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東京「昭和な」百物語<その34>銀座

2018-02-06 01:18:29 | 東京「昔むかしの」百物語
ボクらの青春時代に、銀座周辺は欠かせないものだった。数寄屋橋や日比谷、京橋、日本橋、新橋までは、徒歩圏内で歩いて移動したものだ。

銀座の柳、もまだ残っていた。

銀座4丁目の三愛と服部時計店、三越といったランドマークだけでなく、日比谷近辺の映画館(ほとんどなくなってしまった)、文具の伊東屋などなど、別段なにをするわけでもなく歩きまわった。

昭和40年前後には「みゆき族」が出現し、みゆき通りには当時のメンズ・ファッションブランド「VAN」や「JUN」の薄茶色の紙袋を持ったアイビー共が溢れていた。ボクもその中に、少しだけいた。ニキビだらけの中・高生の頃だ。

あれやこれやあったのだが、一番記憶に残っているのは、日劇だ。映画館から劇場からストリップ劇場までそろっていた。

殊にストリップ劇場だった日劇ミュージックホールに出演する女性たちは、本気で尊敬できるダンサーだった。一番覚えているのは、アンジェラ浅丘、岬マコ、小浜ななこなどというスターたちだった。彼女たちは、踊り子と言う言葉がぴったりとはまるスターだった。田中小実昌などが、週刊誌にあれこれと書いていたのを思い出す。

ボクはまだ劇場に足を運べるほど大人ではなかったが、憧れの空間だった、憧れの踊り子たちだった。

大人になって唯一足を向けたストリップ劇場は、日劇ミュージックホールだった。日劇が取り壊される1981年までに、念願かなって2度だけ足を運んだ。

日劇ミュージックホールは、女性の裸が芸術にまで昇華した空間だった。

いまでは銀座もただの東京の一地域に過ぎないが、昭和の頃の銀座は、なにか「銀座」と聞いただけで身が引き締まるような、わくわくするような、ある種「聖地」のような、特別な地域だったのだった。