普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

人を呪わば……

2014-10-04 02:04:09 | 普通な人々<的>な
穴二つ、というようなことを言う。

「穴二つ」と言うのは、人を呪えば必ず自分にもその呪いは返ってくる。極端な話、人を呪い殺せたとしても自分にも呪いは返ってくる。結局自分も必ず死ぬことになる、墓穴は二つ必要なんだよ、と言うような意味。

日本にも、この呪いの文化があった。というより、今でもはっきりとある。

いつ頃からあり続けているのかと言えば、平安期以前から。日本の風俗・土着の習俗・宗教には呪いの要素が横溢している。

もっといえば、神話時代からあり続けていると言っても過言ではない。

そのルーツというものを探っていくと、伊弉諾・伊弉冉のおどろおどろしいエピソードに行き当たる。それは黄泉平坂での二人の会話。

黄泉の国で、黄泉の飯を食し穢ればかりで覆われた姿を伊弉諾に見られた伊弉冉は、そのことを恥じて恨みに思い、伊弉諾に「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と、有体に言えば呪いをかけるのだ。これが、日本における呪いの端緒。

それに対して伊弉諾は「それならば私は、1日1500の産屋を建てよう」と言い返し、日本の人口は減ることなく発展を遂げてきた、はずだった。

だが、最近の日本の人口推移は、皆さんもご存じの通り。減少に転じる分水嶺にある。

神話時代からの伊弉冉の呪いが、今頃になってジワジワと効果を発揮し始めているというわけだ。

これは笑い事ではない。日本人、いや地球上のすべての人々に等しく掛けられた呪いなのだ。

この呪いに、穴は二つあるのか、そこのところは判然としない。ただ、伊弉冉の住まう黄泉の国はすでに穴である。とすれば、伊弉冉は単純に呪う相手の穴を用意すれば良いだけ。

考えてみるに、ひょっとすれば日本の総人口分の穴を伊弉冉は用意しているかもしれない。世界の総人口分かもしれない。それは、穴二つと言うのだから、70億人を収容できる巨大な一穴かもしれない。

なにが因で、我々も穴に入ることになるか? その理由・原因が、なんとなくうすぼんやりだけれど形を露わにしてきたような気がするが、それはボクの思い過ごしだろうか?

三連休は、湯河原→鎌倉②

2014-09-17 13:17:48 | 普通な人々<的>な
さて、昨日の続き。

翌朝、6時には目覚める。いつもと同じ時間というところが、なにやら歳を感じさせるなぁ。

内風呂に湯を張ったままだったなと覗きに行くと、空っぽ。どうやら水栓が緩んでいたらしい。そう言えば、夕べ入った時にも、入れたはずの湯量がなにか少ないように感じたが、緩んでいたというよりは緩い水栓だったということか。それならと、すぐさま風呂につかりに大浴場・露天風呂に。

不思議でならなかったのだが、前日からボクが風呂に入りに来ると、誰もいない。貸切状態だ。嬉しいのだが、奇妙な感じもする。何人かの入浴客にしか会っていない。それなのに、夕食のバイキングは満席だった。あの人たちは、どこで何をしているのだろうか? などと思ってしまう。そして。風呂に行くまでに6階の部屋からエレベーターで3階に下り、曲がりくねる廊下をほぼ端から端まで歩きようやく到着するのだが、何度も通ったが、廊下でも、誰一人会わなかった。そこもなにか奇妙だった。

そのことに関して一つ報告しておけば、ボクらの泊まったホテルは非常に不思議な感覚を覚えるホテルだった。その原因に初めは全く気付かなかったのだが、とても簡単なことだった。5mとまっすぐなところがない。ウネウネとしているのだ。直ぐに曲がり角に行き当たる。廊下の幅も広がったり狭まったりが続く。そして、三段ほどの階段の上に中二階と言った感じの部屋が作られたりしている。なにかアメリカのウィンチェスター家を思い出してしまった。ただ不気味さなどは感じなかったから、ご安心を。

朝風呂で「小原庄助」気分を味わい、朝食に。また、食事には大満足した。おいしかった!

