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東京「昭和な」百物語<その55>ファッション、劇的な変化

2019-07-01 23:53:31 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和という時代に、少しは大人びた時を過ごした人ならば覚えていると思いますが、ファッションは決まっていましたよね?

サラリーマンのファッション、OL(ビジネスガールなんていわれた時期もありましたが、それは売春婦のことだとわかり、オフィスレディという言い方が主流になりました)のファッション、学者のスタイル、銀座のママのファッション、要は、一目で何をしている人か分かったのが昭和のファッション。

昭和50年頃までは、それこそその人の風体を見れば、なにを生業としているか一目でわかりました。

最近よく出てくる「反社会的な」皆さんも、見るからに「反社会的な」格好をしていました。

学生は学生服と相場は決まっていて、少し洒落てブレザー、とはいきませんでした。

女性はパンツスタイルすらあまり見かけず、ほぼ全員がふくらはぎくらいの長さのスカートでした。女子学生はことにそうでした。

サラリーマンは「ドブネズミ色」のスーツ、と相場は決まっていました。

昭和40年頃から変化の兆しが表れますが、それが表立った大きな社会的流れになるのに10年はかかりました。

ファッションに多様性が生まれたのは、時折触れる団塊の世代がそこそこに自己主張を始めたことがきっかけでした。

海外からの、カウンターカルチャーと言われるような、新しい思考法に基づいた発想から生まれるファッションを、いち早く受け入れたのは、もちろん団塊の世代でした。

それ以前は前世代の批判的なまなざしや直截な言葉で、ややもすれば自分の意見を封じ込める傾向がありましたが、団塊の世代は、自己主張を止めませんでした。

もちろん、体制というよりは前世代の意向をそのまま保守的に踏襲するグループもいましたが、彼らですら政治的な側面を抜き去った形としてのファッションには、そこそこに迎合していました。

男性ファッションにとっての変異点は、ビートルズ、女性ファッションの変異点は、ツイッギーだと、ボクは思っています。

いずれも1960年代中後半に日本の若者に多大な影響を与えました。その影響が満遍なく時代を覆いつくしたのが、昭和50年前後ということです。

誰も驚かなくなったし、批判すらされなくなりましたから。

それにしても、確かにファッションの劇的な変化が昭和という時代にありましたが、それ以降の凄まじい変化、なんでもありの今のような時代が来るとは、まったく想像の埒外でした。

だって、男どもの髪は長くても黒かったし、女性陣にもまるで下着としか思えないストリートガールのようなファッションはなかったものなぁ……。


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