普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

熊本に

2016-04-24 01:23:47 | 普通な人々<的>な
何も言うまいと思っていたのだけれど……。

熊本には思い出がある。

阿蘇の五岳の雄大な眺めは、とても日本のものとは思えない景色だった。中岳は噴煙を上げていて、大地が生きていることを教えてくれた。

博多のラーメンとは違った、独特の熊本ラーメンもうまかった。

カルデラの中にある街を車で通り過ぎたときに、そばの栽培が盛んになっているという話も聞いた。

もう30年も前のことだが、まるで昨日のことのように思い出す。

なにか妙に懐かしい印象を持った記憶がある。

よかところだった。

手毬歌を思い出した。

「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ 船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいと隠せ(「おっかぶせ」と覚えているが)……」

もう一つ思い出した。五木の子守歌

「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと(「ど」と覚えているが……) 盆が早よ来りゃ 早よもどる……」

幼い頃に母が歌ってくれたのを、空で覚えた。いまでも歌える。

熊本の歌は、まだあった記憶がある。「おてもやん」。

こんな歌を思い出し、通りすがった風景を思い出すうち、熊本は、決してなににも負けないだろうと思った。もちろん地震になんぞ負けたりはしないだろうよ。

謹賀新年

2016-01-04 23:35:47 | 普通な人々<的>な



明けましておめでとうございます。

今日から新しい年の仕事が始まります。

去年のちょうど今頃、新しい仕事を初めて、変わろうと決めました。

一年経って、今年は具体的に花開く年ですね。

今年からの年々の積み重ねの中で、皆様にとって最良の瞬間が訪れますように。

最高の結果を得ることができますように!

心から祈っております。





立川昭和記念公園花火大会参戦

2015-07-27 23:58:41 | 普通な人々<的>な
ただいま。

ひっそりとそう言うしかないほど久しぶりの原稿です。

先週の土曜日は、あちこちで花火大会。ボクもご多聞に漏れず立川の昭和記念公園花火大会に参戦。

奥さんは仕事帰りに立川の駅ビル辺りのお惣菜をGET。ボクはそこそこのお酒(ビール、日本酒、ウィスキー)を用意して、仕事に行っていた奥さんを待つべく炎天下の席取り。なかなかうまいコンビネーションで良い席を確保し、そこそこにおいしい料理と、充分に足りる量のお酒を前に、最高の花火見物となった。

途中で息子クンが浴衣姿で現れ食い物をさらげ、本当なら花火師の大会でしか見られない10発の尺玉を堪能した、近年希な良き花火大会だった。

食い物もうまかったし、お酒も適量。

クソ暑さも良き花火ですっかり花火見物のワンアイテム化するほどの、良い感じの一日だった。

写真をUPしたかったのだが、まともに映っているものがない。

せいぜいこんなもの。



動画では撮っているのだけれど、UPの仕方が分からない。悪しからず。

300000PV&125000IP OVER!

2015-06-24 13:13:22 | 普通な人々<的>な
200000PVを超えてから、皆さんの訪問数を報告することを止めていましたが、ちょっと感動で、報告します。

表題通りで、300000PV&125000IPを超えました。この数字の凄さを噛みしめています。

2010年にブログを始めてから、ここまで来れるとは正直思ってもみませんでした。偏に皆さんのおかげです。

300000を超えたから、なにか皆さんに記念品を配るとか、そういった企画はありませんし、それがどおした? と、ドラえもんに言われそうですが、なにかとても嬉しい。

きっとまだ先はあるのだろうから、その先を目指して書き続けます。

老い老い

2015-06-23 20:02:14 | 普通な人々<的>な
老いというのは、誰にでも平等にやってくるものの一つ。
それでも、そのやってくる速度は平等ではない。個体差がある。

老いの迫りくる最初の兆候は、目だ。俗にいう老眼だ。その次が反応速度の低下。そのことになんとなく気が付く頃に、膝が痛くなったりとパーツの衰えに気づくようになる。

そのうち、身体の全体に、例えば皮膚がかゆくなったり、髪の毛が細くなったり、耳が聞こえにくくなったり、食が細くなったり、酒に弱くなったりとさまざまに自覚できることどもが露わになってくる。

