普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

5月23日(土)、つくばのGAZIOに行きます。with 生井!

2015-05-20 01:04:23 | 音楽にまつわる話<的>な
5月23日(土)は、つくばのGAZIOで生井カメラマンとトークショー。
生井さんとは、26才の時に知り合って、およそどころか40年ぴったりの付き合い。その40年間の軌跡を、飲みながら話そうという企画。

ほとんど爺さんが40年間を喋るのなんて、おもしろくもおかしくもない、などとあなどるなかれ! 意外に聞き耳立てちゃうかもよ。

ちなみに「あなどる」は「なんかのアイドル」のことじゃないからね。

生井さんと話す事柄について何度か打ち合わせをしているけれど、話せば話すほど、当日話すことがなくなるようで怖い。

それでもせっかく来てくれる皆さんには、超おもしろくね-、などと思われないように心してつくばエクスプレスに乗るようにしようと思います。

そんなわけで、23日にお会いしましょう!

「世界は音 -ナーダ ブラフマー-」

2014-11-06 00:26:30 | 音楽にまつわる話<的>な
1980年代前半だったと思う。タイトルに記した「世界は音 -ナーダ ブラフマー-」という優れた著作があった。

詳細は覚えていないのだが、J・E・ベーレントというドイツのジャズ評論家でもありラジオ番組の制作者でもあった人物の著作。

簡単に言い過ぎかもしれないが、要は「世界は音=波動で成立している。だから真言=マントラは人間の生きる重要なファクター」ということを、様々な世界の音を分析・解説しながら、実証していくといった内容だったと記憶している。

曖昧な言い方になっているのは、本そのものをボクは持っているはずなのだが、どこにあるか分からなくなっているから。見つけ出してもう一度じっくり読みなおしたいと、この2~3日思っている。

それというのも、最近P-MODELはもちろんのこと、佐井好子さんの音を久しぶりに聴いて、心が震えたのだよ。

それは、あたかも仏前で真言=マントラ(これは真言宗の唱えるものに限ったことではなくて、例えば念仏の南無阿弥陀仏も、法華・日蓮大聖人の南無妙法蓮華経もマントラととらえる)を唱える効果に似て、生命的なカタルシスを覚えるのだ。

そうした波動を感じる音楽は少なくて、ボクにとっては日本ではP-MODEL=平沢進、佐井好子であり、宇多田ひかる(藤圭子も)、伊吹留香なのだ。おそらく人それぞれに感じる音は異なるのだろうが…(ただし、必ず共通のファクターはあると思う)。

波動そのものは、皆さんもご存じのクラドニ音響図形などでも明白な通り、一定の法則性を抱えていて、人の精神のみならず肉体にさえ物理的な影響を与える。

だからこそ、音=音楽は怖い側面も抱えているわけで、〇〇ドラッグのような、ある種の凶器にもなるのではないかと、ボクは思っている。低周波を使った音響兵器すら開発されているご時世だもの。

そうなると、まともな音を必死で探さなければならなくなるわけで、探した結果がボクにとっては前述のミュージシャン・アーティストになっているわけだ。

だいぶ前に、ここで心震えた三味線の音のことを書いたけれど、あの音も、まさにボクにとってはマントラに他ならない。

いつか(近いうちに)、このことについて、書いておかなきゃと思う。

ロッキンFのこと。

2014-11-05 00:48:09 | 音楽にまつわる話<的>な
最近、色々なところで「『ロッキンF』を読んでいた」という人に会う。

概ね40歳代~50歳代にかけての人。

ボクが編集をしていた頃に10歳代だった人でも、すでに40歳代の後半から50歳代の前半に差し掛かっている頃で、まったくもって隔世の感がある。

で、1日にトークイヴェントでGazioを訪れた時に、参加してくれた一人の女性が1980年のロッキンF5月号を持参して見せてくれた。彼女はどう見ても20歳代のうら若き女性で、その号でP-MODELの2枚目のアルバム『LANDSALE』に関するインタビューと論評をボクが担当しているのを知って、持参してくれた。それにわざわざ、近くのコンビニでコピーまでしてきてくれて、ボクにそのコピーをくれた。

