世界遺産登録おめでとう 富岡!
当地では幕末の貿易商として名をなした中居重兵衛(なかい じゅうべえ)が
絹産業遺産群登録されます。
嬬恋郷土資料館では企画展が計画されているようです。
SILKと中居重兵衛について2回に分けて触れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/4f/6394175473de60f458cdd3990586e804.jpg)
(中居重兵衛肖像画)
1.略歴
文政三年(1820)上州中居村(現嬬恋村三原)生まれ
天保十(1839)年 無断で江戸に出奔、日本橋の書店和泉屋善兵衛方に身を寄せる。
佐久間象山書院塾
神道無念流の剣
蘭方医・伊東玄朴に医学薬方
儒者・林鶴梁に儒学
遠田 昌庵(とおだ しょうあん)に蘭学
を学ぶ
安政元年(1854) 35才日本橋に店を出す。「子供教草」(こどもおしえぐさ)を著す。
安政二年(1855) 「収要砲薬新書」を著し、各諸大名家に献上する。
このため火薬製造の依頼が殺到する。
安政三年(1856) 遠田 昌庵の訳書『和蘭文典訳語筌』に序文を書く。
(県立長崎図書館蔵)
この頃より貿易の計画と準備を進める。
安政五年1858) 39才、「火薬集要」を出版
安政六年(1859) 開国横浜の地に出店
間口三十間銅ぶき二階建て、横浜一の店を構え貿易を始める。
万延元年(1860) 五品江戸廻送令
生糸など五品の自由貿易を制限・・・貿易商は反発する
同年 桜田門外の変 大老井伊直弼死す
文久元年(1861) 幕吏に追われ、以後消息不明。ときに42才。
2.単なる商人ではなく蘭学を修め高い素養をもった傑出した人物
難しいとされた蘭学を修め、当時の最重要課題でもある火薬製造にも通じ、
諸国諸大名や幕府中枢に知己があります。
政治権力と結びつき商売で成功を収めるといういわゆる政商・中居重兵衛の
道を歩み、それ故に、ひときわ光芒を放ち、
それ故に、最も輝いた時期に突如失脚します。
政商の宿命、それはやむなきことでしょう。
けれど大きく輝いた故に歴史に名を留め、それ故に、今日、絹から日本の
近代化をたどることが出来ます。
(続く)
(投稿:ワイルド三太)