年末にかけて訃報が相次ぎ、その度に私の心が揺さぶられ、その悲しさ、寂しさは
言葉ではとても表現できない程、大きなものでした。
その一つは、前のお宅のご主人様が突然亡くなられた事。
その時の気持ちは、既に昨年の記事で書きましたので割愛します
今日の記事は、クリスマス明けの26日に受け取った、ご主人様からの喪中の葉書きで知ったことです。
私が米国から帰国し、都内の社宅に転居して以来、親しいお付き合いをしてきたHさんの訃報でした。
数年前、手作りの昼食で我が家にお招きし、楽しいひと時を過ごしたのが、最後になってしまいました。
手前の席の人がHさんです。
その時,心を込めて作った私の手料理
一見の雰囲気は、私と、とても似た方でしたが・・・。
私と違い、その友はとても活動的。
剣道も習い、都市マラソンにも参加されたこともありました。
音大を卒業されたので、ピアノ教室も開き、お子様たちの指導にもあたられていました。
義父様は、ミッションの明治学院大学の総長をされた方です。
そのためでしょう。
ご家族全員が、敬虔なクリスチャンで、本当にいい方達でした。
義父様の看取りで、如何に献身的な介護されたか、その思い出話からも、とてもよく察せられてきました。
彼女の雰囲気に似たこの花をテーブルに飾り、お二方をお迎えしました・
思い出を語れば、まだまだ山ほどあります。
子供たちが中学受験の時、次女がお世話になっていた家庭教師をご紹介したことも。、
先生は娘の指導後、私が住む社宅の真向かい棟のHさん宅に行き、指導に当たる。
そんなこともありました。
長女の結婚式の時には、その息子さんにピアノで生演奏もして頂きました。
ピアノの腕は、とても評判の高い人でした。
書き出すと思い出が尽きません。
お互いに、マイホームを構え、別々の暮らしになってからは、出不精の私はめったに彼女に会いに
出かけることはありませんでしたが・・・。
数年前に我が家にお招きした時、あなたの手料理をご馳走いなるのはこの度で八回目と言われ、私はびっくり。
その時、その様に言われても、私は、ほとんど思い出せなくて・・・。
そのくらい元気な時もあったのですね。
年を重ねるうちに次第に横着になり、どんなに親しくしていた親愛なる友も、次第に疎遠になっていく。
仕方ないことなのかもしれませんが、今でも、その様な心の友たちは、私にとっては、忘れることが出来ない
尊敬して止まない人達であることに変わりありません。
私はそんな友達を、幾人もすでに見送りました。
今回も、喪中の葉書きを手にした時は、信じられなくて・・・。
又、お会いしたかった。
お世話になったお礼を、再度言いたかった。
今後の人生を、時々彼女と会い、励まし合い労わり合って暮らしていきたい。
そうしみじみ思い始めていた時の、喪中のお知らせ。
それから寝付くまで、私は何度涙をぬぐった事でしょう。
そして明け方の、目覚ましが鳴るまでの事です。
夢に、なんと彼女が現れてくれました。
実に不思議な状況設定だったのですが、私は入院患者の身だったようです。
病院のグランドで、スポーツ観戦をしているようでした。
その後、自分の病室に戻ろうと思ったのですが、迷ってしまいなかなか戻れません。
やっと自分の病室に辿り着きました。
ドアを開けると、そこに友のHさんが居ました。
私の病室の整理整頓をして下さっていました。
彼女らしい気遣いに感激し、お礼を言おうとしたところで、無残にも、目覚ましが鳴り、そこで夢は中断。
でも一瞬でも、夢の中で彼女に会えて私は感激。
また、彼女の思いがけない訃報を受け止め直し、涙と共に、胸が一杯になってしまった私です。
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