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東京「昭和な」百物語<その32>カラクリ

2017-12-04 00:41:59 | 東京「昔むかしの」百物語
戦後。

太平洋戦争が終わり、進駐軍(GHQ)が日々日本人の生活のそこここに影を落としていたような時代。昭和20年代中頃。

それこそ陰謀と呼ばれるような事件が頻発した。例えば、国鉄(今のJR。昔主な鉄軌道は国の経営だった)三大ミステリー事件と呼ばれた無人列車の暴走・脱線事件「三鷹事件」(1949年7月15日)、国鉄総裁謀殺事件「下山事件」(1949年7月6日)、故意の列車脱線転覆事件「松川事件」(1949年8月17日)など。

ここで気づくのだ。例えばこの国鉄三大ミステリー事件が起きた日付は、ボクの誕生日(1949年7月12日)を挟んでいずれも一カ月前後で立て続けに起きている。

ま、それがどうしたという話だが……。

国鉄の三大ミステリー事件だが、当時の国鉄は労働組合天国だった。労組を領導する共産党の天国と言ってもいい。当時の共産党は武闘路線で党勢を拡大し、衆院で35議席を獲得するほどの勢いを持っていた。

要するに左派天国。三大ミステリー事件も左派勢力によるものとされた。

冒頭にも書いたが、当時は連合国軍占領下にあった。やがてGHQによる思想統制とでもいえるレッドパージへとつながっていくのだが、国鉄の人員整理をしやすくするために、GHQが事件を起こし国鉄労組や共産党に罪をなすりつけた事件ともいわれた。

これには、さまざまな意見もあるのだが、左派の仕業と考えるのが最も論理的だろう。GHQの陰謀とする意見もあるのだが、そんな小細工をする必要がないほどGHQの力は強大だった。

わざわざ左派勢力に罪を擦り付ける必要などない。現に、昭和28年にはレッドパージが始まり、左派勢力は壊滅的な打撃を受ける。こんなミステリアスな事件を起こす必然性がない。

逆に左派勢力の仕掛けたカラクリ、トリックだったかもしれない。武力革命を標榜していた当時の左派勢力が、自己顕示を目的に領導した事件と考える方が、素直に受け入れられる。

後々に、連合赤軍や日本赤軍が引き起こした、ハイジャックや数々の暴力事案のルーツになった事件と考える方が分かりやすい。

やがてボクも気づくことになるのだが、日教組などの左派勢力が画策した「左派勢力の主張、行動は歴史的にも社会的必然としても正しい」といったカラクリは、目の前で起きているが、あまりに近すぎて気が付かない。そんな時代だった。

これらの事件以外にも、帝銀事件など不可解な事件も起きている。昭和23年1月26日に帝銀椎名町支店で、男が赤痢の予防と偽って行員16人に青酸化合物を飲ませ殺害し、現金16万円と小切手を奪った大量殺戮事件だ。この事件では、自称テンペラ画家(テンペラは画材の一つ)・平沢貞通が犯人とされたが、当初の自白を翻し無実を主張するも死刑が確定、しかし刑務所で95歳まで死刑の執行を受けることなく生き続け、老衰で死亡した。なぜ死刑の執行が行われなかったのかが、謎とも言われている。

不可解、深い闇、謎……こんな言葉が似あうのが昭和40年代までの日本だった。

もちろんボクにとってオンタイムでの出来事ではなかったが、それらの事件の影は昭和50年代半ばまでは続いた。つまりボクが30歳代になる頃まで。20歳代の半ばにジャーナリズムの世界に入ったボクにとっても、これらの事件はまだまだ色鮮やかな時代を彩るモチーフであり、これらの事件に関わる書籍などもよく読んだ。

昭和という時代はアナログの時代であり、始まりがあれば終わりがあるという時間の流れ、空間の制限があった。事件は解決しなければならないものであり、解決のためには必要な時間をかけたのだ。

結局未解決ではあったのだが、そうした事件を記憶しておくべき事象(当事者の存在、マスコミの継続報道)は、平成になるとなぜか掻き消えた。

そして、そうした事件があったことすら人口に膾炙することもなくなった。

小難しい話は、これくらいにしておこうかな。