これは涙が出るほど懐かしく嬉しかった。

正直、あの頃どんな原稿を書いていたのか、気恥ずかしい思いで再読。

これがまた! そこそこに真っ直ぐで、悪くない原稿。

ただ、なんとなく、腰が落ち着いていない感は否めない。その理由。この本が出た2カ月後に、ボクはロッキンFを辞めている。

この時、すでにその予兆があった感じがする。

それにしても、表紙がニナ・ハーゲン! 彼女の特集は、&リーナ・ラヴィッチと、超強力な二人特集。こんな特集を組んで表紙にニナ・ハーゲンなんて、当時でも画期的というよりは少しクレイジーだったかも。

ニナを表紙にした雑誌メディアは、当時なかったと思う。その中にP-MODELの記事。ボク的には逆の感じ。P-MODEL表紙の、ニナ&リーナ特集。

さすがに、あの当時、そうはならなかったなぁ~。


トークイヴェント at つくば=Gazio 2

2014-11-03 20:18:02 | 音楽にまつわる話<的>な
昨日に引き続き、「トークイヴェント at つくば=Gazio」。

今日は、画像をUPします。



写真の中央は、GazioのYOU1(平沢裕一)オーナー。左はボクで、右はP-MODELと同時代のガールズパンク=プラチナマスク(kb)のCoziさん。



こちらはトークイベント終了後、さらに居残ってくれていた皆さんと記念撮影。

※いずれも生井秀樹カメラマン撮影

店の外は、雨でした。珍しく雨。
こうした日々の積み重ねこそ、生きる証になっていくのだけれどなぁ。
本当に楽しい一日でした。
ここに高橋かしこ氏がいないのが残念。所用で早めに帰られたみたい。

※大勢で写っている写真の中で、映り込んでいることが不快である、まずい、嫌だ、と思われる方は、コメント欄にご連絡ください。

トークイヴェント at つくば=Gazio

2014-11-03 00:49:18 | 音楽にまつわる話<的>な
一昨日、夕方4時から、つくばにあるCafe Bar & Music Gazio(つくば市吾妻3-16-7 ☎029-896-8201)で、ファッシネイションの高橋かしこ氏が主催してくれた「ニュー・ウェイヴとはなんだったのか vol.4 〜雑誌カルチャーとニュー・ウェイヴ〜 」と題したトークショーに参加してきた。

お客さんもほぼほぼ満席に近く、2時間の予定の所を、3時間も話してしまった。時間的にもろもろご迷惑をおかけした皆さまにこの場で、謝罪。喋りすぎました。すみませんでした。

話しながら、もう30数年も前の時間の一コマ一コマを思い出しつつ、なにか身も心も軽くなるような気分を味わった。

話しを終えた後、ボクの書いたロッキンFを持参してくれた女性がいて、そのページをコピーまでしてくれた。
本当にありがたく、少し前までその自分の原稿を懐かしく読んでいたのだが、そこそこにまっすぐで、正しい誌面だと思った。お名前も聞き忘れたけれど、本当にありがとうございました。

その誌面、当日の様子を写した写真など、もう少ししたらこのブログで紹介します。生井さんが撮ってくれた写真、まだデータが手元にないので……。

それにしても、つくばは遠いな。どうしても遠回り感が強い。直線で行ければ、もう少し早く行けるだろうに……。

高橋かしこ氏に感謝。そしてGazioのオーナー・平沢裕一氏に感謝、というか彼こそ平沢進先生の兄であり、早期のP-MODELのデザインワークなどを手掛けた、ボクにとっては盟友。久しぶりの出会い。

ほんと、平沢兄弟は、変わらない。居住まいというか、思いのたけというか、なにしろ変わらない。

SHOCK! P-MODEL SHOCK & 平沢SHOCK!

