普通な生活 普通な人々

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「自分で決めたことだから」…なんて不条理な…。

2014-04-15 13:16:55 | まあまあ社会<的>な
以前に同じようなことを書いた。もう一度。

世界は意外に単純な仕組みで支配されている。思ったよりも簡単な仕組み。
もっと言えば、より単純化することで支配の効率を上げようと、支配する側は日夜腐心している。
彼らの仕事のほとんどは、それを考えること。
そして、支配される側にそのことを気付かせないよう、支配の方法論は覆い隠される。

だから、多くの人々は大抵の場合、自分が誰かに支配されているなどとは、毛筋ほども考えない。自由に生きていると確信し、疑いもしない。

一番便利な支配のための言葉がある。

「自分で決めたことだから」

これほど支配に都合のいい言葉、支配される側に植え付けると便利な「思い込み」はない。

人は何かを決断しなければならないことがある。のほほんとしていたいのに、二者択一を迫られる。「生」と「死」の分岐点でも。

時には初めから死を選択するように決められている場合もある。かの太平洋戦争中の特攻隊員のように。それでも、納得せざるを得ない言葉がこれ。

「自分で決めたことだから」

完遂しようと人々はあがく。だから支配する側は何をする必要もなく、眺めているだけでいい。

歴史を、支配の方法論の変遷とみることもできる。暴力的な獣性による支配から、論理的な仕組みによる方法論への変遷。

この世の中の仕組みを、60余年生きてきて、ようやく理解した。

簡単に言えば、
①誰が誰を管理するか?
②何を使って管理するか?
③いつから始まったことか?
④今はどういう形でそれが行われているか?
⑤どこを見ればそれがわかるか?

簡単に言えば、こんなことがわかるとこの世の中の仕組みのほとんどが瞬時にわかるという話だ。
それがわかるということは、やろうと思えば、その仕組みを壊すなり、入り込む方法を見つけるなりはできるということ。

ただし、やろうと思えば、だ。相手は巨大すぎて急所も見えない。

ただその相貌は、時々、具体的に書いていこうと思う。