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昨日、どなたかが、私ブログのツールバーからお買い求め下さったはさみです。
有難うございます。
私は黒ですが、白もお洒落で素敵ですね。
軽くて、切れ味は抜群です。
使用者の評価も満点のようです。
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日陰でも育てられ、とても扱いやすい観葉植物です。心からお薦めできる一品です。
R君はじめ他の孫達とのおじいちゃんとの蜜月は
言葉ではいい尽くせない良き時代でした。
前からあったこの便箋で書きました。
娘達が案内してくれた京都の鳩居堂の本店が懐かしいです。
ひと月、記事の更新をお休みしてしまいました。
その間も、頭の体操と思い、記事は書き続けていました。
三月、弥生の月を迎えると、いよいよ春が間近。
そんな気持ちになり、心が弾みます。
まずはひな祭り。
そのはずですが、今年はひな壇を我が家は飾りませんでした。
受験生を抱えた娘にお願いするのは、さすがにためらわれたからです。
重たいスチールの段飾りを、二階の納戸から運ぶのは、私ではとても無理。
Yさんが元気な時は、夫の役目でした。
箱の中で、お雛様がすすり泣いているようで、少々心苦しいいのでが・・・。
今年は止むを得ません。
お雛様の代わりになるような、孫の晴れやかな卒業写真を、娘がラインで送ってくれました。
それで、今年は十分です。
その上、何と、上で紹介した卒業式の映像を、私はスマホのライブで見る事が出来たのです。
でも、スマホの操作が単純な事しかできない私には、音声の出し方が分からなくて・・・。
更に残念なことに、卒業証書授与が終わった所で、突然切れてしまいました。
私は男子校に縁のない人生でしたが・・・・
写真を見て、その爽やかな清々しさと凛々しさに、心打たれました。
まだ若いのに、頼もしそう。
これからの日本を背負って立つ皆さんに、とても期待しています。
K君、卒業、本当におめでとう。
孫の卒業式を皮切りに、三月は、色々楽しいイベントが私の身には控えています。
友人とのお食事会。
夫のお墓参りで、久しぶりに郷里に帰省予定でもいます。
3月の終わりには、長女家、次女家とのホテルでの会食もあります。。
20歳のお誕生日を迎える桜ちゃんとK君の卒業、4月3日に80歳の傘寿を迎える私のお祝いの会を長女家が開いてくれるようです
今からとても楽しみにしていますが、老いた身には、少々多すぎるイベント。
元気にやり通せるでしょうか。
まずは帰広の旅行が少々気がかり。
長女には、私が付き添わなくて大丈夫?と言われましたが・・・。
今はまだ去年の秋からの良好な体調が続いていますから。何とかなりそう。
次女に、新幹線の切符の入手と、ホテルの手配はお願いしましょう。
これらの大きなイベントを元気に乗り切る事が三月の一番の課題。
そのためにも、他では無理をせず、健康維持に努めたいと思っています。
孫の大学入試における結果を、ブログにいちいち書くのは如何なものでしょうか。
そう思い、少々ためらわれるのですが・・・。
私にとっては個人日記に過ぎないブログ。
ですから、嬉しい事はやはり書き留めておきたい。
そう思いました。
その上、この度合格した学部は、私には忘れられない苦い思い出がありますから。
そのエピソードもご紹介することに致します。
K君のママが使用した学習机です。
上に載っているのは大学の卒業アルバムです。
2月14日の朝、次女からまた嬉しい知らせがラインで届けられました。
早稲田の政経にも、共通テストの結果だけで合格できた、と。
さすがに驚き、もしかすると満点だったのかしら、とさえ思いました。
今は、どうか分かりませんが・・・。
長女が受験した頃は、私立大学で一番難しい学部は、早稲田の政経と言われていましたから。
その頃は、共通テストだけで合格が決まるといった制度は、もちろんありませんでした。
二学部共に、本試験を受けないで合格とは(^^♪、
K君にとっては、とてもラッキーな事でしょう。
しかし、基礎学力と応用学力は別物。
でも私は今の結果だけで、もう十分です。
長女の学習机
インテリア重視で私が選びました。Mちゃんは、座り心地は余り良くなかったのでは?
