ボクにとって、音楽が生活の一部だった時期もあったが、今となっては寸毫も生活とは関係がない。そういう意味でいえば、純粋に個人的な好き嫌いで音楽を聴ける環境にあるといって良いのだが、昔のように、音楽に対してそれほどの意味を感じることがない。
昔むかし、ボクにとって音楽が生活の一部だったのは、1970年代=昭和の後半にあたる。音楽雑誌を作っていたということはもちろんのことだが、それだけではなく、音楽に大きな可能性と意味を感じていたのだ。簡単に言えば、音楽は世界を変える可能性すら秘めた、変革の道具とさえ思えたのだ。
1960年代後半から80年代前半の約20年、昭和40年頃から60年頃までが、ボクにとって音楽は生活の一部だった。毎日のように歌い、ギターをかき鳴らし、自分の表現欲求を満たしていた。そして他の「彼ら」の歌や音に、耳を傾けていた。
海外からは、驚くほど斬新で革命的と思えるほどの音楽が、毎日のように姿を現し脳髄を刺激した。フォークという潮流が現れ、ロックへと移行していった。そしてそれは、世界の政治動向とまったくリンクしていた。
今の音楽とは違って、当時の音楽は確かにすべての同時代人に共通するカルチャーだった。だから政治にも敏感に反応した。アメリカのベトナム戦争遂行という、今から考えれば暴挙としか言えない戦争行動に、世界中の若者が音楽でも対抗しようともがいていた。それはヒッピームーブメントや、学生運動と連動していった。
当時、保守的な社会と右翼的政治傾向がベトナム戦争遂行の主体者であり、それを阻止するのは左翼的政治傾向の標榜する革命的な行動しかないと、多くの若者が信じ行動した。
音楽そのもので何かができるわけではないとは知っていたが、音楽は確かに次の行動を見定め決定付ける指標にはなり得たように思われた。
1970年前後まで、音楽は革命的だった。というより左翼的だった。だがそれは瞬く間にエンターテインメント業界に取り込まれていった。「金の成る木」として「大人」が認めたのだ。そこから生れる「金」は、本来革命的だった「彼ら」を「大人」に変えた。それですべては終わった。1970年代前半は、その移行期で玉石混交とした時代だった。
だがそこに、レゲエとパンクという、まったく「大人」とは縁のないカウンターカルチャーの代表格が現れたことで、音楽は一変した。右翼だの左翼だのと言うステレオタイプの思想傾向ではなく、存在意義を問うかのような音楽たち。たちまちこの潮流は若者を、音楽を変えていった。だが、結局レゲエもパンクも、たちどころに「金の成る木」として「大人」の認知するところとなった。5年も持たなかった。
形だけのレゲエとパンクがもてはやされることになり、それはポップスの一つの形に過ぎなくなった。
ロック・ミュージシャンが、何億という「金」を稼ぐなどと言うのは、1970年頃まではあり得ないことだった。ここで書いてきた通り、ロックも含め音楽は意味のあるカルチャーの一つだった。だから「金」とは無関係のものだった。「金」は結果として付いてくるものであり、目的とするものではなかった。だから意味が持てた。「金」が目的になった瞬間に音楽の意味は消え失せたのだ。
したがって現在は、ボクにとって音楽は「寸毫も生活とは関係がない」のだ。
2020年のアメリカ大統領選挙で、アメリカのミュージック・スターたちが、選挙動向に影響力を行使しようとしていた。ことに女性ミュージシャンたちにその傾向が強かった。
だがボクの目には、肌を露わにし煽情的なダンスで何十億という金を稼ぐ彼女たちが、まるで街娼のようにしか見えない。つまりは「金」を目的とし、手段の一つとして身を売った女性のようにしか見えないのだ。
その彼女たちが、巨万の富を背景に政治を語ることの陳腐さを、はっきりと見せてくれたのが今回のアメリカ大統領選挙だった。
そう、音楽はボクの知るそれとは、まったく別のものになり果てているのだ。
それは日本でも同じことなのかもしれない。ボクの肌感覚では、そうなのだ。