前回、電話のことを書いた。まったく隔世の感がある。
同じ程度にその変化の大きさに衝撃を受けるのが、遊び道具だ。
昭和30年代。日本中を席巻した遊び道具が、3つあった。
それは、およそすべての日本人が、なんとか手に入れたいと思った類のものだった。それほど大流行した。
まず流行ったのは、ホッピング。昭和32年のことだった。一本足のポゴスティックとも呼ばれる遊び道具に似た、バネを仕込んでより高く飛び上れる、オモチャというより、運動道具だった。今でも、売られていて高度な技を見せてくれる若者もいるようだが、当時はみんな道路でただただピョンピョン飛んでいた。だが、なぜか急激に下火になった。
その理由は「胃下垂になるから」というものだった。首をかしげたくなるような理由だった。
次はフラフープ。直径1メートルほどのプラスティック様の輪っかで、それを腰のあたりや首で回転させて遊ぶ。ただそれだけのものだったのだが、爆発的なブームになった。元々はアメリカからの輸入物だった。昭和33年のことだ。ボクは小学1年生ぐらいだったが、腰をうまく使いながら、いつまででも廻していられた。廻し続けられる少年少女は、モテた。
だが、あるときを境に一気に下火となった。なぜか? これは「腸捻転の原因」と言われ始めたからだ。
なんだか妙な理屈だらけで不思議な感じだ。
腸捻転はどうかわからないが、確かにやりすぎると腹回りが痛くなり、腹筋にも過度の負荷がかかった。そう考えれば、今でもフラフープが、ダイエット用品として頗る人気の理由が分かる。
次に大流行りしたのが、ダッコちゃんだ。これは昭和35年頃の流行だった。
真っ黒なビニール製の人形で、当時の言葉で「黒んぼ(黒人の蔑称のように受け取られている)」を模した、両腕が輪っかを作り、ちょうど二の腕辺りにコアラのように抱きつかせて歩く、これもただそれだけのオモチャだった。その姿かたちは、当時の人気児童書「ちびくろサンボ」(1980年代になってエキセントリックな反差別主義で、発売自粛というか発禁になってしまった)と重なって、なお人気だった。
夏の海岸などは、誰も彼もがダッコちゃんを腕に留めて闊歩していた。街中でも女の子の腕にはダッコちゃんがくっついていた。
一体どれほど売れたものかわからないが、現在のタカラトミーの前身、宝ビニールという会社が制作・販売し、大儲けしたという話は聞いたことがあった。
この3つの遊び道具が、昭和の3大オモチャ。考えてみれば、すべて遊んだ。そしてあっという間の下火にも、世間様と歩調を合わせた。
ただ、その遊び道具は、どれも外で体を使って遊ぶ道具だった。
いま、家の中でオンラインゲームなどで遊んでいる子どもたちの姿を見ていると、まさに隔世の感があり、どちらが良いのかなどと考えてもしまう。
外で遊び辛い時代ではある。実際にわけの分からない、それとわかる危ない人も多い。地域の高齢者が子どもに声をかけるだけで、変質者扱いされるような時代。それでも、やっぱり「外で遊ぶ方がよくね?」などとお節介なことを言いたくもなる。ただ、昭和30年代の遊びも、いま考えればそれ程おすすめでもない。
どちらかといえば、野原で蝶々を追い回し、小川でメダカ取りに興じて遊ぶ子どもが一番だと思うのだが、最近は野原も小川も、蝶々もメダカも何もない。
やんぬるかなという所。
同じ程度にその変化の大きさに衝撃を受けるのが、遊び道具だ。
昭和30年代。日本中を席巻した遊び道具が、3つあった。
それは、およそすべての日本人が、なんとか手に入れたいと思った類のものだった。それほど大流行した。
まず流行ったのは、ホッピング。昭和32年のことだった。一本足のポゴスティックとも呼ばれる遊び道具に似た、バネを仕込んでより高く飛び上れる、オモチャというより、運動道具だった。今でも、売られていて高度な技を見せてくれる若者もいるようだが、当時はみんな道路でただただピョンピョン飛んでいた。だが、なぜか急激に下火になった。
その理由は「胃下垂になるから」というものだった。首をかしげたくなるような理由だった。
次はフラフープ。直径1メートルほどのプラスティック様の輪っかで、それを腰のあたりや首で回転させて遊ぶ。ただそれだけのものだったのだが、爆発的なブームになった。元々はアメリカからの輸入物だった。昭和33年のことだ。ボクは小学1年生ぐらいだったが、腰をうまく使いながら、いつまででも廻していられた。廻し続けられる少年少女は、モテた。
だが、あるときを境に一気に下火となった。なぜか? これは「腸捻転の原因」と言われ始めたからだ。
なんだか妙な理屈だらけで不思議な感じだ。
腸捻転はどうかわからないが、確かにやりすぎると腹回りが痛くなり、腹筋にも過度の負荷がかかった。そう考えれば、今でもフラフープが、ダイエット用品として頗る人気の理由が分かる。
次に大流行りしたのが、ダッコちゃんだ。これは昭和35年頃の流行だった。
真っ黒なビニール製の人形で、当時の言葉で「黒んぼ(黒人の蔑称のように受け取られている)」を模した、両腕が輪っかを作り、ちょうど二の腕辺りにコアラのように抱きつかせて歩く、これもただそれだけのオモチャだった。その姿かたちは、当時の人気児童書「ちびくろサンボ」(1980年代になってエキセントリックな反差別主義で、発売自粛というか発禁になってしまった)と重なって、なお人気だった。
夏の海岸などは、誰も彼もがダッコちゃんを腕に留めて闊歩していた。街中でも女の子の腕にはダッコちゃんがくっついていた。
一体どれほど売れたものかわからないが、現在のタカラトミーの前身、宝ビニールという会社が制作・販売し、大儲けしたという話は聞いたことがあった。
この3つの遊び道具が、昭和の3大オモチャ。考えてみれば、すべて遊んだ。そしてあっという間の下火にも、世間様と歩調を合わせた。
ただ、その遊び道具は、どれも外で体を使って遊ぶ道具だった。
いま、家の中でオンラインゲームなどで遊んでいる子どもたちの姿を見ていると、まさに隔世の感があり、どちらが良いのかなどと考えてもしまう。
外で遊び辛い時代ではある。実際にわけの分からない、それとわかる危ない人も多い。地域の高齢者が子どもに声をかけるだけで、変質者扱いされるような時代。それでも、やっぱり「外で遊ぶ方がよくね?」などとお節介なことを言いたくもなる。ただ、昭和30年代の遊びも、いま考えればそれ程おすすめでもない。
どちらかといえば、野原で蝶々を追い回し、小川でメダカ取りに興じて遊ぶ子どもが一番だと思うのだが、最近は野原も小川も、蝶々もメダカも何もない。
やんぬるかなという所。