こんな小さな机で、よく頑張ってくれました。
さて話題を一転、長女の受験の時にまで遡ります。
もう数十年前になります。
私が、私立や国立の願書の受け付けのため、郵便局に出かけたのは。
Mちゃんはいつも通り学校に。
忘れもしません。
その日は湾岸戦争が勃発した日でした。
多国籍軍が一斉にイラクを攻撃。
空爆の閃光がまるで花火の様に夜空を染め、空中ショーを見ているようでした
その下では逃げ惑う民衆が大勢いたに違いありません。
本当に愚かな戦争でした。
その後から、世界の世相が次第に険悪になっていきましたものね。
そんな日に娘の願書を郵便局で提出した私です。
その後、多くの大学の色々な学部を受験しました。
いずれもすべて合格し、確か早稲田の政経の合格発表が最後だったと思います。
その頃の娘は、慶応大学に憧れていたようです。
東大に合格しても、私は慶応に行きたいと言い出し、説得するのに苦労したものです。
ですから、早稲田の政経の合格発表には、全く関心がなかったのかもしれません。
私が一人で、娘の合格発表を見に、早稲田大学に行ききした。
キャンパスを一目見たかったので。
合格者の番号が発表された掲示板の前に到着。
我が子の番号をひたすら追い求め続けた私でしたが・・・。
何度見ても、手元の番号が見当たりません。
さすがに政経は無理だったんだわ。
そう思い、然程落胆もせず、公衆電話から娘にすぐ報告しました。
そして帰宅した私です。
ところが、その私を迎えたMちゃんが、思いがけない事を言い、私はもうびっくり。
「ママ、合格の知らせがきたよ。
私の番号を、ママは見落としたのよ」と。
天然ボケの私は、相変わらずの失態。
報せが無ければ、私のせいで、幻の合格になるところでした。
子供部屋の前に置かれたポスター絵画
今は、掲示板ではなく、発表はすべてインターネットによるものなのでしょうか。
それでも、自分の番号を見つけるのは大変なこと。
私の様に見落とすなんて、そんな愚かな事をする人は、さすがにいないでしょうけれど。
今日は私のとんでもないボケ行動のお話でした。
天然ボケが、本当のボケになる日もそう遠くはない事でしょう。
お立ち寄りくださいましてありがとうございました。
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最近は、記事を書いた日が混乱し、正確に分からなくなってしまいました。
書き溜めたものが結構あるのですけれどね。
どれも不完全で、これから推敲を要する物ばかりです。
書いたのが一月の時もあれば、二月の時もあります。
お休みしていた時に書き溜めた記事の方がまだ多いのですが・・・
最近書いた記事もあります。
今後、新しい記事を書く時は、日付も必ず記すように心がけるつもりです。
暫く順不同ですので、ご了解ください。
梅がほころび始めると、いよいよ春も間近。
そんな心境になれ、心が弾みます。
私は寒さは、特に苦手ですから、なおさら嬉しくて。
もう少しの辛抱と、自分を励まして、ひたすら春を待ち侘びます。
梅の花で、わたしには忘れられない言葉があります。
四年間の大学生活を終え、卒業式の時の総長の祝辞です。
寒風にさらされながらも、凛と咲き続ける梅の花のような女性になって欲しい。
私もまさに理想とする女性像。
そう思い、その言葉に強く感銘を受けたものでした。
残り少ない人生となった今、過去を振り返り、その様な女性でいられたか。
そう思うと、疑問だらけ。
後悔すること、反省することが多くて・・・。
ネットから拝借しました
今からでも遅くありません。
これからは、次第に体も不自由になり、試練の日が多くなることでしょう。
その苦労に打ち克って、梅の花の様に、凛とした姿でいたいものです。
そう言えば、その花に相応しい女性が身近にいました。
母です。
どんな時でも決して姿勢を崩さない、凛とした女性でした。
私には到底まねのできないこと。
母のその姿がこの記事を書きながら思い出されてなりません。
母が亡くなったのも、梅の咲く今の季節。
ご住職様が授けて下さった母への戒名は潤徳院梅薫・・・
この名を初めて目にした時、余りに母に相応しい戒名で、感動したものでした。
母のイメージにぴったりでしたから。
私ももっと年を重ね、もし呆けても、母のような可愛い、それでいて凛とした女性でいつまでも居られるでしょうか。
自信なんてまるでありませんが、少しでも母に近づければ、と願っています。
お立ち寄りくださいましてありがとうございました。
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日本文化は世界に誇れる、素晴らしいものですが、日頃それを感じて過ごすことは余りありません。
海外の人達が目指す観光に、この文化があることは間違いないでしょう。
日本独特のものですから、欧米人の心を捉えて離さないのかもしれません。
先日、親友のKさんが、国技館からLineを届けてくださいました。
お相撲を観戦中との事。
「二階の観覧席からです。
周りは外国人ばかりです」
と書かれていました。
恐らく外国人の観光の通訳をなさっていたのかもしれません。
相撲も、日本の文化を代表するものですね。
大のお相撲ファンの妹の影響もあって、私も、最近はよくテレビで観戦します。
今場所はとても面白かったですね。
kさんが送って下さったラインの画像です
