ボクが東京に家族と移住してきた頃、東京の繁華街のランドマークはほぼ百貨店だった。
銀座には松屋、三越、松坂屋、日本橋には白木屋、有楽町にはできたばかりのそごう。東京には大丸。
白木屋は呉服店として江戸期から続く名門だった。昭和7年、火災で多くの女性が焼死するという痛ましい事件が起こる。なぜ女性が多く焼死したのかといえば、当時の和装の女性たちには下着をつける習慣がなく、高所からの救助にホトが見えてしまうのではないかと二の足を踏み、焼死したらしい。そしてこの火災を契機に、日本女性も下着(ズロース)を着用する習慣が生まれたと言われている。子どもの頃白木屋と聞くと、道を挟んだ反対側に赤木屋というプレイガイドがあり単なる赤白という対比が印象的で、記憶に残っている。いつの間にか名前が変わり、業態自体もなくなってしまった。
そごうは有楽町の再開発で誕生した関西系の百貨店だった。日本で初めて「エアー・ドア(カーテン)」、要は今で言うエアコンを導入したデパートだったと記憶している。物珍しさに誘われてその風に当たるためだけに母親と出かけた思い出がある。それまでは、どこの百貨店でも夏には大きな氷柱を通路の真ん中に設えて涼を提供していた。エスカレーターもそごうが先鞭をつけたのではなかったか? フランク永井が唄って大ヒットした「有楽町で逢いましょう」という昭和歌謡は、このそごうのコマーシャルソングとして作られた曲だった。
銀座周辺以外の繁華街も、百貨店がランドマークだった。
ボクが一番出掛けたのは新宿で、東口では伊勢丹と三越が覇を競っていた。西口には京王、小田急ができたが、伊勢丹、三越の方が格上と思われ、新宿と言えば東口がメインだった。昭和40年頃まで、伊勢丹の一角に「額縁ショー」を売りにしたストリップ劇場があったように記憶しているが、間違いかもしれない。
池袋には東口に西武、西口に東武があった。このねじれがまた面白かった。東口には三越もあった。西武の最上階の大食堂で、よくカレーを食べた。
澁谷には東急と西武があった。東急にはプラネタリウムが併設されていた。
ざっと東京の繁華街を思い出してみると、こんな感じだ。昭和40年前後までは、この図式に変化はなかった。それが昭和45年を境に、音を立てて変化し始めた。そして平成になると、百貨店そのものの凋落が顕著になり、現在でも残ってはいるものの、他のランドマークにとって代わられ始めている。
昭和を知る者にとっては、少し寂しさを感じるが、ま、やむを得ないと言うところだ。
銀座には松屋、三越、松坂屋、日本橋には白木屋、有楽町にはできたばかりのそごう。東京には大丸。
白木屋は呉服店として江戸期から続く名門だった。昭和7年、火災で多くの女性が焼死するという痛ましい事件が起こる。なぜ女性が多く焼死したのかといえば、当時の和装の女性たちには下着をつける習慣がなく、高所からの救助にホトが見えてしまうのではないかと二の足を踏み、焼死したらしい。そしてこの火災を契機に、日本女性も下着(ズロース)を着用する習慣が生まれたと言われている。子どもの頃白木屋と聞くと、道を挟んだ反対側に赤木屋というプレイガイドがあり単なる赤白という対比が印象的で、記憶に残っている。いつの間にか名前が変わり、業態自体もなくなってしまった。
そごうは有楽町の再開発で誕生した関西系の百貨店だった。日本で初めて「エアー・ドア(カーテン)」、要は今で言うエアコンを導入したデパートだったと記憶している。物珍しさに誘われてその風に当たるためだけに母親と出かけた思い出がある。それまでは、どこの百貨店でも夏には大きな氷柱を通路の真ん中に設えて涼を提供していた。エスカレーターもそごうが先鞭をつけたのではなかったか? フランク永井が唄って大ヒットした「有楽町で逢いましょう」という昭和歌謡は、このそごうのコマーシャルソングとして作られた曲だった。
銀座周辺以外の繁華街も、百貨店がランドマークだった。
ボクが一番出掛けたのは新宿で、東口では伊勢丹と三越が覇を競っていた。西口には京王、小田急ができたが、伊勢丹、三越の方が格上と思われ、新宿と言えば東口がメインだった。昭和40年頃まで、伊勢丹の一角に「額縁ショー」を売りにしたストリップ劇場があったように記憶しているが、間違いかもしれない。
池袋には東口に西武、西口に東武があった。このねじれがまた面白かった。東口には三越もあった。西武の最上階の大食堂で、よくカレーを食べた。
澁谷には東急と西武があった。東急にはプラネタリウムが併設されていた。
ざっと東京の繁華街を思い出してみると、こんな感じだ。昭和40年前後までは、この図式に変化はなかった。それが昭和45年を境に、音を立てて変化し始めた。そして平成になると、百貨店そのものの凋落が顕著になり、現在でも残ってはいるものの、他のランドマークにとって代わられ始めている。
昭和を知る者にとっては、少し寂しさを感じるが、ま、やむを得ないと言うところだ。