片手袋を追い求める上で重要なテーマの一つに、「人の人との見えない繋がり」というような事があります。
誰かが片手袋を落とし、それを見付けた誰かがそっと拾い上げる。見知らぬ者同士がいつの間にか繋がっている。その象徴としての片手袋な訳です(あくまで介入型の片手袋に限った話ですが)。
でもそうなると逆に、誰かに片手袋の事を語る時など、
「だからさ、下町なんかでは片手袋がいっぱいあるんだけど、秋葉原とか渋谷とかでは全然見つからなくてね。冷たい都会では片手袋が生まれる余裕なんてないんだろうね」
などと言ってみたくなるじゃないですか?話としてもその方が分かりやすいし、片手袋の持つ意味の重要性が増す気がして。
でも、渋谷とか秋葉原とか新宿とか、いわゆる大都会でもあっさりあるんですよね、片手袋。
これなんかハチ公前広場、渋谷も渋谷ですよ。この日は三時間くらい渋谷にいたんですけど、その間に五個くらいありましたからね。
このように、こちらが「こうあって欲しい」と思うようなイメージ、長年掛けて一生懸命構築した理論、そういったものをいとも簡単に覆してしまうのが片手袋なんですね。僕なんかのチープな空想の遥か上を行ってるんです。
でも、そうやって裏切られるからこそ楽しいんですよね、片手袋は。