前置きが長くなりましたが、この日本文化で、私には特記すべき嬉しい事があります。
それは、娘達がその文化に親しみ始めたことです
長女は、もう数年前からになりますが、茶道のお稽古を始めています。
テニスの練習も週末しているMちゃん。
仕事も管理職で部下を大勢抱えての活躍振りですのに、趣味も豊富。
凄い。
何事にも消極的な私とは大違いです。
次女もマネージャーの身で、お仕事が大変でしょうに、今は和装に惹かれています。
日本文化というわけではありませんが、刺繍もとても得意で、素晴らしい作品が沢山あります。
一昨年だったと思いますが、たんすの中で長年眠っていた私の着物をごっそり持ち帰りました。
これも次女から届いたラインの画像です。
母の大島紬の着物を始めて自分で着付け、。
送ってくれました。
最近、和装でお出かけした時の事。
友人も一緒で、行き先は歌舞伎座。
その時、何と、NHKの記者の目に留まったようです。
「お着物が似合いとても素敵です」
とお褒めの言葉を与かり、色々とインタビューを受けたとのこと。
何とそれがNHKの夜の7時のニュースで放映されたようです。
着物を着て初めてのお出かけで、街頭インタビューとは。
とても良い記念になったことでしょう。
私も、茶道と華道は、小学校の高学年から中学生に掛けて、数年習っていました。
初釜のお点前をさせられ、手が震える程緊張したことも、今では懐かしい想い出です。
茶道は、大学時代にも京都の先生から指導をしばらく受けました。
そう言えば、二十歳頃、これも母の影響で、日本舞踊も。
妹も茶道と華道は、同様でした。
何事も始めたら最後までやり抜く妹は、確か免許取得まで頑張ったはずです。
母が使用していたお茶道具の一部です。
和室の隅に炉がありました。
私は途中でやめてしまいましたが、茶室の清々しい緊張感は、今も忘れる事はありません。
素晴らしい日本庭園を望みながら習った、華道のお稽古も然りです
お道具や草花を丁寧に扱う作法がわずかでも身に付いたのであれば、嬉しいのですが。
年齢は私より高くなってからですが、今は娘達が、日本独特の文化に親しもうとしている。
それを知り、私は、この上ない喜びをかみしめています。
あなた達に、愛情を限りなく注いでくれたおばあちゃまも、きっと喜ぶに違いありません。
誰よりも母が一番日本文化を学び、身につけた人でしたから。
茶道、華道、お習字、日本舞踊そして短歌も、と。
いずれもかなり上達。
編み物も得意でした
改めて才能豊かで努力の人だった母を敬い、頭が下がります。
母のお習字の作品です。
日本文化は、本当に素晴らしい。
残り少ない人生、もっとこの良さを暮らしに取り入れ、母の様に、風雅な日々を送りたい。
そう願いもしますが、私の性格と今の年齢では、もうとても無理な事でしょう。
せめて娘達は、おばあちゃまを見習い、その道も楽しみ究めてほしいものです。
そう願っています。
お立ち寄りくださいましてありがとうございました。
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下に掲載した商品は私が心からお薦めしたいものです。
宜しければ参考になさって下さい。
私は三個買いました。
どこにでも手軽に置けていいのではないでしょうか。
一昨日、妹に言いました。
被災地は、まだ復旧のめども立たず、とても大変そう。
痛ましい報道を目にするたびに、気持ちが落ち込んで、体調まで悪くなりそう。
でも、私はいつもと変わらない穏やかな日常をブログに綴っている。
これって、皆の顰蹙を買わないかしら、と言いました。
一層の事、しばらくお休みした方がいいのかもしれませんが。
都心に数十分で行ける所に住居を構えている私には、とても他人ごとととは思えません。
いつか我が身と、覚悟しています。
ですから、今はこの穏やかな生活に感謝し、淡々とそれを綴る以外、どうすることもできません。
被災地の皆様には申し訳なく思います。
本当にごめんなさい。
前回の続きに入ります。
もう一つの大きな我が家のお正月のトピックス。
それは、次女家が、新車で我が家を訪れたことです。
実は見たのは、お正月が初めてではありません。
お買い物がてら、スーパーに隣接するマンションの駐車場に年末、見に出かけたことがありました。
電気自動車にも移行しやすいようになっているようです。
ですから、今回が二度目。
見れば見る程、とても素敵。
色合いも形もスタイリッシュで、見惚れてしまう程。
格好いいK君が、無事大学生になり、この車を運転するところをイメージし、私は悦の心境になりました。
妹の話では、マツダの車がスマートな事は、前から評判になってるのよ、とのこと。
それを聞き、とても私は納得できました。
我が家と同じく、次女家は全員カープファン。
そのせいもあったのでしょうか。
前の車は輸入車のフォルクスワーゲンでしたが、結婚当初に購入し、かなり年季が経っているものでした。
新車になって、私が何よりも嬉しかったのは、これからは、突然の故障を気にすることなく安全に運転できることです。
夏休みには、必ず義父母様の蓼科の別荘でバカンスを楽しんでいる次女家ですが。
そこに辿り着くまでの道が、横は断崖絶壁の細い山道。
それゆえ、途中でエンストでも起こしたら大変!と思い、私は心配でたまりませんでした。
ですから、これでわたしも一安心。
本当に良かったです。
ついでに長女家の車もご紹介しますね。
