大阪で、部活で体罰があり、高校生が自殺した。
なぜこんな暴力が許されるわけ?なぐることは暴力であり、教育ではない。
日本ではなかなかこのことが理解されにくい。よほどなぐられながら育ってきた人が多いにちがいない。なぐられることが愛情の表現だったり、励ますつもりでなぐったり、厳しさを教えてやると言ってなぐったりする。
体罰が必要だという人も少なからずいる。痛い目にあわないとわからない・・と言う人もいる。
しかし、殴られるものにとっては、痛さと屈辱でしかない。無力感にさらされる。
なぐる者が親であっても、教師であっても、人をなぐってもいいと教えていることと同じだ。
暴力をふるってもいいと教えているのだ。
なぐるのは決して愛などではない。
高校生と先生という立場、相手はぜったい向かってこない相手をなぐる教師は、おかしい。
それがまかり通るのは、おかしい。
聞き取り調査で、体罰はなかったという結果だったというが、教育だと思っているのなら、堂々とあったと言えばいいものを、まずいと思っているから、なかったと嘘をつくわけで、やった教師はそれがかくさなければいけないことだと知っているのだ。
弱い者へ向かって、一方的に自分の感情のはけぐちで暴力をふるう人間は、まちがっても教育者ではない。DV夫とおなじ、暴力を選ぶタイプの人間である。