2014-10-16 01:34:28 | 音楽にまつわる話<的>な
ボクのブログの訪問者は、普段は100人前後だ。PVだって多くても1,000程度。

それが。昨日P-MODELのライブに参加したことを書いたら、訪問者数は2,000人を超え、PVは5,000を超えた。もちろん平沢先生の周囲のスタッフが、記事のリンクをツイートしてくれたからなのだろうが、これは正直ショックである。平沢先生の影響力の大きさを過小評価していた。

もちろん訪問者数が跳ね上がるだろうことは想像の範疇だったが、500人くらいだろうと思っていた……。

それにしても。掲載した写真は、まるで太った柄本明(ボクのことね)が、平沢先生に毒づいているかのようだが、ボクにはただただ嬉しいカット。ライブ終わりの疲労困憊TIMEに押しかけたから、疲れ気味の平沢先生と、いやに元気な柄本明とのツーショットになってしまった。ごめんなさい。

それでもボクの中では宝のONE CUTに。

3日間のステラボール・ライブ、ボクより一世代若い知人達にも行けなかったことを残念がっている連中が多々。

も少し頻繁にライブをするというのは、やっぱり、無理なのか?

なにしろ、平沢先生のライブ、ステラボールならぬドラゴンボールの「仙豆」並みの回復力を与えてくれたから(写真のボクがやけに元気そうなのは、これが主たる理由なのだ)。殊に精神の。何度でも参加したいなと、思ってしまったのだった。


核P-MODEL×平沢進→HYBRID PHONON

2014-10-15 08:26:46 | 音楽にまつわる話<的>な
11日の土曜日、本当に久しぶりに平沢(進)先生のライブに行ってきた。

平沢ライブでもP-MODELライブでもなく、核P-MODEL×平沢進→HYBRID PHONONライブ(この辺りがボクにはもう追いつかない平沢先生の背中なんだが…)。

隣りで奥さんも参加。P-MODELを初めて聴いた時のことを思い出した。

実は、Aという音楽出版社に勤めていた奥さんが、放置されていたたくさんのデモテープの中から、P-MODELの「美術館であった人だろ」を見つけ出して聴き、その衝撃のままボクに電話をしてきて「聴いて!! 凄いよこのバンド!!」と、電話回線を通じて聴いたのが、すべての始まりだった。

その時の衝撃は、いまでも覚えている。

彼らのライブを聴くために下北沢に当時あった「ロフト」に出向いて、メンバーと少し話したと思う、それからすぐに8社くらいのレコード会社のディレクターに回状を送って、次のライブを聴かせ観せた。

そこで、ワーナーのディレクターS氏が「どうしてもやりたい」ということで、デビュー・アルバム「IN A MODEL ROOM」はワーナーからということになった。

そんなことを思い出しながら、ステラボールでのハイブリッド・ライブを観聴きし続けた。

ライブ終了後、楽屋へということで、久しぶりのご対面。


●ライブ後の楽屋にて。平沢先生と。先生の頭は真っ白ではあるが出会った頃の髪の長さ! ハリウッドメイクの○○と、こっそり教えてくれた。

いろいろあったけれども、リスペクトしてくれて嬉しかった。

それにしても! 当時を思い出すとまさに隔世の感あり。

時代は、いまや死語の世界的な「アナログ」から「デジタル」へ移行の真っ最中で、すべてが新しい世界を作り出せる可能性に満ちていた。その中で、ひとりP-MODELだけが突出して新しい世界を作り出していた。それは音を聴けば誰でもわかることだった。

そして今回のライブでも平沢先生は、まだ新しいことをやり続けている。すさまじいエナジーとイマジネーション。

平伏!!!

佐井好子 at Mt.RAINIER HALL

2014-09-27 02:37:02 | 音楽にまつわる話<的>な
そりゃ、行くだろう!

ということで、行ってきました!! 佐井(好子)さんの35年ぶりのライブ。

佐井さんの6曲、初めは歌うという気持ちが少し引き気味にも思えたけれど、最後はまるで35年前の佐井好子を聴いているようでした。震えました。

最後に聴いたのは、日本青年館でのコンサート(!)だったかな……。

一曲目の「遍路」から「蝶のすむ部屋」、「春の川」、「人のいない島」、「変わり者」、「白い鳥」と全6曲、しっかりと聴き届けました。

欲を言えば「逢魔ヶ時」、「椿は落ちたかや」、「THEME~母さまのうた」、「酔いどれ芝居」、「二十才になれば」も「あの青い空には神様が住んでる」も「青いガラス玉」も聴きたかった。

正直に言えば、あの頃、佐井さんの歌に抱いた恋心を思い出してしまった。

多くの佐井好子を引きずっている、思いを抱く人々が、マウントレイニア・ホールにはたくさんいました!