今となっては、信じられないようなことですが、私も60代の前半まで車を運転していました。
車種は、トヨタのプログレでした。
黄味を帯びたクリーム色でした。
運転は下手糞で、娘達に乱暴な運転と言われていました。
ですが、一方では、この一年間の次女家の大出費を思わずにはいられなくて・・・。
かれんちゃんが春に第一志望の私立中学に無事入学。
もしK君も順調に大学入学となると、二人の入学金を納めるだけでも家計の負担は大きい事でしょう。
それなのに、この度新車まで購入。
更にもう一つ、去年の夏、大きな出費が次女家にはありました。
何と、子供部屋とつながり、十六畳くらいの空間があった居間を、壁で仕切るリフォームをしたのです。
私は反対したのですが、かれんに個室を与えたいとの親心は変わりませんでした。
その費用もかなりの物だったはずです。
家計は大丈夫、と少々心配になりますが、私と同じようにデジタル家計簿をしっかり記帳し、家計のやりくりは見事な娘。
30代の中頃に、今のマンションを購入しましたが、コツコツ貯めたのでしょう。
マンションの額の半分くらいの頭金を既に用意していて、腰が抜ける程、私は驚いたものでした。
次女が我が家のお節を小さなお重箱に詰めたところです。
新年の二日目、義父後様宅に伺う時、持参するためです。
お菓子折りは、私からの義父母様宛のお年賀です。
長女にも同様に手渡しました。
私が三十代の頃、貯金なんてあったかしら。
そんな感じでしたから、驚くのは当然。
マンション購入に当たって、娘に言われたことがあります。
ママの株式の失敗が、反面教師に私はなっているわよ。
私は投資には絶対手を付けないでコツコツ貯めただけよ。
それを聞き、私の取り返しのつかない、いくら悔やんでも悔やみきれない失敗が、
娘にとってはいい学習になっている。
そう思い、多少私の気持ちは慰められもしました。
長女が新婚時、マンションを購入した際は、上限まで援助できましたが・・・。
次女の時は、株式で大きな痛手を負い間もなかったので、そうする心の余裕など私は持ち合わせていませんでした。
でもその後、公平にと思い、夫の相続という形で同等の金額を次女にも渡しました。
これ以上の手助けをするつもりは、もう私にはありません。
一応私の希望は伝えてありますので、
私の死後は、その通りにしてもらえれば嬉しいです。
こんな訳で、若夫婦達は、とてもやりくり上手なので、私は心から安心しています。
でも一番大切なのは健康。
食生活に気を配り、家族がみんな健やかな日々を送れるように、精いっぱい努力してほしいです
更にもう一つ言うなら、心を磨くこと。
私は最近、又、稲盛氏の著書「生き方」を読み始めました。
新年にはふさわしい書物ですから。
私は二度目ですが、読み始めたと同時に、心が震えるほどの感動に浸っています。
Kindle版で紹介してしまいましたが、クリックしたサイトに単行本でも紹介されています。
努力を重ね、実り豊かな良い年となるように、家族で共に力を合わせ、今年も頑張りましょう。
にほんブログ村のPVポングのみ、参加しています。
お立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。
トピックスの表現は少々オーバー。
二回の新年の記事で書き忘れただけの事。
いえいえそうではないかもしれません。
私には感動的な出来事でしたから。
その一つは、長女家の愛犬ラッフィーの事。
もう一つは、長い間使用しなかった我が家の暖炉についてです。
今年も、長女家は、家族の一員の愛犬ラッフィーも連れて我が家に来ました。
種類はミニチュアシュナウザーと言い、ドイツ犬のようです。
そのワンちゃんの愛くるしさは、とても言葉では表現できない程。
何て可愛いんでしょう。
その言葉を連発して止まなかった私です。
ワンちゃんのコンクールに出れば、きっと入賞するわよ、とさえ私は言いました。
身びいきにも程がありますね。(笑)
最初の日は、すぐ私にも慣れ、怖がることなくお付き合いしてくれました。
ですから、益々可愛くて、こんなワンちゃんなら私も飼いたい、とさえ思いましたが・・・。
自分のお守りをするだけでも大変な私。
とても無理な事のように思いました。
素敵な写真を撮りたかったのですが、相変わらずカメラの調子が・・・。
いえいえ、私の撮影の腕が悪いだけかも。
甘えるような人懐っこい仕草と、大きな優しい瞳に私は惹かれっ放しだったのですが・・・。
カメラの画像には、それが上手く出ていない。
とても残念です。
人柄がとても温かく優しい事がワンちゃんにも分かるのでしょうか。
K君になつき、抱かれたままで長い間、動こうとしませんでした。
もう一つのトピックスは、我が家の暖炉です。
実は居間に据え付けられた暖炉は、もう十年位、私は全く使用していませんでした。
それには訳があります。
ある年、大型台風が来て、屋根の上の煙突の部品が吹っ飛んで行方不明になったことがあります。
屋根に上ることが出来ない私に、それがどうして分かったのか、今もって不明なのですが・・・。
たしかその後、屋根の洗浄をした際、その水が暖炉の中まで流れ落ちて来て、気が付いたのではなかったでしょうか。
早速修理してもらったのですが・・・。
その依頼先を暖炉専門の業者にすればよかったのに、私は町の工務店にお願いしてしまったのです。
この出来事があって以来、私は暖炉への信用をすっかり失ってしまいました。
