久しぶりです。PCの前に5分以上座ることもなく、何日も過ぎてしまった。
昨日の朝方、夜中の仕事を終えて、ボーっとした頭でバスに乗っていたら、突然トールキンの「ホビットの冒険(プレ指輪物語)」を初めて読んだ時のことを思い出した。それは、23歳くらいのことだったから40年前になる。それ以降、ボクの最も好きな文学作品であり続ける。
女友達の妹さん(立教大学の学生だった)が、トールキン作品そのものだったか、翻訳家・瀬田貞二氏の研究をしていたかなにかで、この作品を紹介されたのだ。彼女は、高く高くこの作品を評価しており、続いて「指輪物語」をボクに教えてくれた。
内容はそれぞれに読んでいただくこととして、読後感は衝撃的だった。ファンタジー作品がどうのというよりは、一つ一つの事象に対する細やかなトールキンの目線と、その目線の先に紡ぎだされる世界観は、それまで一度も触れたことのないものだった。
ことに「指輪物語」の世界観は、「中つ国」という、今で言えばヴァーチャルな世界が実世界と寸分も違わぬと思わせるほどの精緻さで描かれ、読者であるボクを容易に異世界へと誘ってくれた。ボクはそこでフロドやビルボと同じ空気を吸いながら、同じ冒険をしたように感じていたものだ。
「ホビットの冒険」のことを思い出しながら、「ナルニア国物語」のことも思い出した。これは高校時代にガールフレンドが教えてくれた。ただこちらは「指輪物語」とは違って、シチュエーションが楽しかった。タンスの奥の世界は、まさにボク自身が押入れの奥に見ようとした世界と近似だったし、入り込むと言うよりは純粋に楽しいファンタジーだった。
どちらも同じような時期に映画化された。「指輪物語」の映像クオリティーは、ボクが作品を読みながら思い描いていた世界より、はるかに奥行きのあるものだったし、「ナルニア~」は夢見心地のファンタジーに仕上がっていた。
「指輪物語」は70年代の後半か80年代の初め頃にアニメーション作品が公開されたことがあったが、世界観に押しつぶされたような作品で、映像クオリティーも低く残念な作品だった。
「ホビットの冒険」が、「指輪物語」と同じ製作スタッフで映画化されているそうだ。あの「裂け谷」「霧ふり山脈」「闇の森」の世界、ゴクリやゴブリン、巨大な蜘蛛との駆け引き、戦いは、絶対に観に行かなければ。
昨日の朝方、夜中の仕事を終えて、ボーっとした頭でバスに乗っていたら、突然トールキンの「ホビットの冒険(プレ指輪物語)」を初めて読んだ時のことを思い出した。それは、23歳くらいのことだったから40年前になる。それ以降、ボクの最も好きな文学作品であり続ける。
女友達の妹さん(立教大学の学生だった)が、トールキン作品そのものだったか、翻訳家・瀬田貞二氏の研究をしていたかなにかで、この作品を紹介されたのだ。彼女は、高く高くこの作品を評価しており、続いて「指輪物語」をボクに教えてくれた。
内容はそれぞれに読んでいただくこととして、読後感は衝撃的だった。ファンタジー作品がどうのというよりは、一つ一つの事象に対する細やかなトールキンの目線と、その目線の先に紡ぎだされる世界観は、それまで一度も触れたことのないものだった。
ことに「指輪物語」の世界観は、「中つ国」という、今で言えばヴァーチャルな世界が実世界と寸分も違わぬと思わせるほどの精緻さで描かれ、読者であるボクを容易に異世界へと誘ってくれた。ボクはそこでフロドやビルボと同じ空気を吸いながら、同じ冒険をしたように感じていたものだ。
「ホビットの冒険」のことを思い出しながら、「ナルニア国物語」のことも思い出した。これは高校時代にガールフレンドが教えてくれた。ただこちらは「指輪物語」とは違って、シチュエーションが楽しかった。タンスの奥の世界は、まさにボク自身が押入れの奥に見ようとした世界と近似だったし、入り込むと言うよりは純粋に楽しいファンタジーだった。
どちらも同じような時期に映画化された。「指輪物語」の映像クオリティーは、ボクが作品を読みながら思い描いていた世界より、はるかに奥行きのあるものだったし、「ナルニア~」は夢見心地のファンタジーに仕上がっていた。
「指輪物語」は70年代の後半か80年代の初め頃にアニメーション作品が公開されたことがあったが、世界観に押しつぶされたような作品で、映像クオリティーも低く残念な作品だった。
「ホビットの冒険」が、「指輪物語」と同じ製作スタッフで映画化されているそうだ。あの「裂け谷」「霧ふり山脈」「闇の森」の世界、ゴクリやゴブリン、巨大な蜘蛛との駆け引き、戦いは、絶対に観に行かなければ。