35年などという時間は、ほんの一瞬だったんですね、今日、つくづくとそう思いました。

ボクの聴いていた席の後ろで、何人かの若者が「カッコいいよな!」などと話していました。

時間を超えて、聴く者が何かを感じる歌、なんです佐井さんの歌は!

9・26 佐井好子、35年ぶりのライブ!!

2014-08-19 19:51:33 | 音楽にまつわる話<的>な
そりゃ、行くだろう!

佐井さんから久々の連絡。有り難いことで。そこでWOW! のニュース!!

皆さんにもお裾分け。ライブは以下の通りのスケジュール&メンツ。

タイトル:第2回「真夜中のヘヴィロック・パーティ」
出演アーティスト:アーバンギャルド / キノコホテル / コクシネル / 佐井好子 with HIROSHI(奇形児) / FUJIWARA(元サバートブレイズ) / HAJIMETAL(元ミドリ) / 岡野太(非常階段) / 蛸地蔵 / 非常階段 featuring ゆるめるモ! / THE 卍 (ROLLY / 佐藤研二 / 高橋 “ロジャー” 和久) featuring 加納秀人(外道) / LUI♢FRONTiC♦松隅JAPAN
日時:9月26日(金)
場所:マウントレーニア・ホール(澁谷)

佐井さんの言うことにゃ、「6曲歌います。バックバンドもついて、サックスの坂田明さんも2曲ほど参加してくださいます」!!!!

凄くねぇ!?

夜の10時頃が出番だと! 帰れないなぁ……。

まぁ、いっか!!!!!!

 

伊吹留香 「必ず最後は愛に負ける」

2014-08-16 17:35:59 | 音楽にまつわる話<的>な
伊吹留香の新しい書籍が、目の前にある。


(「必ず最後はに負ける」銀河書籍 \926+税)

新しいと言っても、これまでの彼女の歴史と、折々の言葉が綴られている。そういう意味では、伊吹留香の過去の集積だ。

ここでこの書籍について、解説したり読むことを勧めたりはしない。ただ、ボクの読んだ読後感だけを伝えたい。

実は、この書籍は7月12日に発刊されている。7月10日が彼女の誕生日だから、その日に合わせての発刊だったのだろう。それが! 7月12日はボクの誕生日であった! 別にどうでもいい情報ですが……。

実のところ、留香さんが書籍を送ってくれて、早くも1ケ月が経とうとしている。送ってもらって放っておいたわけではない。毎日出かける時に鞄に入れて、電車の中で開いて読み始めていたのだ。だが、昨日ようやく読み終えた。

分かるだろうか? この遅々として進まなかった読書の理由?

1ページも読まずに、涙が止まらんのよ。歳をとると涙もろくなるというけれど、そういう理由では断固ない。胸を突かれるのだよ。彼女の記している一つ一つのエピソードと、彼女の思いに、言葉に。

ボクは年齢的に、イジメやイジメラレとは縁がない。ボクらの時代には番町やら不良少年がいて、彼と彼の仲間に体育館の裏に呼び出されて、ぼこぼこにされるかと思いきや、意外に理路整然と話せば分かり合えたりするような、なんともいえない緩い時代だった。

それでも、留香さんの言葉に胸を突かれたのだ。不意に涙があふれてくる。ちょっとカッコ悪くて電車の中では、本当に遅々として読み進めなかった。だが、一番適当な読書環境で、それ以外は、昼休みなどに時間を割いて読むようだった。そこでもうっかりすると、涙しそうで、読書を中断したりしていたものだから、読了までにおよそ1か月もかかったのだ。

読み終えて、ボクが言えるのは一つだけ。この書籍には「癒し」などはない。だが「浄化」作用がある!! ボクの涙は、傍から見ればとてつもなくカッコ悪そうなのだが、ボク自身にとっては、流れることが嫌でない、清々しいとでもいえそうで……。