ということで、11時まで部屋に留まり予定を立てる。真鶴に行くか鎌倉に行くかの二者択一。奥さんの「行ったことがない」という一言で鎌倉に。

それじゃすぐに出発しようと部屋を出たのだが、なにか違和感を感じた。奥さんの足元を見ると、靴を履いていない! 「おい」と呼び止め足元を指さすと、奥さん腹を抱えて笑い出した。そしてボクの足元を指さす。人のことは言えない。ボクも奥さんもホテルのスリッパのまま帰ろうとしていたのだ。鍵まできちんと掛けて出てきたのに……。

昼食は鎌倉でということで、すぐに東海道線で藤沢に。藤沢から途中下車しながら江ノ電で鎌倉に行こうという算段。周遊券は600円。というわけで、



江ノ電に。

最初の途中下車は「江ノ島」。歩いて橋を渡り島部まで。人の数が半端ない。ほとんど原宿・竹下通り状態だ。洒落た店が並ぶが、結局店先の縁台でイカの丸焼きをあてにビールで乾杯。ボク等夫婦は、なんというか人と同じことがしたくない、という一点で夫婦。結局江ノ島でも歩いたのは、



こんな裏道。

次に途中下車したのは「長谷」。大仏を見たことがないというので、見物に。大仏とは言いながら「それほどでかくはないぞ」と予備知識を提供。

そして、ご対面。



まぁ、こんなものかな。奥さんは大仏さんの背中ののぞき窓が気に入ったよう。「羽だ」と子供たちにLINEで報告していた。ところが、奥さんとはぐれてしまった。電話すると「大仏の右手にいる」という。大仏の正面に立ち右側を探すが、どこにもいない。ひょっとして「右手」って本当に「大仏の右の手」のことか? と思い探すと、いた。

かなり腹も空いてきたので鎌倉へ。まずは若宮大路を辿って鶴岡八幡宮に。何年か前に台風で倒木したという「別当公暁の隠れ銀杏」を見物するも、すでに脚が痛くなってきたのもあって、すぐに店探し。

駅方向に戻りながら店探しをしようと「小町通り」を歩く。だが、こちらは夏の旧軽のメインストリートのようで、入りたい店がない。散々歩いた結果、駅近くの腸詰屋でビールとソーセージ。

気付けばすでに夕方6時を回って、結局、やはり駅近くの居酒屋さんへ。ところがここがまた、絶品の料理。生しらすは予想通り売り切れだったが、刺身も鎌倉野菜を使った料理も素晴らしいもの。長居してしまった。

気が付けば、9時近い。慌てて帰宅の途に。

少し酔ってる。日本酒そこそこ飲んでるものなぁ。帰りはずっと別々の席で。

帰りついたら、11時を回ってしまった。

なにか、重厚な出だしから、最後はさっぱりした感じになったけれども、なんともおいしく楽しい1泊2日!!

またこんな旅ができればいいな、と素直に思えた2日間でした。チャンチャン。

三連休は、湯河原→鎌倉①

2014-09-16 18:17:12 | 普通な人々<的>な
実は、奥さんと一緒になって30数年、あまり旅行にも行けず、近郊の名所・旧跡などにもほとんど行っていない。

ボクは仕事で47都道府県すべてを制覇しているのだが、奥さんとしては不本意であろう。

正直なところ連れて行ってあげたいのだが、ボクは人語に落ちぬ貧乏である。無理! てなことをついつい言ってしまう。

でも今回は、奥さんが連れて行けという。で、ダメもとで当日の朝に予約を入れてみたら空いていた。連休に空いているとはこれ如何に? ついているというよりは、なにかちょいと不安もありつつ、着の身着のままで出かける。

