なぞなぞのような等式だが、実はこれが本当の世界だと、最近つくづくと思う。
簡単な話、ボクの仕事の実力が1だとしよう。そしてボクの同僚の実力も1だった場合を考えてみる。
ボクの1と同僚の1が、そのままの実力と仕事量で換算できれば1+1=2になるかもしれない。だが絶対にそんなことはない。ありえない。
なぜならそれぞれの1には、プラスかマイナスかはわからないが、必ず相乗効果あるいは相殺効果がある。それは、例えばボクの知らないことを同僚が知っているという1点だけで、1+1=2の等式は崩れる。また、二人とも知らない事案が出来すれば、やはり等式は不成立になる。
これはどういうことかといえば、俗にいう会社組織内の「工数管理」という概念が成立しないことを意味する。
工数管理の眼目は、一定の作業は同じ人間の行為として常に一定であるという前提がある点にある。「ある」ばかりが続いて気持ちが悪いが、仕方がない。もっと言えば、同じ作業は別の人間が行っても工数としては全く同等であると換算する。そうでなければ、工数という数字での管理など意味がない。
もう少し複雑な工数換算法があるのかもしれないが、基本は同一の労働単位、時間単位を持たなければ成立しないのは事実だ。
ボクは労務管理士でも、労働監督責任者でもないので詳しいことはわからないが、工数管理などという労働効率の管理法は、いかにもデジタル的だ。
そういう労働環境に身を置いているが、1を1としか換算できない経営者、上司の下では働く意欲はダダ下がりだろう。
労働はもっとフレキシブルで、予測もつかない出来事の積み重ね、きわめてアナログ的だ。どうせならそうした発想の経営者、上司と働きたいものだと、つくづく思う。
簡単な話、ボクの仕事の実力が1だとしよう。そしてボクの同僚の実力も1だった場合を考えてみる。
ボクの1と同僚の1が、そのままの実力と仕事量で換算できれば1+1=2になるかもしれない。だが絶対にそんなことはない。ありえない。
なぜならそれぞれの1には、プラスかマイナスかはわからないが、必ず相乗効果あるいは相殺効果がある。それは、例えばボクの知らないことを同僚が知っているという1点だけで、1+1=2の等式は崩れる。また、二人とも知らない事案が出来すれば、やはり等式は不成立になる。
これはどういうことかといえば、俗にいう会社組織内の「工数管理」という概念が成立しないことを意味する。
工数管理の眼目は、一定の作業は同じ人間の行為として常に一定であるという前提がある点にある。「ある」ばかりが続いて気持ちが悪いが、仕方がない。もっと言えば、同じ作業は別の人間が行っても工数としては全く同等であると換算する。そうでなければ、工数という数字での管理など意味がない。
もう少し複雑な工数換算法があるのかもしれないが、基本は同一の労働単位、時間単位を持たなければ成立しないのは事実だ。
ボクは労務管理士でも、労働監督責任者でもないので詳しいことはわからないが、工数管理などという労働効率の管理法は、いかにもデジタル的だ。
そういう労働環境に身を置いているが、1を1としか換算できない経営者、上司の下では働く意欲はダダ下がりだろう。
労働はもっとフレキシブルで、予測もつかない出来事の積み重ね、きわめてアナログ的だ。どうせならそうした発想の経営者、上司と働きたいものだと、つくづく思う。