K君の受験が、26日の東大入試をもって、ついに終了しました。
結果は人それぞれでしょうが。
その緊張感から解放された時のホッとした思いは、受験生皆、同じ。
格別なものではないでしょうか。
K君は帰宅するなり、家を飛び出し、友人と遊びにどこかに出かけてしまったようです。
私は受験が迫ってからは、娘宅を訪ねるのも、電話を掛けるのも控えていましたが。
これからは、遠慮なく、それができます。
とは言っても、一日目の東大受験の日の夜、久しぶりにラインで声をかけてしまいました。
その時、Mちゃんと交わした言葉は、下の通りです。
少し残念な結果のようで、何だかK君が可哀想。
K君は多少落ち込んでいたようです。
それを知り、その晩の寝心地が私は今一つでした。
そして翌日、二日目の試験が終わった夜、今度は娘から電話がありました。
その時は、二人で、K君の受験を振り変えり、しみじみとした会話を交わしました。
私はもっぱら聞き役でしたが、K君の事では初めて耳にする新鮮な話題が一杯。
びっくりしたり、感動したりで、時間が過ぎていきました。
1時間位は話したのではないでしょうか。
本番の入試では、数学で大きなミスを犯してしまったK君のようですが。
得意な国語は、よくできたと。
いつも通りに臨めば、模試の結果から、合格には自信があっただけに、そのミスはショックだったようです。
でも落ち込んだのはその日だけ。
翌日は、すっかり元の元気なK君に戻り、二日目の英語と社会のテストに臨んだようでした。
合否の判定は、どう出るか微妙ですが、法学部の偏差値は文学部では一番高いでしょうから。
娘の口調では半ば諦めている感じでした。
入学金は、早稲田は法学部ではなく、政経に収めたとの事。
一般入試で唯一受けた慶応の経済学部も合格したようですが。
早稲田の政経が、就職では一番有利なのだそうです。
その学部からでも弁護士を目指す事も可能だから、と言っていました。
受験が終わった当日、娘と交わした電話での長話。
K君の受験勉強にまつわるエピソードを色々聞き、びっくりしたり感動したりと・・・。
心がせわしく揺れ動きました。
高校二年生の夏の頃、何気に息子の部屋の整理をした時のこと。
模試の答案用紙が一杯目に留まったようです。
その時はショックで、怖い物を見てしまった!との思いで一杯になったとか。
散々の酷い成績だったらしいです。
その頃のK君は野球部のキャプテンを務め、体育祭では応援団長。
文化祭の合唱コンクールでは鬼滅の刃のテーマ曲を独唱し三位に。
他に夢中になれるものが一杯あり、勉強どころではなかったのかもしれませんね。
そのK君が受験に向けて、勉強を頑張る意欲が芽生えたのは、クラブを退部した高2の秋からのようです。
学校の先生の励ましと指導も素晴らしかったのでしょう。
急にやる気が起き、それから成績がみるみる伸びたようでした。
最期は、本人のやる気と本気度次第。
スタートは早すぎても良くないのかもしれません。
K君は、文武両道をやり抜いた、見本のような受験生だと思いました。
娘は、塾にも一切いかず、受験に臨めたのは、先生方のご指導のお蔭と、
学校にはいくら感謝しても感謝しきれない思いでいるようです。
後は東大の合否の発表を待つのみですが、神様の御心に任せましょう。
入学できた大学が、恐らくK君には一番ふさわしい所なのでしょうから。
長女家の長男R君は頭は賢いのに、やる気が今一つ起きなくて・・・。
それでもGMARCHと言われる大学の一つに合格。
教育学部を卒業し、都の教職試験もパス。
今は支援学級の担任を受け持ち、頑張っています。
先日、電話でR君のパパと話した時、
「仕事が大変ならいつでもいい。辞めて、俺の実業を継げばいいんだよ」
と言うのを聞いて、
私は「とんでもない。そんな事、絶対にR君に言ったらだめ」とくぎを刺しました。
教職は、R君にはとても向いた、天職と言ってもいい職業だと、私は思っています。
ですから、これからも、可愛い子供たちのために頑張り続けてほしいです。
R君には、東大を卒業し弁護士を目指して勉強中の親友がいます。
最近も、その友人の下宿先に出かけ、泊まったようでした。
K君も友人にはとても恵まれているようです。
私には何よりも一番嬉しいことかもしれません。
良き友は人生の宝。
私は、転居するたびに、そこで素晴らしい友に巡り会い。その友人達の薫陶を受け
成長することことができたからです。
永遠の恋人と、このブログでは呼んでできた私の孫息子たちですが。
さすがに、その呼び方はもう止めましょう。
友達とも切磋琢磨しながら、益々成長してくださいね。
陰ながら、いつも応援しています。
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