これまでならば、車で出かけたのだが、今回は電車。湯河原のホテルに向かった。

まぁ貧乏であるからそんなに良き所には泊まれない。食事はバイキング、のようなところに泊まるわけだが、やっぱりなというくらいの、珍道中になった。

往きは何で行こうか迷った挙句、新宿からO電鉄に乗った。それも普通の急行。ロ○○スカーがあるのだが、ゆっくり時間稼ぎということで……。それはそれで、楽しかったが、首は一応ひねってみた。

小田原着。ちょうど昼時に着いたので駅前を見回すと、



佇まいの良いお蕎麦屋さん「寿庵」。ここで昼間から蕎麦をあてに酒をくらいながら、うだうだと時間を潰す。

奥さんは日本酒にせいろ、ボクはビールに冷やしタヌキ。なんだか奥さんの方が「通」でげすな。

やがて湯河原に。送迎のバスが駅前の「武将の銅像の前に来る」というインフォメーション。

前とはどこを指すのだ? これなら間違いはなかろう、と銅像の真ん前で待つ。と、ふと思ったのは、この道だと車は昇降口が反対側になるから、違うだろう? という内にそれらしきバスが来て、手前をまがってロータリーに入っていった、やっぱり向こうだと走ると、くるりとロータリーを回り今までボクラのいたところに停まる。ボクらはロータリーを走って一周した計算に。向こう側に回って乗り込む。

ホテルに着くと、元気の良い「高橋さん」という案内係の方が、ホテルの作り、泊まる部屋、バイキング会場などを、そこまで声を張らんでもというくらい元気に説明してくれた。

ホテルの部屋は10畳+6畳+サンルーム+トイレに入り口のやたらに広いスペースと、思いもしないほどの豪華版。早速風呂に入り、食事時間までを有効活用ということで、まずは浴衣に着替えて……。

なんということか! 奥さんの浴衣がツンツルテンのまるでバカボン。このホテル、入館すると、好きな柄の浴衣を選ぶ仕組みで、大きさもそこでセレクトするのだが、ジャストのサイズを選んだはずなのに、バカボン。すぐにフロントに行って説明すると、奥さんの選んだMサイズの所から渡してくれたが、これもS。あららということで確認すると、Mの所に置かれた浴衣は、すべてSだったという落ち。

風呂から上がり、少し早いがバイキング会場へ向かう。だが! はっきり説明されたにもかかわらず、会場が分からない。何度もあっちへ行ったりこっちへ来たりとしている内に、どうやら同じように食事会場に行きそうな若者二人。ボクらと同じ場所で迷っている。

声をかけると、案の定、バイキング会場へ行く所。しかし、ボクら以外人の気配がない。それならと、真っ暗な奥へ探索に出かける。すると、3分前にも拘らず、まだ中は薄暗いそれらしい入り口が! 中に入ると、「もう少しお待ちください!」と、あの「高橋さん」。恐縮して奥さんや若者のいるところに戻り、間違いないとウィンク。

やがて、案内係の女性が「お待たせしました」と待っているボクら4人のところに来て電気を点けた、その瞬間、エレベーターの扉が開いて、10数人の人が飛び出してきた。なんという絶妙なタイミング。時間とは、こんな感じで守るものか! と感じ入る。

案に相違して、食べ物はおいしかった。期待していなかった分、非常においしいとまで思った。特にわさび漬けは信じられないくらいおいしかった。

そして部屋に戻り露天風呂などに出向き、旅行気分を満喫して部屋に戻ると、気付かなかった扉が一つ。恐る恐る開けてみると、なんと! 部屋付の露天風呂ではないか!! すぐに湯を張ったのは言うまでもない。だが、ここでひと騒動。

ゴキが出た。散々湯を浴びせいい加減弱ったと思ったのだが、彼は弱っていなかった。

夜中に、気配を感じて目を覚ますと、ボクの布団の横を、よたよたとゴキが歩いているではないか! すぐさま飛び起き、追い詰め、パンと叩いて、申し訳ないが絶命。手を合わせて、トイレに水葬。