伊吹留香は、やっぱり良いなと。改めて感じて、いま『反面教師』[OMCA-1161 \2,800((値段変わったかな?)]を聴いている。

やっぱ良いな! 歌も言葉も。

佐村河内守 2

2014-02-12 16:47:31 | 音楽にまつわる話<的>な
一つ前の原稿で、書ききれなかったことがある。

詐欺まがい、詐術という言葉を使ったが、実のところまっとうなことなど最近のご時世にはなくて、ギミックの塊のような、いってみれば「公然たる」作為のような事柄が多い。

本来ならCDだけを売ればいいものを、何かと抱き合わせで売るなども、ノーマルとは言い難いのだが、佐村河内守氏が、楽曲を売りたいと考えてあれこれと策を講じることは、その延長であっただろう。

自分では書かずに、さも自分が書いたように見せるというのは、皆で吊し上げるほどには悪辣ではない。売るための方法論であると相互が納得していれば、良いのだ。

犯罪を構成するわけでもない。聴く側に迷惑が及ぶものでもない。それはフィギュアスケートの高橋クンの発言であきらかだ。

問題があるとしたら、著作権が誰に帰属するのかといったことぐらいだろう。

今回のこの大人の寓話のような話は、作家の筆名、芸能人の芸名程度の話しかもしれない。日本人なのに横文字の名前を付けるのはOKなのか?