火を扱いますので、暖炉の不備で家が火事になったら大変。
そのような心配から、二度と暖炉が使用できなくなってしまいました。
ところが、この度のお正月では、長女婿のHさんが庭木の廃材を持ってきて、暖炉を燃やすと、突然言い出したのです。
私は言いました。
「この暖炉、信用できないの。理由は然々」と。
すると彼はスマホで煙突の中の写真を撮影。
そして言いました。
大丈夫だよ。空が見えてるから、と。
私の不安をよそに、彼は手持ちの廃材で見事に点火。
真っ赤な炎が勢いよく燃え上がり、私には思いがけない事で、大感激。
嘘のような、我が家の暖炉復活でした。
嬉しくて、夢のよう。
炎の温かさは、エアコンとは違い格別のものがあります。
炎の温もりを感じながら、傍でお洗濯ものをたたむことが出来ました。
来年の冬は薪を注文し、もっと暖炉の暮らしを愉しみましょう。
今日の記事はこれで終了といたしますが、もう一つトピックスがありました。
この度のお正月における、一番大きな出来事かもしれません。
この事は次回の記事でお話しさせていただきます。
昨年、夫の菩提寺のご住職様から、お寺出版の歎異抄を戴いたのですが、結構難しくて、
私の頭では十分理解できそうにそうにありませんでした。
それで最近、上の歎異抄を買い求めました・
五木寛之が、孤島に行かなければならなくなり、持ち物は一つだけと言われたなら、それは歎異抄、と言った書物です。
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お立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。
おめでとう何て言っては、何だか申し訳ない。
そんな心境になるほどに、今年の新年の世相は喧騒と不安に満ちたものでした。
ウクライナとロシア、イスラエルとアラブの戦争。
その報道を連日目にするだけでも辛いのに、何と元旦の午後に能登半島方面で大きな地震。
更に二日の午後の羽田空港における、信じられないような航空機事故。
その衝撃的な映像がリアルタイムでわが目に飛び込んできて・・・。
もう私は限界。
次女は、その少し前に帰宅し、私一人の時の事でした。
体が今にも震えそうで堪らず、長女にラインを打ちました
「大地震の上に恐ろしい航空機事故。ママ震えている」と。
地震と航空機事故で亡くなられた方々へのお悔やみと共に、
被災した方々にも、心よりお見舞いを申し上げます
寒空で、恐怖と闘いながらの、停電、断水によるご苦労は、私の想像をはるかに超えるものでしょう。
お見舞いのために掛ける言葉もみつからないほどに、私も辛い心境でいます。
でも、私にはどうすることもできません。
自分の置かれた穏やかな今の境遇を、何だか申し訳なく思いつつ・・・。
気持ちを入れ替え、話題を、我が家のお正月に戻します。
例年と全く同様のお節が、今年も娘達のお蔭で、無事に出来上がりました
娘が二人ですべて盛り付けてくれました。
今年のいつもと違う所は、伊達巻が次女の手作りだったこと。
長女が金柑を煮て持ってきてくれたこと。
えびも生きたクルマエビを調理した模様。
二十品以上のお節料理を準備するだけでも大変な事ですのに、さらに新しい物にチャレンジする娘達の元気と意欲、
私は、只々感心するばかりでした。
28日に仕事納め。
お節の準備は、その翌日からスタートしたとのこと。
余程手順が良いのでしょう。
その様に私が言うと、手順と能率は徹底的に考えて準備する、と娘達が言いました。
そして、いつもと全く変わらないお節が完成。
このマンネリが、我が家の幸せの原点の一つ、と言えるのかもしれません。
家族全員、我が家のお節が大好き。
孫達と大人たちでは囲むテーブルが違いましたが、
お箸でそのお節をつまみ、取り皿に載せる時のとても嬉しそうな表情(^^♪
それを見つめながら、それぞれの孫の成長を思い、私の心は新年のおめでたさで一杯になりました。
その上に、更に嬉しい事が。
昨年、社会人になったR君が、年下の三人の子達にお年玉を手渡してくれたのです。
私は感激して、涙ぐんでしまいました。
お正月のめでたさに浸りながら、祝膳の朝食を無事に終え、娘達と一緒に後片付け。
その後、私が日々習慣にしているお昼寝もして階下に降り、お正月用のお菓子で一服。
今度は夕食の準備です。
たまたま長女のMちゃんと、その準備に取り掛かかりはじめた時の事
長女が突然言いました。
「ママ、地震よ」と。
娘に言われないと気付かない程、微小な揺れでしたが、言われれば確かにそう。
頭上のドライフラワーが揺れていました。
ところが、それは冒頭でも触れたように、想像を超えた大きな地震でした。
日本海側の各県を襲った地震の衝撃的な報道をテレビですぐ知ることに。
夕食のお節
私は体調もすこぶる良好でしたので、今年もきっと良い年になると確信したつもりでしたが・・・。
そんなおめでたさは、どこかに吹っ飛んでしまったかのよう。
娘に、お正月早々、こんな目に遭うなんて、被災した人たちが余りに可哀そう。
と言い続け、悲壮な気持ちになりました。
でもその地震が早かれ遅かれ来るのなら、私はお正月の元旦がいい。
家族が全員揃っているので、運命共同体。
一緒に、その不幸に臨み、挑めるからです。
一人暮らしの私だからこその身勝手な思いでしょう。
恥ずかしいです。