車の運転を続けると、身体の右半身に、違和感を覚えるようになる。左はほとんど使わないから、右半身の違和感は意外に顕著だ。

とはいえ、50代の頃はその体の違和感に、慣れる時間がある。別な言い方をすると老いはゆっくりとやってくる。

だが65歳を境に、その足を速める。慣れる暇がなくなるのだ。あそこにも違和感、ここにもそこにも違和感、という感じになってくる。

そしておそらく(まだボクはそこまで至っていないので想像の域を超えないのだが)、70歳を過ぎればそうした違和感さえ違和感でなくなるほどに老いは急ぎ足でやってくるのだろう。

仏陀は悟りに至るきっかけとなる四門遊観で、生老病死を目の当たりにするのだが、人間は平等にその一つ一つを“体感”するのだ。

老いは望むところではあるが、人に迷惑をかけるのが怖い。

バカ育成

2015-05-11 00:56:09 | 普通な人々<的>な
誰ということもないのだが……。

世の中には、バカが多い。ボクも含めてのことだが、バカが多くなっている。

テレビを見れば、少し賢くなれそうなクイズ番組が氾濫し、ものを考えないで済むお笑い番組と、ものを考えるプロセスをバイアスのかかった意見でまとめ上げてしまう、ニュース番組やひな壇番組があふれ、視聴者は、ろくでもないバカ扱いされているにも拘らず、それに気づきもしない。
本屋に行けば、金儲けの本ばかりで、それは決して悪いことではないのだが、金儲けのバックボーンにあるはずの哲学はなく、数字ばかりが前にしゃしゃり出る。

だから、本当はとても大事なお金の話が、まるで悪魔の舌先三寸で話される事柄のように、悪しき印象で受け取られる話になり果てる。

金儲けは悪いことではない。だが、使い方と儲け方によれば、悪しきものとなる可能性もある。

要は金を手にした人間の品性の問題になっていくわけだ。

金は欲しいけれど、人間を見失いたくないとすると、どうなるんだろう?

ちょっと考えてみる価値はありそうだ。

昔、ボクの友人が短歌を読み合う遊びをしていると、必ず下の句で同じフレーズを出してくるので少しイラッとしたものだ。

その下の句は

「それにつけても、金の欲しさよ」

これは、まったくその通りで、哲学的な結論である‼

ゴールデンWは、シルバー世代にはどうなんだろう?

2015-04-29 13:31:29 | 普通な人々<的>な
黄金週間の中で、シルバー世代のボクはどう過ごせばいいのか?

素直に疑問だな。言葉遊びをしてるわけではなくて、なにか黄金週間という言葉には「輝き」だったり「明るさ」だったり「若さ」「欲望」などといった、なにか弾けるような感覚があるが、シルバーという言葉には逆に、「落ち着き」「渋み」「沈着」といった、むしろ動きのない感覚がある。

ゴールデンウィーク=黄金週間の煌めきの中で、シルバー世代ははしゃぎきれずに家で渋茶でも啜っているような、明らかな対比が生まれている感じがある。

ボクは確かにシルバー世代だ(確かに頭はシルバーグレイだ)。

考えてみれば、50歳代までは普通に(覚悟はいらないという意味)車をふっとばして旅行に出かけたり、飯を食うにもBBQが真っ先に頭に浮かんだりしたものだが、60歳を過ぎたら途端に、できれば出かけたくないとか、近間で済ませようとか、食うなら「魚」みたいな感覚が出てきた。

黄金週間ときいても、さして心は騒めかない。なんというか、シルバー世代には黄金週間は存在しないも同然という感覚なのだ。

なにかつまらないな、とは思うのだが、こればかりは仕方がない。

きっと、老老介護でそれどころではないという人も多いだろう。高齢者の中には遊んでる暇などないほど生活に窮している人もいるだろう。

ボクも時々、死ぬまで働かなきゃならないと言うことがある。これは言葉のアヤやほのめかしではなく、真実なのだ。そしてこの言葉を言うたびについて回る「あと何年は……」という感覚が、どんどん短くなる。このボクでさえとうとう一桁台に突入した感がある。だからシルバーなんだよね。

身体も元気、頭もそれほど耄碌していない。だけどなにか、どこかが違う。

これが老いなんだろうかな? (おいおい!)