色々あるなと思いながら、ようやく落ち着いて、眠りにつきました。

この続きは、また明日。



小学校からの縁

2014-09-10 15:39:07 | 普通な人々<的>な
昨日、小学校時代からの女友達と会った。もう半世紀を超える付き合いだ。

とは言え、彼女は神戸在住で、会える機会を強いて求めたとしても、数年に一度ということになるのだが、その数年に一度の機会を、彼女が今回お膳立てしてくれたわけだ。

ただ、そのきっかけは小学校教員をしていた彼女の、教え子の葬儀。そのために上京するから、会おうということになった。なかなかに切ない思いを抱えての待ち合わせ。

彼女とは、なにか縁があって、ボクが別の女性と同棲をしたり付き合ったりしている時でも、連絡を取り合って話をしたりしていた。

時には夜を徹して飲んだりもした。今でも鮮明に覚えているのが、彼女の寝言だ。

20歳を過ぎて、ボクが高校の同じ部活動をしていた下級生と一緒に住み始めた阿佐ヶ谷の安アパートの部屋に、当時付き合っていた(やがて連れ合いになり、今でも何かおもろい夫婦をしているらしい)大学同窓の彼氏と遊びに来てしこたま飲んだのだが、酔いつぶれた彼女が寝言を言った、それはフランス語だった。

彼女がフランス語を専攻していたのかどうかも分からなかったが、フランス語の寝言だった。

彼氏と顔を見合わせて、あまりにも流暢なフランス語に酔いが覚めたのを覚えている。

そして久しぶりに昨日、面と向かって話したのだが、なぜ連絡をくれたのか尋ねると「色々な人に会っておきたいから」と言った。

それはボクも同じ気持ちだった。人と関わりはじめてから長い人生の中で、常に不義理をしてあらゆる人との関わりを断ってきたボクだが、最近は、許されるものなら多くの人たちと再会したいと思うようになっている。死期でも近づいてきたのかと、ちょっと意外な自分の心根に戸惑いもする。

昨日、半世紀の付き合いの彼女とは2時間を超えて話した。もちろん話しつくせる時間ではないが、今度はボクが神戸に出向いて話をしようと、約束した。要するに、なにかまだ先にも時間がありそうな気がしたのだ。

それにしても。彼女の人生にも耐えなければならない苦慮、苦渋があったのだということを、これまでも薄々は知っていたが、詳しく知った。長く生きれば生きるほど、それは誰でも高い頻度で出くわすものなのだが、耐え難い苦しみでもあったのだろうと、言葉もなかった。

だが、そうした営為は、爺、婆になってそれを口にすることが、少しでも互いに、「癒し」どころではない心の「浄化」に繋がれば良いとは思う。むしろ、そのためだけに人と会って話すのも良いとすら思える。

人間関係とは、それほど大事なものなのだと、思う。

暑いのに、夏の匂いがしない。変だ?

2014-08-19 00:17:24 | 普通な人々<的>な
そう思いませんか? なんだか暑いばかりで。

ふと鼻の裏をくすぐるような、降り始めた夕立に地面から巻上げられる乾いた土埃の匂いとか、陽に照らされて暑くなり汗まみれになった麦わら帽子の中の頭の汗の匂いとか、匂いではないけれどいきなりのかき氷でジーンと凍てついた鼻の奥の感じとか、夏を決定づけるようなファクターに一つも遭遇しない。

去年から気になっていたが、蝉の声も聴かない。啼くところでは啼いているのだろうが、ボクの暮らす生活エリアでは、耳にできない。

TVニュースを見れば、お初づくしの天変地妖。雨だ、嵐だ、ストームだ、川の決壊だ、と毎日どこかがこの国は雨風に晒され、ほら、そこでも土砂崩れ! これほどこの国は無防備な国だったか、と思わざるを得ない。

幼い頃、夏になれば騒ぎ出す欲求というものもあった。体を焼きたい、海に行きたい、水遊びがしたい、氷が食いたい、冷麦が良い、薬缶で煮出した麦茶が飲みたい、というような……。それらは今では多くが禁止事項だ。口にするものは衛生状態が心配で、遊びたければ必死で太陽との折り合いをつけるしかない。

さらにはいまや騒ぎを起こす者は集団から弾き出される。海べりに近づくこともできない。

声高に聞こえてくるのは、管理するという宣言の声。

選挙の、統一地方選のまえぶれのようなものなのか。

それにしても、本当に! 夏がいない。

いったいどこへ行ってしまったんだろう?