不安な世相で始まった今年のお正月ですが、八十歳の壁が目前の私は、気を取り直して頑張るしかありません。
次回の記事ではお正月のエピソードとして、まだ特記すべき二つの話題がありますので、
そのお話をさせていただきます。
今年は、更新の回数をもっと減らし、ブログに気ままに臨むつもりでいます。
不定期更新ながら、本年もこんな拙ブログに、お付き合いいただければ大変嬉しいです。
皆様にとられましても、実り多いい充実した良い年となりますように。
お互いに、頑張りましょう。
売れ切れでない時以外は、ここ数年間、私はこのカレンダーを使用しています。
写真がとても温かくて、心がほのぼのします。
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お立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。
新年らしくない書き出しですが、せっかく書いたので、このまま投稿します。
新しい年になりました。
まだ床の中です。
集まった家族は、すやすやと眠りの中。
みんな健康で、とても生き生きしていて、それぞれの日々を楽しんでいる様子。
孫のK君は、大学受験が目前で大変だと思うけれど。
親にとって、こんなに嬉しい事はありません。
いつお迎えが来ても言い、そんな覚悟で・・・。
今の幸せを抱きしめて、今年も、一日一日を新たな気持ちで大切に過ごしたい、と思っています
昨年は、インフルエンザの後遺症、酷い倦怠感で、ひと月位辛い思いをしました。
その前も色々あり、体調不良に悩まされた一年でしたが、11月の初め頃から突然元気になりました、
その元気が今も続いています。
体に、どんな変化が起きたのか、知りたいくらいですが。
その理由は未だに分かりません。
そのため、年末の家事も捗り、庭仕事にも時間をかけて精を出すことが出来ました。
買い物に、都心まで数度出かけもしました
この元気が今年はずっと続いてほしい、とひたすら願っていますが・・・。
そう人生は甘くはないでしょう。
4月には80歳になる身。
その日を迎えるにあたって、神様が与えて下さった最後のご褒美。
何のご褒美???
不器用ながら、毎日を悔いのないように大切に過ごしたい、との気持ちは人一倍あったと思うので。
その努力への贈り物。
余りに身勝手な厚かましい表現かもしれませんね。
ごめんなさい。
今年はこの元気が何時まで続くか分からないし、続くはずがない。
そう思っているけれど、一日でも長く今のすこぶる良好な体調を維持したい。
そう願っています。
元気なので、孫達へのお年玉もつい奮発。
但し年末の過ごし方には、少々反省もあります。
準備の段取りが今一つだったようにも。
お節の準備に当たり、娘達が言いました。
今年はママの担当はお煮しめだけでいい。
後は私たちがすべて作るから、と。
この発言には少々驚いた私です。
いつもは、お煮しめ以外に数品私も作っていましたから。
七色なます、鶏の野菜巻きなど。
どれも手がかかるものばかりで、この三品でも、結構大変でした。
量も多いですから。
ですから娘の言葉は渡りに船。
感謝しかない、嬉しい言葉。
楽ができる。
そう思い、ついのんびりし過ぎてしまいました。
一品だけなら、大晦日の午後から作り始めても十分間に合う、と思い。
年末の大掃除と庭の手入れを例年以上に念入りにしました。
この量の数倍作りました。
ところがとんでもない。
刻むお野菜の量が多いですから。
梅型に切る人参の下ごしらえだけでも大変。
里芋をむいて、おめでたい八角に切るのも一苦労。
娘家族が来るまでになんとか煮終えるまでにこぎつけましたが・・・。
毎日、習慣になっているお昼寝もできないまま。
そのため、夕食の頃になると、体調良好な私もさすがにぐったり。
途中で先に入浴させて貰った時は、もう体を洗う元気もなくて、浴槽でうつらうつら。
年末の段取りは、今一つだったと、猛省。
60代になるまでは、すべて一人で作り、お節を準備したことが嘘のようです。
自分が何時になく元気だったことに甘えすぎた、昨年の最後の失敗でした。
今年はお屠蘇が振る舞われる時は、
いつも以上に、
今の元気が今年も続きますようにとの願いを込めて
戴くつもりです。
今から階下に降ります。
まだみんな眠りの中でしょう。
一足先に、私の新しい年への第一歩を踏み出します。
4月にはいよいよ80歳。
まるで未知の世界に突入するかのようですが。
年齢の事は忘れて、少しでも瑞々しい心持で日々を過ごせるように努めたいです。
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お立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。
昨夜はクリスマスイブでした。
皆様は如何お過ごしでしたか。
本来はキリストの生誕を祝う行事。
ですから、クリスマスの日は、教会の礼拝が欠かせない事なのでしょうが・・・。
我が国では、その行事のために教会に通う人たちは、僅かにに過ぎないのでしょう。
私も、海外暮らしをしている時は、教会に必ず出かけていました。
牧師さんとも親しくさせて頂き、今でも思い出すと、とても懐かしいです。
その私が今は、夫の菩提寺のご住職様を慕い、このお寺で眠りたいと思っている。
その時は、娘に両親のお墓も移してもらうようにお願いしています。