二重人格の割に、たいして変わらない人格だったりして……

2015-04-26 17:53:57 | 普通な人々<的>な
「少し疲れたかな……。
帰りの電車内で、運の良いことに座れた。座った瞬間に寝込んでしまった。
降りる駅を乗り過ごし。次の駅まで行った。戻る電車はない。20分、いや30分かけて家まで歩くことになった。
それでも。あまり辛くはない。むしろ家で何をすることもなく、蛇口から流れ出る水をコップになみなみと注ぎ、一気に薬を飲み下しているような生活よりは、はるかにましなのだ。
毎日仕事のある有難さは、きっと息子や娘、ひょっとすれば奥さんにもわかってもらえないかもしれない。
そうは言っても、毎日夜中になるのは、やはり疲れる。
職住隣接などとイカシタ環境があるわけではないから、仕事先への往復に、3時間弱はかかる。
だから例えば、仕事場を22時に出ると、家には23時半に帰り着く勘定で、家に戻ってから何かを考える暇もない。
今日は、23時に仕事場を出たから、いますでに夜中の12時半を回っている。家に帰りつくのは夜中の1時になるだろう。
だが、そんな仕事を選んだのはボク自身なわけで、誰に文句を言える筋合いもない。
最早人っ子一人いない、街灯も50㍍おきにしか人助けをしないような田舎道を、とぼとぼと歩きはじめる……」
と、いうようなことを頭の中で考えていた。原稿の中に登場する人物は、たいていの場合自分の別人格の投影、自分の中の別人格に光を当てているようなもの。だが、最近は別人格のつもりで書いているのに、妙に近い。自分に近い。
なんだか二重人格や多重人格のようでありながら、あまりというかほとんど区別のつかない人格しか、頭の中に登場しない。これって、オレじゃん? って話だ。
小説の中で、呻吟する60歳代のオヤジを書くと、自分が登場してくる。同じ穴の狢というか、同じような環境に身を置くオヤジなわけで、結構彼の意識に寄り添いすぎてしまうのかもしれない。
とはいえ、いつか、高齢者の思いを素直に書いてみたいと思う。

ハッと気づけば、もはや年末に。

2014-12-18 08:53:47 | 普通な人々<的>な
毎年、気が付くと年末になっている。

当たり前といえば当たり前。

振り返ってみれば、いろいろあった。

個人的にも、世間的にも。

個人的なことは、置いておいて、世間的なことどもを思い返せば……。

名前から思い出すのは、小保方さん=STAP細胞、佐村河内クン=ゴーストライター。

事象で言えばデング熱、エボラ出血熱。当たり前になりつつある異常気象(当たり前のものは異常とは言わないけれど…)、ことに突風・ゲリラ豪雨、季節外れの〇〇などなど。

政治・国際情勢から見れば、北朝鮮の闇、アメリカの凋落、日中韓の不協和、東欧の揺らぎ、イスラムの跳梁。ことに韓国の「民度の低さ」の露呈。
国内をみれば、アベノミクス……まだ評価は「?」。議員歳費などに関する訳の分からない議員の対応。小渕・松島大臣の辞任。年末選挙でバレバレになった民主党の悲惨としか言いようのない「無力」などなど。

社会的なことをみれば、アブノーマルとしか言いようのない殺人事件の多発。ノンモラルの引き起こす〇〇。

どれ一つとっても、世界の安定と平和を意味するものはない。

個人的なことを振り返れば、もう二度とできないかもしれない1600㎞超のロングドライブ。最後の小学校クラス会。初の奥さんとの鎌倉珍道中。35年ぶりの佐井さん、P-MODEL=平沢進先生、平沢YOUさんとの再会。