いや、待てよ? ひょっとして、ボクだけ夏がなくなっている可能性もあるなぁ。

ボクだけ、夏を感じるセンサーが弱まってしまったとか……。

そこんところ、どうなんだろうな……。





チェロ発表会

2014-07-06 22:18:28 | 普通な人々<的>な
今日は、息子クンの伴侶の、チェロの発表会。

息子クンは奥さんのチェロ演奏にピアノ伴奏をつけた。演奏曲目は椎名林檎の「カーネーション」。

東京駅にほど近い、地下のこじんまりとした良いホール。

たくさんの、音楽教室の生徒さんたちが出演したが、なんとなく皆遠慮がちと言うか気後れしながら演奏しているような印象が残る。

結構たくさんの発表会の類は見聞きしてきているが、多くの場合、この気後れ気味の感じが多い。

教えておられる先生の、生徒との向き合い方や、一曲を仕上げるプロセスの捉え方などで様々に変わるもの。

ボクの奥さんもピアノの教室を続けているが、彼女の主催する発表会は非常に質が高いと、まるで贔屓の引き倒し、手前味噌的にそう思っていたが、今日の発表会での息子クンのピアノ伴奏を聞いて、明らかに質が高いと再認識した。

息子クンは、10年ほど前まで母親の主催するピアノ教室の生徒だった。その中で特段に秀でた生徒でもなかった。それ以降は、自分の好きな曲を家に帰ってきては時々弾くくらいだったのだが、今日の彼の伴奏を聞いて、こんなに違うものかと驚いた。

曲目は問題ではない。まず鍵盤のタッチが違う。ピアノを弾くという基礎的な素養がはっきりと外に向かって顕れている。曲の理解度、そして何のために自分がピアノを弾いているのかという点への思いもひっくるめて、ひとり抜きんでていた。

それがどうしたというところだが、別段どうもしない。

ただ、うちの奥さんはレベルの高いところで子供たちにピアノを教えているのだなと思っただけ。なにか、凄いなと再認識。

疲れが、今さら…。

2014-05-16 00:10:56 | 普通な人々<的>な
信じられないことに、あの1626㎞走破の強行軍の疲れが、今頃ご登場あそばしている。

腕が痛い。首が固まって頭が回らない。右足が突っ張っている。云々かんぬん……。

正直なところ、体の変調の理由に、すぐには思い至らなかった。なにしろ1週間以上前のことだから。

若い頃は、翌日。40歳代までは、翌々日。60歳までは、3日後。それが今や、無理をしたことによって疲労を覚えるのは、実感としては1週間後となった。

そのうち、この体の疲弊した感じは何だろう? と、原因に遡れなくなるほど間が空くようになるのだろうな。

これから先、体が辛い日が来ると、年齢からくるものと思い込んで、少しずつ弱っている自分を自覚し始めるのだろうが、実のところは、10日も前に、何か無理をしたツケが回ってくるだけなんだろうな……。そこのところは、はっきりと自覚しておこう。

自分の肉体・精神の崩れていくような感覚は、まだ味わいたくないからな。

それにしても。意外に直後はしれっとして自覚もなかったが、1626㎞の移動は、そりゃ結構疲れるわな。

1626km走破!!