母も、私が幼い頃は教会に通っていました。
中上牧師様の事は今でもよく覚えています。
我が家に住み込みでいた居た、女中の和ちゃんが、母とウマが合わず、叱られてばかり。
私は幼いながらも、心を痛めていたところ、中上牧師さまが身寄りのいない和ちゃんを引き取ってくれ、
ほっとしたものでした。
キリスト教と仏教はまるで違う宗教ですが、私はこの違いは、この世だけの事。
国それぞれの風土風俗による違いにすぎず、宇宙の神様はお一人。
そう思っています。
ですから、キリスト教信者だった私が、今はお寺のご住職様をお慕いすることに、然程の違和感はありません。
コロナ禍になってから、まだ一度もお墓参りのための帰省をしていません。
今年は体調不良でそれが叶えられませんでした。
来年の春のお彼岸には、と今から、とても楽しみにしています。
その時は、ご住職様と、今後のことも相談するつもりです。
最初から話が脱線。
クリスマスの話題に戻します。
クリスマスイブの前日の土曜日でしたが、次女宅でささやかなクリスマス料理を愉しみました。
日曜のクリスマスは、義父母様のお宅で祝ったようです。
お二方様共に、敬虔なクリスチャンでいらっしゃいます。
私が下ごしらえした物をMちゃんが盛り付けてくれました。
レシピ サーモンとアボカドのタルタルリース仕立て - 幸せは食卓から 心を込めてお料理 (goo.ne.jp)
娘宅には、私も得意とする料理を一品作り、持参しました。
久し振りに、ねこのキョロちゃんとゆきちゃんにも会えました。
キョロちゃんが腎臓を患い、入院もしたと聞き、びっくり。
今はもうすっかり元気になりましたが、相変わらず不愛想なキョロちゃんです。
ネコちゃんの画像も載せたいのですが、いいショットを撮らせてくれません、
K君は、大学受験が目前。
高校に二年生の秋までは野球部のキャプテン、体育祭で紅組の団長となり大活躍。
その後の秋から受験勉強のスタートをしたKくんです。
一応、両親と同じ国立大学を目ざしてているようだけれど、神様が、K君に一番ふさわしい学校を選んでくださるでしょう。
この思いは、娘達の時から変わらない私です。
ですからどこの大学になっても、私は心から喜ぶつもりです
そう言えば、長女の所の孫息子R君も、G大学の教育学部を卒業し、都立の小学校の先生に。
パパの実業の一社員でもいられるので、恵まれ過ぎた境遇ですが。
心優しくて賢いR君のこと。
きっと一生、子供たちのために、この仕事をやり遂げてくれるに違いありません。
美術も得意で、小学校の4年生の図工の教科書に、R君の作品が掲載されたり、消防署から表彰状を頂いたこともあります。
この様に、才能はとても豊かなのだけれど、気持ちに多少の浮き沈みがあり、孫の中では私は一番気がかりな子でした。
ですから、R君にふさわしい最適なお仕事に就くことが出来、こんなに嬉しい事はありません。
4月から、支援学級のクラスを受け持って頑張っているようです。
本当に良かった!
私が今年、一番嬉しかったことです。
かれんちゃんの志望中学の合格も、同様です♪
振り返ると、今年も本当に良い年でした。
大半は体調不良で私の活動は控えめだったけれど、最後に娘達と旅行をし、思い出深い至福の時を持つこともできましたし。
信じられない程の今の元気は、娘達が授けてくれたものかもしれません。
来年の年賀状には、下記の言葉を添えました。
「昨年は体調を崩すことが多く
娘達の優しさと支えの有難さが身に染みた一年でした」
娘達は私のブログを読んでくれています。
直接は照れくさくて掛けられない言葉、ありがとうを心から何度でも言いたいです。
妹にも同様です。
体調が良いので、ガーデニングも捗っています。
庭の花壇の植え付けも、昨日でほぼ完了しました。
その画像は、新しい年を迎えてから載せる事に致します。
私の来年の目標は、今の元気を維持すること。
それに尽きるかな。
体調が良好だと、気持ちが一層前向きになれて、日々の家事も捗りますから。
新しい年も、ささやかな喜びを抱きしめて、良き日々を過ごしたく願っています。
最後になりましたが、皆様も、どうか良い新年をお迎え下さい。
真っ正直なだけが取り柄の私的なブログですが、
宜しければ、来年もお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
少し早いですが、今日をもって、今年のブログの締めとさせていただきます。
拙いブログにお立ちより下さいました皆様に、心よりお礼を申し上げます。
心を新にし、年明けにまたお会いしましょう。
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お立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。
前述の記事の通り、コロナワクチン接種が11月1日に無事終了。
心からホッとしています。
5月8日以降から、6回目の接種ができるとの通知を手にしていたのですが・・・
その頃、入退院が一度あり、その後も暫く微熱が続き、体調不良のまま、異常な夏の暑さに突入。
ワクチンを打つどころではなくなってしまいました。
確か8月の終わりでしたか、受ける予約を取りましたが、それも体調不良でキャンセル。
いつも副反応がとても強いので、体調が万全でなければ、受ける自信が持てなくて・・・。
今月まで延び延びに。