まだ終わってはいないが、心揺らぐ思いの一年だった。

ブログもいつもの通り、最後に少々息切れ状態になってしまっているが、今年もありがとうございました。

まだ書きますが、とりあえずご挨拶。

日本国宝展 at 東京国立博物館

2014-12-09 00:40:35 | 普通な人々<的>な
12月7日まで、ということで息子クンがくれたチケットを無駄にはできないと、東京国立博物館へ。

日本国宝展ということで、なにか予兆めいたものを感じながら出向いたのだが、何事かは判然としなかった予兆が、実際にその場に立つと、みるみる姿を露わにする。

その正体を端的に言葉にすると、「日本の国宝は器なのだ」ということに尽きる。

仏教関連の国宝は殊に、金張りの器や、厨子、美しげに書かれた曼荼羅や経典。

早い話が、そこに書かれたもの、ことの本質ではなく、仏陀が、マホメットが、キリストが戒めた偶像を「国の宝」と言っている。日本での法華経にまつわる説話集である「日本霊異記」だけは、しっかり眺めてしまった。

それ以外は、そういうことなのだなと思いながら展示スペースを経巡っていたのだが、縄文期の土偶に行き当たって「あぁ、ここに来てよかった」と思った。

「縄文のビーナス」「仮面の女神」などとと題された土偶は、どこからどう見ても、あの遮光器土偶と同様に、ライフスーツを身にまとった、異星人としか思えない造形。

「合掌土偶」と題されたものは、以前から見たいと念願していていたもので、これはまるで「キン肉マン」のようでなにか微笑ましい。

それでも結局のところ、宝とは「器」としか思えない展示物の数々を、しんねりと眺めてきた。

だが、土偶とは別に、昔から国立博物館を訪れるたびに「日本刀」の美しさに惹かれ、何時間も展示室にいるのが常だったのだが、結局今回も、日本刀の展示室にいってしまった。

鎌倉・室町期から江戸期に至る日本刀の系譜は、それは素晴らしい展示。ピリピリとした空気がヒタヒタと迫ってくる。ずっとその場にいたいと思うほど。日本刀を手になにか不穏なことを構えようなどという気はさらさらなくて、ただその造形の美しさに、惹かれるのだ。

また来たいな、と思った次第。

ご無沙汰です。11月18日以来、およそ3週間ぶりです。

2014-12-05 23:53:50 | 普通な人々<的>な
書きたいことは山ほどあるのに、書こうという意欲が湧きませんでした。

こういう状態を、別の視点から眺めると、あたかも引き籠りのようであります。

言ってしまえばキリスト教的「二律背反」を体現しているとでも言いましょうか。

なんにしても、なんとはなしに病気? ってな感じでもありました。

思いつく原因などはありません。ましてや誰かの所為などではありません。

夢見が悪かったとでも言っておきましょうか。

話は一転します。

以前にも書きましたが、ボクはことのほか「指輪物語」が好きで、若い20歳代の前半に初めて読んで以来、およそ40年間に7~8回は読んだでしょうか。

そして「指輪物語」が映画化され、遂には「ホビットの冒険」までが映画化されるに及んで、その映像にも本とはまた別の大いなる魅力を感じているわけです。

「ホビットの冒険」三部作の最終第3部『The Battle of the Five Armies(邦題「決戦のゆくえ」)』が17日公開ですが、早く目にしたいものです。

何故こんな話になっているかといえば、ボクもトールキンのように、「大いなる物語」を書きたいと思っているからです。

思いはするけれど、書けない、意欲が湧き立ってこない、というわけです。

しかし、そんな蹈鞴を踏んでいる余裕はない、と思える今日この頃です。

思いを祈りに換えて、書こうと意を決して、ここにも戻ってこれたということになります。

て、ことで、書くぞ!

<メソッド>

2014-11-18 00:58:03 | 普通な人々<的>な
人の想いは、虚空を飛び越え、それぞれに小さな星のような造形に凝り固まる。

人、それぞれに、小さな宇宙を支配する。

宇宙は、無限の生成と破壊を繰り返す。

だから人は、想いは、無限の生成と破壊を繰り返すものなのだと、知らされる。

それは不安を醸成し、歓喜を招来する、こともある。

たった一つ。

確かなことは、その宇宙の支配者は、他ならぬ、自分自身だということ。

君臨するのか、そっと見守るのか?

