数日前の午前中、外の掃き掃除をしていた時の事。
まるで背中に優しい大きな陽だまりが出来たかのように、柔らかな温かさに全身が包まれました。
風もなく、空は青空。
降り注ぐ日差しが、なんと優しく爽やかだったことでしょう。
とても感動し、涙が滲みそうな程の幸福感に浸りました。
シャラの木の瑞々しい若葉
風薫る五月に入ってからも、日中は風が強く、朝晩は肌寒い日が相変わらず続き、何かしら例年とは異なる気候に戸惑っていました。
ですから、その日の優しい日和が、無性に嬉しくなったのかもしれません。
とは言え、午後からは又強い風が吹き荒れていましたけれど。
その後、今日に至るまでに、気温は徐々に上がり、時に初夏のような陽気すら感じるようになりました。
今日は、その陽だまりのような、心温まる親孝行の美談をお話しさせていただこうと思います。
日々家事の折々でも思い出しては、しみじみしとた感慨に浸っている私です。
無論、夫にも話して聞かせました。
その美談とは、このブログにも幾度か登場して頂いた私の親友、Kさんご家族のお話です。
Kさんご家族は、海外在住が長く、私達家族がロサンゼルスに滞在中、大変お世話になりました。
まだ幼稚園児と小学1年生だった我が娘達を、まるで我が子のように可愛がって下さいました。
Kさんのご年齢は、60代半ばを過ぎていらっしゃいますが。
帰国後も堪能な英語と身に付いた国際感覚を生かし、今尚、素敵なキャリアウーマンとしてご活躍中です。
活躍のご様子、日常の雑感等を、ひと月に数度、折りに触れメールでお知らせ下さり、それを読むのを、私は楽しみにしています。
その上、実母とご義母様の介護にも心を砕いておられ、その日々のご苦労はお察しして余りあるものがあります。
kさんのメールを拝読するたびに、団結力の強いご家族の物語そのものが、美談に感じられてくる事がよくある私ですが・・・・・・・
今日取り上げ、お話ししたいのは、Kさんのご主人様のこと。
その前に、この方の経歴を簡単にご紹介させて頂きますね。
経歴と書くだけで、抵抗を感じる方もおられるでしょう。
しかし、出来るだけ具体的に綴った方が、イメージが湧きやすく、文章が生きてくるとの私の思いからですので、ご理解下さいませ。
この方が勤務されていた会社の製品は、世界の八割方で使用されています。
正に国際的な大企業メーカーです。
その会社の副社長にまでなられ、数年前に退職されました。
その後は、まだお仕事をなさっておられる奥様に替わり、主夫もどきのご協力を惜しまないで、日々をお暮らしでした。
更に、ご自宅から数駅先の介護施設におられるお母様を、毎日訪ね、日中は共に過ごすように努めておられます。
エゴの木に鈴なりに咲く可憐な小花
私は、そのお話をKさんから伺うたびに、その親孝行な姿に心打たれ、ただただ感心するばかりでおりました。
四人息子の末っ子さんでいらっしゃいますが、最近ご親族の方が立て続けに亡くなられ、Kさんのメールから、その沈痛なご胸中が察せられていました。
そのご主人さまが、何と最近骨折をされ、入院なさったのです。
骨折の個所は、足首のようでした。
それに至った原因が、親孝行の美談としか言いようのない、胸打つお話なんです。
施設の90代になられる母上様のお部屋の壁に、子供の日に寄せて、鯉のぼりを飾ろうとなさった時の事。
細い柄の付いた鯉のぼりを飾るだけにとどまらず、その鯉がエアコンの風でたなびくように、向きを工夫されておられたようでした。
その際、その作業に熱中する余り、ご無理をなさったのかもしれません。
踏み台として使用されていたテーブルの上で、体のバランスを崩されたようでした。
咄嗟の判断で、転げ落ちるより、自分で飛び降りた方がよい、と思われたご主人。
そのようになさったところ、打ちどころが悪かったのでしょう
それが災いし、足首を骨折。
痛ましい事故に遭うはめになられました。
車いすで、そのままご入院なさったとの事。
年老いてからの骨折は、十分養生しませんと、後々に響きますから、心配しています。
入院の中頃、お知らせのメールを頂いたのですが、空調の取り替えと、回線の切り替えの件で、取り込んでいて、すぐにお見舞いに伺えませんでした・
一段落着き、お見舞いにと思い、お電話をかけたところ、前日退院されたとのことでした。
事故に遭われご当人は大変な事と思いますが、、何と心打つお話しでしょう。
エアコンの風で鯉が泳いで見えるように、心を配られるご主人様のお母様を思う優しさに、感動してしまいました。
Kさんのお話しでは、母上様は命に別条はないものの、笑顔が減り、次第に無表情になって来られたとのこと。
毎日訪ねておられた息子さんのお姿が見えませんと、お母様は、さぞお寂しい事でしょう。
それを気遣うご主人様のお気持ちや、代ってお仕事の帰りに訪問しておられるでしょうKさんのご苦労も思わないではいられません。
私は両親を娘達が嫁ぐ前に失くし、今更ながらもう少し長生きしてほしかった、と残念でなりませんが・・・・・・
今後、高齢化が急速に進む日本では、介護の暮らしは当たり前に見られる光景になるでしょう。
Kさん宅は、ご家族の絆が強く、年老いた親にとり、これ以上は望めないと言った、理想の関係に近いですが。
しかし介護の姿は、家族の有り様で、各ご家庭、様々な事と思います。
私は将来いかなる暮らしになるのか、今のところ見当もつきませんが、次女家族が近くに住んでくれているだけで、本当に心強いです。
