1960年代の後半、世界は「水瓶座の時代=アクエリアスエイジ」に対する期待に溢れた。
この「水瓶座の時代」というのは、西洋占星術を基礎とした「時代」の読み取り方とボクは理解しているのだが、もう少し詳しく書いてみたい。
毎年の春分の日に太陽の方角にある星座は、約2万5860 年の周期で一周すると言われる。なぜ12星座を経めぐるのかと言えば、地球は自転しているけれど、少し首を振っている。独楽は回転が弱くなると首振り運動を始めるが、地球も同じでその首振り運動=歳差運動に則して、太陽は12ある星座を経めぐる。
一つの星座の時代はおよそ2000年程度続き、これまでの知り得る限りの人類の歴史は、「牡牛座の時代」(B.C.4000~B.C.2000 )、「牡羊座の時代」(B.C.2000 年~紀元0年)、そして「魚座の時代」( 紀元0年~A.C.2000)と続き、2000年頃から春分の日に太陽のある星座は「水瓶座」になったと言われるのだ。
その説に従って、1960年代頃から「水瓶座」待望論が、西洋文明を担うアメリカやヨーロッパで澎湃として起こった。
なぜなら、自分達の精神が属する19~20世紀は西暦元年頃から始まった「魚座の時代」の末期で、「魚座」は支配を意味する時代であり、社会的ヒエラルキーや差別・分断という側面が、人々のコンセンサスとなっていて、その混乱の中で時代は戦争に明け暮れていた。その非人間的な時代相へのカウンターとして「水瓶座」は、一つはそうした権威や支配からの「解放」、「自由」「公平さ」「新生」といった精神の解放を意味する時代として待望されたのだ。
そして旧時代の象徴として「ベトナム戦争」があり、新時代の象徴として現れたのが精神の自由を標榜する、フラワー革命=ヒッピー的なるものだった。
アメリカでは、旧時代の象徴「ベトナム戦争」へのカウンターとして「平和」「自由」「平等」「反戦」を標榜するヒッピームーブメントが若者の精神の大きな潮流となった。音楽、演劇をはじめとする表現の世界でそれは顕著だった。映画ではハリウッド的な映画作りとは一線を画するニューシネマと呼ばれる表現が誕生する。ブロードウェイはオフブロードウェイ、オフオフブロードウェイが、音楽では西海岸を拠点としたロックが、ヒッピー的なる思想の代弁者となった。
さて、日本だ。日本ではそれほど若者に受け入れられることのなかったヒッピームーブメントだった。なぜなら、西洋占星術を背景にした「水瓶座の時代」などと言われても、まったくピンと来なかったし、日本も前線基地であったベトナム戦争に対する反戦意識は高まったものの、文化的なものへのヒッピー的アプローチなど、日本的尺度では理解しようもなかった。
ただ憧れはあった。それは長髪であったりベルボトムのジーンズであったり、単なるファッションとして昇華されていった。
そんな中、いかにも日本的なヒッピー理解として誕生したのが、新宿東口に誕生した「グリーンハウス」だった。今の新宿駅東口イベント広場(アルタの前)あたりにあった芝生の一角なのだが、そこに何するでもなく日がな一日過ごす一団がいた。それを、日本的ヒッピー=フウテンと言っていた。今の言葉でいえば、若いホームレスだったかもしれない。
実にただそれだけだった。政治的でもなく明確な目的意識もなく、ただただそこにいた。
これが世界を席巻した若者のムーブメント=ヒッピーの、日本的表象だった。もちろんユング的な深い理解をもってヒッピーだった人々もいただろう。だが結論から言えば、一つのヒッピー的表象だったグリーンハウスは、だからあっという間に官憲によって排除され、終わった。
昔むかしのお話しである。
この「水瓶座の時代」というのは、西洋占星術を基礎とした「時代」の読み取り方とボクは理解しているのだが、もう少し詳しく書いてみたい。
毎年の春分の日に太陽の方角にある星座は、約2万5860 年の周期で一周すると言われる。なぜ12星座を経めぐるのかと言えば、地球は自転しているけれど、少し首を振っている。独楽は回転が弱くなると首振り運動を始めるが、地球も同じでその首振り運動=歳差運動に則して、太陽は12ある星座を経めぐる。
一つの星座の時代はおよそ2000年程度続き、これまでの知り得る限りの人類の歴史は、「牡牛座の時代」(B.C.4000~B.C.2000 )、「牡羊座の時代」(B.C.2000 年~紀元0年)、そして「魚座の時代」( 紀元0年~A.C.2000)と続き、2000年頃から春分の日に太陽のある星座は「水瓶座」になったと言われるのだ。
その説に従って、1960年代頃から「水瓶座」待望論が、西洋文明を担うアメリカやヨーロッパで澎湃として起こった。
なぜなら、自分達の精神が属する19~20世紀は西暦元年頃から始まった「魚座の時代」の末期で、「魚座」は支配を意味する時代であり、社会的ヒエラルキーや差別・分断という側面が、人々のコンセンサスとなっていて、その混乱の中で時代は戦争に明け暮れていた。その非人間的な時代相へのカウンターとして「水瓶座」は、一つはそうした権威や支配からの「解放」、「自由」「公平さ」「新生」といった精神の解放を意味する時代として待望されたのだ。
そして旧時代の象徴として「ベトナム戦争」があり、新時代の象徴として現れたのが精神の自由を標榜する、フラワー革命=ヒッピー的なるものだった。
アメリカでは、旧時代の象徴「ベトナム戦争」へのカウンターとして「平和」「自由」「平等」「反戦」を標榜するヒッピームーブメントが若者の精神の大きな潮流となった。音楽、演劇をはじめとする表現の世界でそれは顕著だった。映画ではハリウッド的な映画作りとは一線を画するニューシネマと呼ばれる表現が誕生する。ブロードウェイはオフブロードウェイ、オフオフブロードウェイが、音楽では西海岸を拠点としたロックが、ヒッピー的なる思想の代弁者となった。
さて、日本だ。日本ではそれほど若者に受け入れられることのなかったヒッピームーブメントだった。なぜなら、西洋占星術を背景にした「水瓶座の時代」などと言われても、まったくピンと来なかったし、日本も前線基地であったベトナム戦争に対する反戦意識は高まったものの、文化的なものへのヒッピー的アプローチなど、日本的尺度では理解しようもなかった。
ただ憧れはあった。それは長髪であったりベルボトムのジーンズであったり、単なるファッションとして昇華されていった。
そんな中、いかにも日本的なヒッピー理解として誕生したのが、新宿東口に誕生した「グリーンハウス」だった。今の新宿駅東口イベント広場(アルタの前)あたりにあった芝生の一角なのだが、そこに何するでもなく日がな一日過ごす一団がいた。それを、日本的ヒッピー=フウテンと言っていた。今の言葉でいえば、若いホームレスだったかもしれない。
実にただそれだけだった。政治的でもなく明確な目的意識もなく、ただただそこにいた。
これが世界を席巻した若者のムーブメント=ヒッピーの、日本的表象だった。もちろんユング的な深い理解をもってヒッピーだった人々もいただろう。だが結論から言えば、一つのヒッピー的表象だったグリーンハウスは、だからあっという間に官憲によって排除され、終わった。
昔むかしのお話しである。