生殺与奪の権能を、自分自身のものとする時、想いの果ての創造は、なにを人にもたらすのだろう?

孤立か? 共存か? 破壊か? 創生か?

どちらにせよ、隣りには、常に見知らぬ他人の宇宙がある。


250000PVを超えました! 

2014-11-09 00:04:42 | 普通な人々<的>な
20万PVを7月の前半に超え、すごい勢いで累計25万PVを達成。皆さんに重々感謝。

当初一年かかって4万~5万PVを達成していたのが、嘘のようだ。

ブログを開設して今日で1505日だそうだが、ちょうど一昨日、1503日目辺りで25万に到達したようだ。

本当に良く続いた。まだまだ続ける。

一人でもこのブログを訪ねてくださる方がいる限り、まだまだ続ける。

冨田尚弥選手の無罪主張は〇or☓?

2014-11-08 17:48:27 | 普通な人々<的>な
一日以上経って、もうこの問題に対してはほとんどの人が忘れるか、興味を失っているに違いない。

だから敢えて書く。

日本水泳、平泳ぎの第一人者・冨田尚弥選手が、9月の仁川アジア大会の最中にカメラの窃盗容疑で逮捕されたと聞いた時、「?」と思った。そしてすぐに罪を認めてしばらくの拘留の後に帰国、空港で謝罪し頭を下げた時にも、「?」と思った。

そして、あれこれと考えた。

そのことはおいおい書くとして、冨田選手は一昨日、無罪主張のための会見を開いた。

冨田選手が、実際にカメラを盗んだか否かということは、ここで詮索するつもりはない。

真実は彼の中にあるわけで、会見で語ったことが大嘘であれば、彼自身が自分自身を深く傷つける結果にしかならないのであって、それは少なくともボクとはなんの関係もない話。

ただ、彼を擁護するつもりはないけれど、彼が会見で見せた姿、話しぶり、目線等々、様々な情報を総括すると、あれこれ考えたことの意味が、なんとなく形を露わにしてきたので、書いてみようと思った。

いくつかあるのだが、その一つが、彼のあの反応の悪さ。要するに瞬間的に相手に対する言葉での対応がほとんどできない青年であるということ。マスコミの連中は、自分はうるさいほどに喋りすぎる人種であるという自覚もなく、「なぜその時にきちんと対応しなかった?」的な詰問をしていたが、話の下手な人間はたくさんいる。テレビの向こう側にはそんな人間はいないのだろうが、こちら側の大半は、そんな人だ。

一度受け取った情報を自分の中で咀嚼しないと反応できないのか、頭が悪いのか……理由はわからないが、冨田選手は明らかに「話下手」であり、言ってしまえば「こちら側」の人間だ。いまの北島康介とは違う。

自分の心の動きや思いのたけを、立て板に水のように話すことなどできないタイプの人間だということは、なにかを聞かれても、2テンポほどあけてしか反応できない様を見れば良く分かる。

そんな人間が、取調室、しかも韓国の警察の取調室で、どんな反応ができるのかといえば、おそらく精神的にも追い詰められ、情緒的にも極めて不安定な状態で、良く冤罪事件で言われる、誘導的な質問になにも考えずに、ほぼ「ハイ」と言ってしまうような精神状態だったのだろうということは容易に想像できる。

盗んだとされる現場を写したカメラ映像に関しても、彼の説明は、まったく要領を得ないもので心証は極めて悪いのだが、おそらく実際に自分が映っていなかったとしても、映っているのが自分だと思い込んでしまうことはある。それが後から落ち着いて考えれば、本当に自分だったかどうか、思い出せない心理状態というのもある。第三者の存在(迷彩のズボンを穿いたアジア系の男)を語っていたが、その男の姿が冨田選手の陰に隠れてカメラに映らない場合だってある。見せられた映像のポジションが、冨田選手の言う通りであれば、その可能性は高い。

