夏は悪くない。やれ熱中症やら熱射病やら、高齢者にとってキツイことは幾つもあるが、そこはそれ、工夫次第でなんとでもなる。
だがそれも、順当に季節が移ろうという前提があっての話。
まるでカットアウトする冬、カットインする夏のようで、肉体的には過度のストレスがかかっているのが自覚できるほどだ。
しかも、極端な温度変化が季節の変わり目に必ず顕れる様になっている。
以前にも書いた記憶があるが、日本人は季節感を極めて大切にする。5日に一つずつ名前をあたえているほどだ。
だがそれも、人々が季節の移ろいに何らかの価値や意味を感じられればの話で、季節そのものも不順で、季節に無頓着な人々の中では、何の意味も持たない。
だから、なんとなく今の世の中、この稿の前半にも書いたが、季節の移ろいは病名で表されるようになっている。
インフルエンザ、花粉症、熱中症云々。
情緒的表現としての季節は、すでにこの国から失われてしまったと、最近思う。
それがよいことであると云う意見もあろう。
ただ、無味乾燥、とだけは言えそうである。
だがそれも、順当に季節が移ろうという前提があっての話。
まるでカットアウトする冬、カットインする夏のようで、肉体的には過度のストレスがかかっているのが自覚できるほどだ。
しかも、極端な温度変化が季節の変わり目に必ず顕れる様になっている。
以前にも書いた記憶があるが、日本人は季節感を極めて大切にする。5日に一つずつ名前をあたえているほどだ。
だがそれも、人々が季節の移ろいに何らかの価値や意味を感じられればの話で、季節そのものも不順で、季節に無頓着な人々の中では、何の意味も持たない。
だから、なんとなく今の世の中、この稿の前半にも書いたが、季節の移ろいは病名で表されるようになっている。
インフルエンザ、花粉症、熱中症云々。
情緒的表現としての季節は、すでにこの国から失われてしまったと、最近思う。
それがよいことであると云う意見もあろう。
ただ、無味乾燥、とだけは言えそうである。