2014-05-06 15:01:01 | 普通な人々<的>な
GW真っ最中というのに、さしたる渋滞にも遭遇せず、岡山―東京間(途中往復とも神戸に立ち寄り)1626㎞を無事走破! 行きは息子クン中心の運転で、ボクは500㎞ほど。帰りはボク中心で600㎞ほど。ほぼほぼボクが運転した感じ(彼は、「いや、おれの方が運転している!」と言うだろうな!)。

なによりなのはその日程で、いつものことながら目的のイベント(今回は法事)やらに間に合うためにはどうしても夜中の運転になる(だから渋滞にも巻き込まれないのだが…)。今回は3泊4日だったのだが、車中2泊。

なにやら、貧乏ロックバンドのツアーのような塩梅だが、それでもやっぱり楽しいのだな、車の運転は。

そういえば、今回集合した親戚の中で、義兄の息子が関西を中心にするロックバンドのボーカル(ベース)で、ツアーを繰り返している。

驚いたのは、名神・吹田SAで朝方ガソリンを補充してしていたら、娘が「なんだかアキラ(甥っ子の名前)によく似た人がいるものね」というから、隣りで給油中のワゴンの運転席を見たら、フードを被っているが確かに甥っ子そっくり。

「ほんとうだな」と言いながらもう一度見ると、どう見てもアキラ。こちらの車内は「どう見てもアキラだ!」と大騒ぎ。

彼は、なにやら運転席でスマホをイジクっていたが、窓を開け、起きている全員で「アキラ!」と呼ばわると、きょとんとした顔で、周囲をきょろきょろし、こちらの車の中のメンツの顔を見つけると、「ウォ~~!」と叫ぶ。

早朝の4時頃に、吹田SAなどという普段なら通り過ぎる場所、しかも何年振りかに通った場所で、何年もあっていない甥っ子と、隣り同士で給油するなんぞは、なんの差配か!? と感じ入ってしまった。

彼も当然、ツアーの途中で法事に参加するために強行軍でとりあえず実家に戻る途中だった、と、後で会って聞いた。

そんな万に一つの偶然で始まった珍道中だったが、岡山の温泉で朝風呂を楽しんでいたら、「東京で大きな地震があったらしいぞ」と義兄に言われ、飛び出して部屋でテレビをつけたら、なんだか幸せそうな番組ばかりで、それほどでもなかったかと安心した。実は、出かける前に、娘と「なんだか行っている間に地震が来そうな感じだ」「私もそう思う」なんぞと軽く話していたから。



また、写真をUPした通り、墓参りをしている最中天を見上げると、太陽をそれは美しい巨大な真円の虹が取り囲んでいるではないか! 吉瑞なのか凶瑞なのか!? (これは決してレンズの光学的作用などではありません)

岡山のお宿も、GWなのに1か月前に取れる宿って、どんなだよ? と思いながら期待せずに行ったところが、なんだかそこそこに立派なホテルで、食事もおいしゅうございました。