重いカメラの入ったバッグを、無造作に持ち帰ったという点も、彼の説明は曖昧なのだが、なにか彼が嘘を言っているようには思えない。その理由は、曖昧なのだが自分なりの理由をきちんと話しているから。そりゃないだろう、というような理由で抗弁するのは、意外に真実だからという場合が多い。

途中にゴミ箱がなかったから部屋まで持って帰ったというのは、そうなのだろうなと思う。マスコミはきっとゴミ箱が本当になかったか「検証」するのだろうが、あっても目に入らないものはないと同じだということを理解すべきだ。

なにより、第一報を聞いた時の違和感、衆人環視の中で「カメラが欲しい」から盗んだという話は、いくつも「?」が付くモノだった。例え何十万円の代物でも、冨田選手に買えないモノではあるまい。よしんば盗んだとしたら、それは性癖に類するものだろう。であるとすれば、これまでにも冨田選手の周辺で窃盗事件の一つや二つあったに違いない。そこはどうなのだろう?

帰国した空港での謝罪時に見せた、なにか不本意な立場でそこにいるのだという空気感にも違和感を覚えた。要は、頭を下げているのに、明らかにそれまでの時間の流れが、彼の心証と異なるものだったことを如実に表していた。もしあの空気感が作為的なものだったとしたら、彼はオスカーを獲得できるだろう。

あの不服面は、真実を意味していたと思えるのだ。

なぜ今更こんなことを書いているかといえば、ボクも不本意な逮捕歴があり(そのことは以前にこのブログにも書いた)その時の取り調べ(勿論日本であり、冨田選手のように海外、それも韓国ではない)には、もう40年も前の話なのだが、いまもって納得がいかないでいるからだ。

警察は調書が書ければそれでいいわけで、事件の予定調和を崩さずに書き上げた調書を検察に送れば、それで一件落着する。

そこには目の前の被疑者の発言への考慮も取り立てて有りはしない。ましてや素直に認める被疑者の発言は、いくらでも捏造できる。そのことを、ボクは身をもって知っている。

だから、余計に冨田選手のことが気になるのだ。ただ、初めにも書いたが、彼が盗人なのか否かは、正直ここでは問題ではない。

よしんば彼が無罪だとしたら、なぜ韓国官憲が冨田選手を盗人に仕立て上げたのかという疑問が湧く。どんどん不穏になっていく。従って、ここで終わりにする。

ボクとしては(どうでもいいとは書いたが)心証として、彼は盗んではいないような気がする。

そういえば、水連の話。取り調べに水連関係者が同席したというが、本当だろうか? 日本で被疑者の取り調べに第三者を同席させることなどあるだろうか? もし同席することがあるとすれば、それは取り調べが終わり、内容を確認する目的だったのではないか? それを水連の人間が取り調べと勘違いしているように思えて仕方ない。

もっと言えば、水連関係者は、余談なく韓国官憲の話を聞いたのだろうか? 彼らは冨田選手に寄り添ったのか、韓国官憲に追随したのか? その立ち位置ひとつで事件の受け取り方は変わるだろう。「日本」水連は、どうだったのかなと思う。

長いな……。




11月1日(土) トーク・イヴェントに参加します。

2014-10-31 00:17:10 | 普通な人々<的>な
ざっくりとした内容は、以下の通り。

タイトル:「ニュー・ウェイヴとはなんだったのか vol.4 〜雑誌カルチャーとニュー・ウェイヴ〜 」
会場:Cafe Bar & Music Gazio/茨城県つくば市吾妻3-16-7
H P:http://gazio-tx.com/
日時:2014年11月1日 (土) 14:00開場/16:00開演(18:00終演予定)
語り手: 加藤普(久明)(http://blog.goo.ne.jp/katohfu) ← これ、ボクね!
ゲスト: 平沢裕一
聞き手: 高橋かしこ(ファッシネイション)
要予約:(先着40名 空有)
料金: 1500円(1ドリンク付き/店頭でお支払いください。食事は別オーダー+700円(予約時選択))

70年代後半の比較的コアな話をしようと思います。ただしボクの知り得た範囲のローカルな話ですが……。
たぶんまだ、席は空いています。

こっぱずかしいけど……お暇なら、来てよね、私寂しいの……ってか。