11月1日の接種は去年の11月26日以来のことです。
この度の予防接種に当たり長女が用意してくれた肉どんを、
冷蔵庫の中の有り合わせで準備し、上の画像のような献立になりました。
温泉卵もMちゃんが用意してくれたものです。
妹に、
「よくもまあ~一年間無事だったわねえ~」
と言われ、自分の運の強さに改めて感謝。
そんな心持になりましたが・・・。
最近、インフルエンザに感染してしまいましたし、その後の 一月近くに及ぶ酷い倦怠感。
今年は体調不良の日が多かったので、総じて思い返すと、幸運だったとは言えないのかもしれません。
今は、健康の有難さと体調管理の大切さを、いつになく強く噛みしめています。
ですから、これが何より嬉しい収穫だった、と思いましょう。
11月の中頃には、高校のクラスの同窓会が京都であります。
体調不良で、ワクチン接種がまた出来なければ、欠席になるところでしたから、まずは一安心。
今は、嘘のように元気ですから、もう大丈夫でしょう。
次女が中華風の炊き込みご飯に引き続き、和風の炊き込みご飯を持ってきてくれた時の献立
体調がやっと回復し始めた頃の事です。
この時もかぼちゃが。(笑)私は大好物です
京都行きは、娘二人も同伴してくれます。
一日目は、私は同窓会に。
娘達は二人で紅葉狩り。
二日目は、娘たちと家族水入らずの京都観光を愉しむことに。
私の体調を心配して、こんな企画を立ててくれた娘達に感謝一杯でいます。
親友で、この度の同窓会の幹事のH君に、
「娘さん達の適切なフォローに感心したよ」と言われてしまいました。
天竜寺にて
過去の旅行における画像です
私は今、二泊の京都旅行が待ち遠しくて仕方ありません。
今年は、体調不良になる度に娘達の世話になりっぱなし。
娘達の優しさと支えが、身に染みた一年でした。
夫が元気でいてくれたら、この度の京都旅行は私の驕り。
そんな大判振る舞いができたでしょうに。
夫も、天国から私たちの様子を見守り、娘達に感謝していることでしょう。
二度目の注文のレーズンが届きました。
大粒の美味しいレーズンを口にしてまた感激。
そのまま食べたり、ヨーグルトやサラダに載せていただいています。
大量に入っているので、数か月は持ちそうです。
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お立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。
更新記事が、やっと今の暮らしに追いつきはじめた感じです。
そうなると途端に、ブログ更新が少々ストレスに。
保存の下書きがいくつもあるブログライフ。
それが私の理想なんです。
だって、焦る必要がなく、ゆったりとした気持ちで臨めますから。
文章力には、いつまでたっても自信が持てなくて。
書くのが楽しいわけではなく、認知症予防のために時間を割き、少々苦労してでも頑張って書いている。
そんな感じでしょうか。
年末も近づき、これからは多忙になりますから。
更新はその内、不定期になると思いますが、ご了解ください。
まともな画像はこれだけ。
後はすべてピンボケ。
新しいカメラは、私は相変わらず苦手です。
長女が、コロナワクチン接種後の私の容態を心配して、我が家に又来てくれることとなりました
その時に、私の手作りの夕食を、残り物になりますが、ご馳走したいと思い、
前日、頑張ってこしらえた夕食の献立を、今日は載せる事に致します
ところが、娘は退社後、家族の食事を作り、夜遅く訪れました。
私は翌日でも構わないわよ、と伝えたのですが。
そのため、ご馳走を出すことは叶いませんでしたが。
ひじきと卵の混ぜ寿司
それどころか、今回も娘が用意してくれた食事をいただくことに。
私が枕元でも食べやすいように、ドリヤや肉ドンを持ってきてくれました。
私の好物の和菓子も。
接種の翌日は、高熱で一両日寝込んだままでいた私ですが、食欲は割とありました。
ですから、美味しくいただくことができ、このままだと体重が増加してしまいそう。
そんな心配をしましたが、回復後測ると、何と一キロ痩せていました。
高熱が一日続くと、体力を消耗してしまうのでしょう。
茶わん蒸し
三つ葉を買ったつもりでしたが、何とそれはバクチーでした。
青みがどうしても欲しくて
それを使用しましたが、強い香りもせず美味しくいただけました。
熱は相変わらずで、38℃7分前後が丸一日続き、高齢者にもかかわらず副反応がいつも強い私です。
妹には、「高齢者は普通、熱はほとんど出ないものよ。
副反応が強いのは若い人。
お姉様の体はまだ若いという事なんだから、喜んでいいのよ。
それに反応が強いと、免疫力が上がるみたい。
科学的なデーターでそれは証明されているそうよ」
この様に妹が話し、私を慰めてくれました。
私にとっては、うんざりするような一両日なのですが・・・。
いつもこの時は、娘の優しさにずっと浸れ、或る意味、至福のひと時。
ですから良しとしましょう。
今日は、折角頑張って作ったので、
いつもよりご馳走の献立の画像をすべて載せて終わりと致します。
鶏の照り焼き
かぼちゃの含め煮
ほうれん草のお浸し
半年前に購入しましたが、今もとてもも元気。
美しくて、手間いらず。
日陰でも大丈夫なのが嬉しいです。
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