古い話だが、2012年10月にイタリアで、7人の地震学者が「2009年の地震予知を外し309名の人命が失われた」として、過失致死罪で有罪判決を受け禁錮6年を言い渡された。ことの是非はともかく、こうした判断はこれから先いつでもどこでもくだされる可能性があるということだ。
地震国日本でも大々的に取り上げられたが、日本の地震予知はなにかあらぬ方向に向かっているような印象を受ける。
というのも、3.11以前も地震は確かに喫緊の災害としてメディアなどでも取り上げられていたし、その災害の大きさにも言及されていたが、どちらかといえば不安を煽ることは避けるというスタンスで、むしろ被害も小さめに想定していたような気がする。
それが最近の地震予知というか地震研究は、東南海地震の研究に顕著なように、地震の規模が嵩ましに大きくなって、とうとう東南海地震での被災者は1000万人超と言うことになった。東京の直下型地震研究でも同様だし、東京周辺に顕在している地震研究のほとんどはM、震度をより大きく、被害想定も可能な限り大きくしている印象だ。
これは一体どういうことなのかと、久しぶりに頭をひねってみた。中身がはみ出しそうになったが、これは、地震研究に責任ある連中の、責任回避策だという結論に達した。
要するに被害などの想定値を大きくしておけば、実際に地震が起きて被害を受けた場合、想定より小さければ被害が少なくて済んだ印象を与えることができる。それに、被害が小さければ「良かった」ということになる。よしんば被害が想定に近くとも、予想通りだと胸を張れる。ある意味責任回避ができる。要するに、これ以上は想定できない想定地を出しておけば、万事丸く収まり、イタリアの地震学者のような目には合わずに済み、責任回避ができるということだ。
ちょっと穿った見方かもしれないが、頭をひねってみた結論はこれしかなかった。
地震国日本でも大々的に取り上げられたが、日本の地震予知はなにかあらぬ方向に向かっているような印象を受ける。
というのも、3.11以前も地震は確かに喫緊の災害としてメディアなどでも取り上げられていたし、その災害の大きさにも言及されていたが、どちらかといえば不安を煽ることは避けるというスタンスで、むしろ被害も小さめに想定していたような気がする。
それが最近の地震予知というか地震研究は、東南海地震の研究に顕著なように、地震の規模が嵩ましに大きくなって、とうとう東南海地震での被災者は1000万人超と言うことになった。東京の直下型地震研究でも同様だし、東京周辺に顕在している地震研究のほとんどはM、震度をより大きく、被害想定も可能な限り大きくしている印象だ。
これは一体どういうことなのかと、久しぶりに頭をひねってみた。中身がはみ出しそうになったが、これは、地震研究に責任ある連中の、責任回避策だという結論に達した。
要するに被害などの想定値を大きくしておけば、実際に地震が起きて被害を受けた場合、想定より小さければ被害が少なくて済んだ印象を与えることができる。それに、被害が小さければ「良かった」ということになる。よしんば被害が想定に近くとも、予想通りだと胸を張れる。ある意味責任回避ができる。要するに、これ以上は想定できない想定地を出しておけば、万事丸く収まり、イタリアの地震学者のような目には合わずに済み、責任回避ができるということだ。
ちょっと穿った見方かもしれないが、頭をひねってみた結論はこれしかなかった。