頭の画像もそうですが、こんな感じです。
で、kおばちゃんの泊まっていたのは上画像の上部の並木の向こう側でです。
そしてこの宮殿のたてものは真中にある円形の部分の左側に円の外周にそって建てられている部分です。
この庭園の部分も含む円形のはNicolas de Pigage(1723年8月3日~1796年7月30日)というフランス人の手になるもののようです。
こちらが、この宮殿の要の部分にあたる建物もです。この建物の右側と左側にシンメトリーに建物が円形に配置されています。
この中央の建物の部分が現在は外部から入る入り口になっています。
kおばちゃんのように年間パスをもっていないお客さんはここから入場料を支払って入ります。
そしてこの入り口の正面にはkおばちゃんが昨晩夕食をもとめて彷徨った、広場が広がっています。
建物の端から見えるとこのように弧を描いて建てものは連なっているいのよくわかります。
建物を背に、館の中心の出入り口から中を眺めると・・こんな景色です。
さてお庭の方もまわっていましょうかね。
※補足
町の名前のSchwetzingenですが、『シュヴェッツィンゲン』と言うのと『シュヴェツィンゲン』というのを見かけます。
で、ドイツ観光局が使っているのは『シュヴェッツィンゲン』ですので、そちらにあわせようとおもいます。ご理解の程よろしお願いします。
お宿は山奥の温泉!そこへ辿り着くまでバスで移動だったけど、対抗車がきたら如何なったのかしらね。
静かなお宿は全館貸切。風情のある緑が美しゅうございました。
イベントの方は、出演者のほうが観客よりは絶対多いだろうな・・と思うような感じ。
でも主催者の方が一生懸命なのが伝わって着て・・なんだかこっちもエンジンが・・かかりそうで醒めた自分もいたりしてちょっと反省。
帰りのバスの中でのお仲間との会話。1000円高速じゃなくなったら、こんなに空くなんて、あの1000円高速はなんだったんだろうね?と。移動しなくても良い人達がわざわざ移動してCO2の発生が増えただけ?
みんな走りやすくなったと喜んでましたね。
それにしても、飲みすぎたし・・疲れた!
○4月28日(木)
シュヴェッツィンゲンSchwetzingenの王宮庭園に入ったkおばちゃん。お借りした入場券はこんなものです。
とりあえずは、噴水の見えるほうが中心でしょうからそちらに進みましょう。
途中で噴水よりも、その右側にある建物が気になったので方向転換!
あら、この建物は直線ではありません。弧を描いてますね。これが宮殿でしょうかね。
建物の内部は一部公開されていました。そこにはこの宮殿の歴史が展示されているようでした。
シュヴェッツィンゲンSchwetzingenの宮殿は1350年にライン宮中伯ルドルフ2世ルドルフ2世 (ライン宮中伯)Rudolf II. (Pfalz)の時に初めて記録がのこっているとか。
その後、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムとその後継者によって再建されていったとか。
カール3世フィリップ (プファルツ選帝侯)Karl III. Philipp (Pfalz)の時代1720年に、ハイデルベルグからの一時避難用の館として再建。
その外孫エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ=ズルツバッハElisabeth Auguste von Pfalz-Sulzbachの夫カール4世フィリップ・テオドールKarl IV. Philipp Theodorが後を継ぎ増築。
1742年からは夏の宮殿として、1750年に城の庭園を含む「新しい都市」の設計がなされ、建設が行われた。1752年には城内劇場がオープンしたそうです。
その当時の装飾でしょうか?
いくつかあります。
これはどこかの噴水にでもつかわれていたのでしょうか?
宮殿の敷地全体は冒頭の画像もそうですが、こんな感じです。
で、kおばちゃんの泊まっていたのは上画像の上部の並木の向こう側でです。
そしてこの宮殿のたてものは真中にある円形の部分の左側に円の外周にそって建てられている部分です。
この庭園の部分も含む円形のはNicolas de Pigage(1723年8月3日~1796年7月30日)というフランス人の手になるもののようです。
こちらが、この宮殿の要の部分にあたる建物もです。この建物の右側と左側にシンメトリーに建物が円形に配置されています。
この中央の建物の部分が現在は外部から入る入り口になっています。
kおばちゃんのように年間パスをもっていないお客さんはここから入場料を支払って入ります。
そしてこの入り口の正面にはkおばちゃんが昨晩夕食をもとめて彷徨った、広場が広がっています。
建物の端から見えるとこのように弧を描いて建てものは連なっているいのよくわかります。
建物を背に、館の中心の出入り口から中を眺めると・・こんな景色です。
さてお庭の方もまわっていましょうかね。
※補足
町の名前のSchwetzingenですが、『シュヴェッツィンゲン』と言うのと『シュヴェツィンゲン』というのを見かけます。
で、ドイツ観光局が使っているのは『シュヴェッツィンゲン』ですので、そちらにあわせようとおもいます。ご理解の程よろしお願いします。