というように、なかなか刺激的で楽しい、3泊4日。

ただ今、無事戻りました。



6日まで、ほぼ車上生活。

2014-05-03 12:24:38 | 普通な人々<的>な
昨日ここで書いた通り、関西方面に行ってまいります。

あと何回遠出できるか、想像もつきませんが、まぁ、行ってきます。

従って、少なくとも3日はブログを書けません。

スマホで、という手もありますが、その時間があるかどうか……。

旅の途中、何かあれば認めます。

というわけで、しばしご無沙汰でよろしく。

<3日間の車上生活者(内1日は温泉!)>

13回忌。義父の法事で兵庫に走る。

2014-05-02 23:55:51 | 普通な人々<的>な
久しぶりに、車の運転。

義父の13回忌の法要。もうそんなになるのかと、あきれるくらい年月の経つのは早い。

我が夫婦+娘+息子夫婦+お孫くん。それに茶色い短毛・胴長の異種の娘を引き連れ、総勢5人と1匹。

まだ明日の話だが、少し緊張気味(本当のところ、そうでもないのだが…)。そのくらいの方が、安全運転できそうだ。

エスティマのハイブリッド。レンタカー。

目的地は兵庫県の日本海側。そこに義父の墓がある。

墓参りと法要の後は、もう少し足を伸ばして、岡山の湯郷に行く予定。

きっと体はしんどいだろうな。でも楽しいだろうな。

なんだか、緊張とウキウキ感が「ハーフハーフ」。





クラス会。

2014-04-13 22:29:58 | 普通な人々<的>な
今日は、クラス会。昼から新宿の楼外楼で。

なんのクラス会かというと、小学校の。

誰も信じない。

先生も健在。50人ほどのクラスのメンバー中、26人が集った。

アンビリーバブルだ。

先生は86歳。これが最後のクラス会にしようということで、皆集まった。

色々あるのだ。

いいなぁ! なにか腹の底から沸々と暖かい。

誰もかれもが、50年前と同じように立っている。笑っている。

皆それぞれの思い、生き方、人生を経て、それぞれの顔になっている。

男も女も、それは美しい。

良い一日だった。




故郷・島根県のこと。

2014-04-12 13:56:23 | 普通な人々<的>な
高度経済成長期には、日本の最過疎県の一つとして、ほとんど脚光を浴びることもなかった島根県だが、この2~3年、妙に注目を浴びている。

島根県はボクの生まれた場所であり、他の道府県よりは愛着がある。すでに60年という長きに亘り住居している東京への愛着はそれなりにあるが、島根県への憧憬は曰く言い難いものがある。

すでに縁ある親戚も知人もほとんどなく(よしんばあったとしても、記憶にないのだ)、故郷・島根への思いを支えているのは、ただただボク自身の4歳までの記憶だけなのだが、その記憶は鮮明で、忘れることはない。

それはさておき、近年の島根県への注目は、一つは竹島問題であり、もう一つは昨年行われた60年に一度の出雲大社の遷宮に関わるものだった(ボクは今年65歳になるのだが、4歳の時に家族共々島根から東京に移り住んだ。してみると、前回の遷宮の時にボクは島根を離れたことになるのだな!)。

竹島問題と出雲大社は、一見何の関係もなさそうだが、ボクの中では非常に近接したものとしてある。

それは古代日本の国譲りと、深く関わる。

ボクの中では国譲り神話は、土着の縄文系住民と大陸或いは半島からの移住民である弥生系住民との覇権争いの結果惹起した、非常に現実的なパワーポリティクスというか、権力の平和的移譲という事実としてある。

土着の大国主命(=大物主命)から、大陸からの移住民である天孫系の先遣隊長とでもいうべき建御雷神(タケミカツチノカミ)に、出雲大社の建設を条件として「国譲り」を承諾するのだが、2014年という、その出雲大社遷宮の年に、半島からあからさまな竹島という「国譲り」の恫喝が激しさを増したのは、なんだか偶然とは思えない(尖閣列島も同じだ)。

現在の日本は、天孫系の人々の末裔が司る国家。一見、国譲り神話の建御雷神以前に国津神・大国主命の存在としての大きさに帰順してしまった天菩比神(アメノホヒノカミ)や、天若日子(アメノワカヒコ)等のように、同化しているような側面もある。だが、現在の大陸・半島からの恫喝に対しては、かつての国津神のような立場になってはいるが「平和的移譲」など端から考えない。なにしろ自分たちも、かつて国を奪い取った側だから。

もっと言うと、日本の中に大陸や半島の恫喝を積極的に受け入れようという勢力すらある。それもやはりかつての大陸・半島系の末裔であろう。内応とでもいえるか。

同じ大陸・半島系の末裔が、両極に分かれ存在しているのが、今の日本。その中にあって本当の「平和的」解決を模索しているのが縄文系の末裔。そんな区分けができるように、ボクは思う。

国譲りの舞台は奇しくも出雲=島根県。そしてボクの故郷。言ってみれば最大の国(=出雲)難に、ボクになにができるのか? ちょっと考え始めているのだよ。


最近惚け始めている? そんな気がする今日この頃

2014-03-30 14:32:18 | 普通な人々<的>な
「あれ」という言葉と「それ」という言葉と、「飯」、「うまい」、「いいね」、「寝るか」、「元気?」程度の言葉で、ほぼ一日の会話が成立する今日この頃。

皆さんお変わりありませんか?