そのうち、ロボット、作曲マシンが作った曲を自作という時代がやってきたときに、この話しは、昔の笑い話のように思い出される程度のことではないかとも思う。

佐村河内守

2014-02-12 01:33:25 | 音楽にまつわる話<的>な
面白い。如何にも面白い。

こういう際物が、芸能の世界にはたくさんいる。

数年前、佐村河内を初めて見たときに、実は浅原彰晃を思い出した。

「まっとうでない感じ」

面白いのだが、書くべきことはなにもない。

正直なところ、この程度の詐欺まがいは、芸能の世界にはいくらでも転がっているだろう。

真っ正直にひたすら思いを凝らし自分の目的に向かって突き進む、という人々もいるが、どこかに常に一握りとはいえ、詐欺まがいの連中がいる。

それでもなんのお咎めもなく、あまつさえ大成功したりもする。それが芸能の世界なのだ。

かつて、の群れにあった芸能は、いつの頃からかわが世の春を謳歌している。

人とは異なる異能をもった者としての「芸能」者。

その異能の一つに、明らかに詐術が含まれていたことは、昔からわかりきったことなのだ。

それを現実のこと、明らかなこととして、この数年ボクは理解し始めている。

だから、ボクは日本の音楽を書くための情熱を失っているのかもしれない。

なにか、そんな感じがつきまとうのだ……そう、まっとうでない感じ、が。



藤圭子、佐井好子、宇多田ヒカル。そして、伊吹留香。まごうかたなきボクにとって4人目の、平成の歌姫。

2013-08-28 22:23:39 | 音楽にまつわる話<的>な
しつこいようだが、ボクには3人の歌姫がいる。

1960年代には、藤圭子。1970年代には、佐井好子。そして1990年代に、宇多田ヒカル。

そして、2000年代にはついに、この歌姫に遭遇する。

伊吹留香。

今日、彼女が自分の曲のリメイク音源を届けてくれた。

この春にリリースした『反面教師』(OMCA‐1161 2800円 オーマガトキ/コロムビア・マーケティング)の最後の曲「在りし日」のアコースティック版。

普段の、オチャツピーを装う「素敵な」伊吹とはまた違った、素に近い「素敵な」伊吹がここにいる。

彼女を、もっと聴きたいと、この曲を聴くと思う。

歌という表現は、いいなぁ……。そこに人がいるものなぁ……。



宇多田ヒカルが、やっとわかった。

2013-08-27 17:15:16 | 音楽にまつわる話<的>な
彼女がデビューしたのは、もう15年も前。

その時すでに、尋常ではないものを感じた。歌がどうのと言うより、わずか15歳の少女の、その佇まいがそんじょそこらの歌うたいと根本的に違ったのだ。

もう何年も前に、その居住まいが母である「藤圭子に似ている」と書いた記憶がある。

2008年3月『HEART STATION』(TOCT-26600/3059円 EMIミュージック・ジャパン)がリリースされた時に「音盤見聞録」で書いた原稿。

以下少し長いが転載する。

「出だしは、昔話。藤 圭子の話。1969年『新宿の女』でデビューした藤 圭子は、『怨歌』歌手として、今時の言い方をすれば大ブレークした。東北の片田舎で、浪曲師と三味線・瞽女(ごぜ)の母の間に生まれ、父と母の旅回りに同行し、雪深い地方を巡業して歩いた少女が、突如、東京という町に現れ一気に人々の心をわしづかみにした。
戦後という言葉が薄れかけ、全共闘世代が世界を相手に戦いを挑んでいた、戦後昭和の最もディープな時と景色の中に、藤 圭子は睨むような目で立っていた。そして『怨歌』を少しハスキーでドスの効いた声で歌った。まったく時代の申し子とでもいうべき歌手だった。70年に出した2枚のアルバムが連続37週オリコン・チャートの1位で在り続けたという途方もない記録も打ち立てている。
 宇多田ヒカルは、その藤 圭子の愛娘だが、両親が音楽家、アメリカで生まれ突如日本でデビューし大ブレークした。全くよく似ている。平成というバブル崩壊を痛み続ける時代の中で、宇多田は母がそうであったように、決して自分のスタンスを崩す事も失う事もなく、時代を切り取って歌う。
母は歌手・前川清と結婚・離婚を経験し、およそ10年の活動で引退、再デビューしたりもしたが、居をアメリカに移し宇多田照實と再婚、ヒカルを生んだ。宇多田もまた結婚・離婚を経験しているが、そこから先が母と違う。
宇多田の活動は、体調の悪化での小休止はあるものの、常に日本のミュージックシーンを引っ張り続けるもの。~(中略)~そして、5枚目のアルバムがこの『HEART STATION』。06年後半からのシングルを網羅し、宇多田の世界が揺ぎなく描かれている。聴いていると、これまでとはまた少し違う宇多田の素直でピュアな心根が見える。傑作です。これから先も、宇多田は、歌い続けるだろう。
話は変わるが、藤 圭子は実はカヴァー曲を歌う事が多かった。「夢は夜ひらく」だって、園マリのリメイクだった。楽曲を、オリジナルを超えた自分の世界のものにしてしまう歌う力を持っていたのだ。実は宇多田ヒカルも同じだ。尾崎豊を歌ったりする宇多田だが、完全に自分の歌にしてしまっている。そこは、やはりよく似ている~」

宇多田ヒカルと他の歌い手との違いは詞にありありとしてあって、愛を歌うのだが、なにか愛と言う意味にもダブルミーニングとでも言えばいいのか、ただの男と女の愛とは捉えきれないものがあったのだ。

ボクは、初期ではないが「Deep River」「Letters」「Colors」と言う3曲がことさらに好きで、なかでも「Letters」の、あの「書置きでしか思いを通じ合えない愛する人」が、宇多田ヒカルにとってどんな意味合いを持つ人なのか、知りたいと思ったものだ。

その人が誰なのか、母である藤圭子さんの死に対する宇多田ヒカルのコメントで、分かり過ぎるほどにわかった。

少し前に、藤圭子はボクにとって特別な「歌姫だった」と書いたが、実はもう二人特別な歌姫がいる。一人は佐井好子。

そしてもう一人。

彼女は音としてばかりでなく、負の言葉すら自分自身の思いとして前向きに伝えることのできる、本当の意味での音楽的才能を持っている。

この数年、彼女はボクたちの前からミュージシャン、アーティストとしては姿を消している。

その理由も、おぼろげに分かった。彼女はある女性の本当に素晴らしい娘として、この何年かを生きていたに違いない。

もちろんその歌姫は宇多田ヒカルだ。

いま、「Letters」を聴いている。

涙が止まらない。