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東京「昭和な」百物語<その54>長髪文化

2019-06-14 09:55:45 | 東京「昔むかしの」百物語
髪は長かった。


1975年頃のボク

もちろんビートルズやストーンズなど、欧米のミュージシャン達の影響はあったが、それよりも「なぜ長髪にするのか?」と言う理由が肝心だった。

今考えれば、本当に面倒な意識構造を持っていた。だがそれは自分自身のアイデンティティを発見することと同義であり、その作業を抜きにした自分はあり得なかった。

ボクにとって昭和とは、そんな時代だった。

ただ、その理由はそう大したものではなかった。

曰く「自分の納得できない枠組みを形作る社会への、反抗」
「社会的枠組みの中での、自己主張」「ヒッピー的ナチュラリズム」……。

なにより「もてるかもしれない」と言う幻想。中には、「床屋に行かずに済む」と言う切実な理由もあった。金がなかったのだよ。

だが、そうした訳のわからない理由であるにせよ、ものを考えるというきっかけの一つではあった。

よく学生運動と長髪を結びつけることもあったが、それは、床屋に行かないというだけの結果で、体制への反抗、的な意識とは一線を画していたように、ボクは思う。

髪の長い奴は「左翼」、短い奴は「右翼」的な短絡的判断も、横行していた。

ボクは髪が長かった。時にはインディアンの如く三つ編みにしてあるいたりもした。それは端から見れば、バカ野郎のファッションと思われただけだ。

昭和の日々の中では、長髪というカテゴリーが誕生し、その後の若者文化の中で、ヘアファッションの一つのチョイスとして定着した。

長髪の誕生そのものは、結構ハードな哲学的背景もあったが、それは昭和という時代での話。

ただ、ボクには今でも長髪に対する抵抗感は、皆無だ。