この言葉しか思い浮かばないこと自体、大いに「お変わり」があるのだが、そのことに気付きもしない。

斯く言うボクもその一人になりつつあるのかもしれないと、最近、少し恐ろしく思えてきた。

皆、せっせと働こう!? 汗を流して、記憶の詰りも流し去って、決してアルツ呆けなどにならぬよう、人と触れ合って(握手、ハグなど肉体的な触れ合いは中でも大事)生き抜こう!

まず「あれ」、「それ」という代名詞を使わぬよう、常に記憶と向き合おう。そして、人とのかかわりを円滑にしたいあまりに、差し障りのない言葉しか使わないということのないよう、気を付けましょう。

ここに記事を書くことは、その一歩なんだが、少しテーマを考えにくい頭(脳)になってきているような気もする。

抗うには、書くしかないと、また書き始めます。

娘の卒業

2014-03-19 02:03:13 | 普通な人々<的>な
昨日、3月20日。我が家の、下の娘の卒業式だった。無事に大学を卒業したのだ。何とも言えない感慨がある。

工学部で四年間学んだのだが、考えてみれば今流行の「リケジョ」ということになるか。

実は、わが加藤一族は、男どもはただの一人も大学を卒業しておらず、女性陣は高学歴。

父は尋常小学校しか出ていないし、二人の兄は東京で六大学の名門M大学に入りはしたが、いずれも中途で退学した。かくいうボクも、W大に入りながら三年で中退した。

息子は、私立のT大に入学したが、知る限りほとんど学校に行かず、にも拘らず7年間在籍し結局卒業せず、やめた。それはそれで価値ある時間だったと思うし、立派に社会で頑張っているが、大学は出ていないのだ。

ボクの母は、戦前の女性としては珍しく高等女学校を出ている。ボクの姉はボクと同じW大学を卒業している。妻もO阪音大を卒業している。そしてボクの娘も大学を出て、学士様ということになった。偏りの大きな一族ではある。

娘は4月から、中堅企業でSE的な仕事に就くらしい。

それにしても。昨日の天気は驚くほどに悪かった。今日は晴、一昨日以前も晴。昨日だけ雨風の強い一日になった。冷たい雨に濡れるのも可哀そうだし、ボクら夫婦も濡れるのは嫌で、レンタカーを借りて行き来した。それはそれで、何か楽しい記憶に残る卒業式ではあった。

昨日の袴姿の娘は、輝くほど愛らしく、希望というオーラに包まれ、まぶしかった! すでに良き人生の一歩を踏み出したという思いがして仕方ない。

今日は、一日遅れの謝恩会に出かけて行った。

ドレスコードのあるうようなフォーマルな会で、出渋っていたが、いざ出かけるときには、立派なレディの装いで出かけて行った。

頑張れ! ボクも妻も、いつまでも、そして常にキミの味方で、困ればいつでも力を貸す。

キミが娘で、本当に良かったと、心の底から思えた、昨日今日。



脚が、速い!

2014-03-02 12:41:31 | 普通な人々<的>な
60数年生きてきて、最近不思議に思うこと。

普段、何気なく歩いている速度が、速い。

一生を通じて、今が一番速いのではないか? 最近、そう思っている。

思い出しても、どちらかと言えばゆっくりと、鷹揚に歩いていた印象を、自分でも持っている。

それが、ふと周りの人の歩行速度よりも速いことに気がつくのだ。つまり、早く歩こうとは、自分自身では考えていない。

何か生理的なものなのかもしれない。要するに、自分の中で、ゆっくり歩くことに飽きたとでも言えばいいのか。

それが何故この歳になって自覚できるほどの変化となって現れてきたのかが、不思議なのだ。

まあしかし、あながち悪いことでもないので、放っておいている。