周りに迷惑をかけることなく、自立した暮らしができ、大好きな我が家でひっそりと息絶えるのが私の理想ですが。
こればかりは、必ずしも思うようにはなりませんね~
それは神様の御心に委ねる事とし、掛け替えのない日々を大切に紡ぐことを心がけてまいります。
ラベンダードリーム
この度は、突然日本ブログ村のバナーを外す事となり、応援して下さった皆様に申し訳なく思います。
他ブログ数所で、悪意を感じる記事やコメントがあり、又か、と少々心が疲れてしまいました。
今朝起きると、すっかり元気になっていて、バナーを外した事が悔やまれもしましたが・・・・・・
しばらくこの状態でブログ綴りを継続してみようと、今のところ思っています。
皆さまに応援していただけるのが嬉しく励みとなり、今日まで書き続ける事ができました。。
ですから、バナーを外したことに因る一番の懸念は、励みがなくなり、次第にブログから遠ざかってしまうことですが。
そのようにならないように、心掛けましょう。
これからは、一層の自然体で臨み、のんびりと綴っていく方針でおります。
今後とも、変わらぬお付き合いの程、宜しくお願い致します。
、
すみません。
私が今日これから書く記事は、ご覧下さる方にとってはお読み苦しいものかもしれません。
でも突然、今日思い立って書き始めたものではありません。
人生の戒めとして、ブログに載せて残すべきかどうか、ここ数日間、悩んでいました。
弁解めいた行為に映ってしまうのでは、と心配でもありましたから。
恐らく娘達も、多少は気にしているでしょう。
私も、将来、その頃の自分の記事を目にすることがあるやもしれません。
たとえわずか数行のさりげない文章に過ぎないにしても、薄れた記憶の中で、
私はどんなひどい事を相手の方にコメントしてしまったのであろうと、いやな思いに陥るかもしれません。
一番悲しいのは、孫達が万一目にして、そのような悪い想像を抱くことです。
思いがけず、お相手の怒りの感情を読みとり、翌日お詫びのコメントを入れさせていただきました。、
それからすでに12日間が経過しますのに、日々、そのことに触れ、私への非難、批判を繰り返しておられます。
さすがに呆れ、そのような行為を執拗になさることへの理解に苦しんでいます。
怒りの沸点は、人それぞれであることが、今回の事で身に染みました。
私には計り知れない心模様のご事情が、おありなのでしょう。
わたしは広島の被爆者として、風評の被害を身につまされる思いで心配しています。
多少声を落として、放射能の恐怖を訴えてほしいな~といった気持でおりました。
ですからその思いをお伝えし、ある疑問点があったので素直に問いかけさせて頂いたにすぎません。
お願いですから、今回の事はもう忘れて下さい。
非礼があったのなら、心から再度お詫びします。
上に挙げた理由から、その時の私のコメントを、そのままここに載せることに致します。
皆さまのお目が怖いですけれど、ご批判も覚悟の上です。
これ限り、もうお相手の方が何をおっしゃろうと、私は気に致しません。
他人から、変な詮索をされることもないでしょう。
今日の記事で、もやもやしていた心の整理をしたつもりでいます。
大層お読み苦しい記事を綴らせて頂きまししたことへのお詫びを、重ねて申し上げます。
最後に一言。
私の次女婿、一物理学者の話に過ぎませんが、放射能は基準値を超えていなければ心配はいらないとのことでした。
放射能は、宇宙や石のような物体からも出ていることで、西日本で被災地より高いところがあったり、ローマは基準値の十倍なんてこともあるようです。
いろんな説が飛び交う中、個々で冷静に判断するしかありませんね。
広島の原爆は放射能をまき散らしたわけだから、脅威がまるで違うよ、と言って笑っていました。
まき散らされた放射能を、三キロの地点で受けた私は、まだ乳児でした。
さすがに最近、ちょっとそれを意識するようになッてきましたが、父と同じくらいの寿命は全うしたいものです。(笑)
私のコメント
いつもお写真が素晴らしく、記事とともに参考にさせて頂いています。
放射能の恐怖に非常に敏感でいらっしゃるkさん。
色々なデータ―のご報告には、研究熱心なご姿勢が窺え、頭が下がります。
但し、多少矛盾も感じ、理解できないこともあります。
もしそれほどの恐怖を感じていらっしゃるのであれば、なぜ被災地に幾度もお出かけになられたのでしょうか。
放射能からいかに自分を守るか、その行動を取ってこそ、kさんのお話しに説得力が生まれてくると思うのですが・・・
私はできれば、汚染された地域の周辺に住む方々が、kさんの記事を読んで、希望がわくような前向きの内容であればいいのに、と思うことがあります
私は広島出身で、家族は三キロの地点で被爆しました。
しかし親は、運命として受け留めるしかなかったのでしょう。
被爆のことはほとんど口にせず、父は当日爆心地のすぐそばにある会社に赴きましたが、81歳まで、病気にかかることもほとんどなく命を全うしました。
最後はがんで亡くなりましたが。
今更放射能の怖さを再三訴え続けても、住み慣れた環境で暮らす事を幸せと思う人にとっては、不安を煽るだけに過ぎない記事になってしまいます。。
どのような厳しい状況下であれ、青空を仰いで懸命に生きていこうとする人がいることにも、心を留めて頂ければ、嬉しく思います。
差しでがましい事を申し上げます失礼ご容赦くださいませ。