明日はまたお休み!!嬉しいかぎり。
ただし、ご予定は朝からあるのでゆっくりは出来ませんけどね。
ドイツでおきた鉄道事故。原因はどうも人為的らしいということだけれども、どんなに技術が発達しても最後は人間ね。
あの事故を起こした鉄道については2013年12月10日のグリニッケー橋の時に書いていたので、ちょっと複雑な思い。
実は先日もこの地方に出かけていただけにね。
ドイツでも日本と同様地方分離が進み、鉄道もいろいろな形態がでてきているみたいで、以前利用した鉄道のLCCも既に撤退してしまっていて、今回は高速バスを利用したりもしました。
さて、その部分はいつ手をつけることができるのやら・・・
○2014年10月10日(金)
シュパンダウ城塞Zitadelle Spandauをまだぷらぷらしているkおばちゃん。
建物や構造物はかなり修復されています。
こんな劇場のようなものもあります。
また、このような武器、武具の展示をしている建物もあります。
城塞は武器庫として活用され、さらに武器の鋳造もされていた・・ようですね。
そのようなシュパンダウの歴史はこちらの建物のなかで垣間見ることができました。
シュパンダウの活躍した時代、それは戦いの時代でもあったのでしょう。
1920年にベルリンの市内に併合されるまでは、シュパンダウは独立した自治のある町だったようです。
そして、中世から近世までは『手工業』の町として発展していたようです。
またハーフェル川Havelを使った物流の拠点として、この町は発展して言ったようです。
16世紀に城塞が築かれると、軍事の拠点としても発達し、プロセインの銃の鋳造所となっていたようです。
MG08重機関銃などはここで作られたからでしょう。シュパンダウ機関銃とも呼ばれているようです。
その他、工業製品、電化製品の町としても発展していくようです。
それらの製品の流通のため、鉄路そして道路の要のまちとしてさらに発展していった・・ということだとおもいます。
そしてなによりもkおばちゃんがびっくりしたのは、第2次大戦後の冷戦の時代のこの町の産業です。
それは、映画産業だったんですって。
ホロコーストを生き延びたユダヤ系ポーランド人アルトゥール・ブラウナー Artur Braunerによって設立されたCCC-Filmという映画会社が本拠地をこのシュパンダウの城塞においたそうです。
軍需産業のまちから映画産業の町へと変貌したのです。
その作品はイロイロ
マカロニウエスタン・・ならぬインデアンものまであったそうです。
1950年から約500の映画がここで撮影されたとか。
さらに、現在ではこの町のスタジオでTVドラマ、特にソープオペラと呼ばれる日本で言えばメロドラマはつくられ続けているようです。
びっくりのシュパンダウの町の歴史ですね。
さて、そろそろ他の場所にも行ってみようかしらね。
ただし、ご予定は朝からあるのでゆっくりは出来ませんけどね。
ドイツでおきた鉄道事故。原因はどうも人為的らしいということだけれども、どんなに技術が発達しても最後は人間ね。
あの事故を起こした鉄道については2013年12月10日のグリニッケー橋の時に書いていたので、ちょっと複雑な思い。
実は先日もこの地方に出かけていただけにね。
ドイツでも日本と同様地方分離が進み、鉄道もいろいろな形態がでてきているみたいで、以前利用した鉄道のLCCも既に撤退してしまっていて、今回は高速バスを利用したりもしました。
さて、その部分はいつ手をつけることができるのやら・・・
○2014年10月10日(金)
シュパンダウ城塞Zitadelle Spandauをまだぷらぷらしているkおばちゃん。
建物や構造物はかなり修復されています。
こんな劇場のようなものもあります。
また、このような武器、武具の展示をしている建物もあります。
城塞は武器庫として活用され、さらに武器の鋳造もされていた・・ようですね。
そのようなシュパンダウの歴史はこちらの建物のなかで垣間見ることができました。
シュパンダウの活躍した時代、それは戦いの時代でもあったのでしょう。
1920年にベルリンの市内に併合されるまでは、シュパンダウは独立した自治のある町だったようです。
そして、中世から近世までは『手工業』の町として発展していたようです。
またハーフェル川Havelを使った物流の拠点として、この町は発展して言ったようです。
16世紀に城塞が築かれると、軍事の拠点としても発達し、プロセインの銃の鋳造所となっていたようです。
MG08重機関銃などはここで作られたからでしょう。シュパンダウ機関銃とも呼ばれているようです。
その他、工業製品、電化製品の町としても発展していくようです。
それらの製品の流通のため、鉄路そして道路の要のまちとしてさらに発展していった・・ということだとおもいます。
そしてなによりもkおばちゃんがびっくりしたのは、第2次大戦後の冷戦の時代のこの町の産業です。
それは、映画産業だったんですって。
ホロコーストを生き延びたユダヤ系ポーランド人アルトゥール・ブラウナー Artur Braunerによって設立されたCCC-Filmという映画会社が本拠地をこのシュパンダウの城塞においたそうです。
軍需産業のまちから映画産業の町へと変貌したのです。
その作品はイロイロ
マカロニウエスタン・・ならぬインデアンものまであったそうです。
1950年から約500の映画がここで撮影されたとか。
さらに、現在ではこの町のスタジオでTVドラマ、特にソープオペラと呼ばれる日本で言えばメロドラマはつくられ続けているようです。
びっくりのシュパンダウの町の歴史ですね。
さて、そろそろ他の場所にも行ってみようかしらね。