鹿沢・万座パークボランティアだより

鹿沢・万座パークボランティアより皆様へ自然情報等をお届けします。

9/28ジオパーク南アルプス全国大会(伊那市)

2014年09月29日 | 日記
メランジュ弁当


付加体(秩父帯・四万十帯)を歩く。
中央構造線の露頭。
・・・・なんて言ったってさっぱり分からない。

こちらの方が馴染みやすい。

室戸


糸魚川












ご当地 長野県のアルクマクン


ジオパーク南アルプス全国大会(伊那市)
2014.9.27~29

ジオパーク8箇所のプレゼンも拝謁。
ガイドのパフォーマンスの高さには脱帽、・・・これはかなわない。
けれど、Volcano Asama、超一級の素材であると確信した。
課題は広域展開。
環境省も子供パークレンジャーを展開してくれている。
ジオパーク推進に向けてひたむきに努力する。
(投稿:ワイルド三太)
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澄んだ美しい紅葉西篭の塔

2014年09月26日 | 日記
澄み切った美しい紅葉だ。
西篭の塔9/26。

何十年ぶりに出会う紅葉だろうか?
(投稿:ワイルド三太)
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秋分の頃【二十四節季】

2014年09月23日 | 日記
押忍!
雲のダンナ@須磨・神戸です。

鹿沢万座PVの皆さん、お元気でしょうか。
各地に大きな爪痕を残した大型台風11号が過ぎさってから日中はまだ
まだ気温は高めですが朝晩はぐっと涼しくなり、夜には庭のあちこち
で鳴く虫の音が耳につくようになりました。
明日からは台風16号が接近してくるようでこの台風が通り過ぎれば
いよいよ秋本番になるのではないでしょうか。

全般的には今年は夏が短く秋の訪れが早いようで気象庁も8月は異常
気象だったとの発表がありました。
先日16日には北海道の屋根、大雪山系の旭岳では平年より9日も早く
初冠雪がありました。

そんな今日23日は彼岸の中日にあたり二十四節季の秋分になります。
秋分3日前を彼岸の入りと言い、3日後を彼岸の明けと言いその間の
7日間がお彼岸となります。
そして秋分はその中間にあたるため彼岸の中日と呼ばれています。

お彼岸とは元々仏教用語であって煩悩煩悩に満ち満ちた世界から解脱
した悟りの世界を指します。
言い変えれば亡くなった先祖達の霊が住む世界のことであり、つまり
あの世と言うことです。
あの世にいる祖先の霊を供養するために家族揃ってお彼岸になると
お墓参りへ出かけます。

秋分の日には春分の日と同じように昼、夜の時間が同じになり太陽が
真東から昇り、真西に沈みます。
そして明日からは昼の時間が徐々に短く夜の方が長くなっていきます。
例年、彼岸直後は気にも留めないでしょうがふとした折り、気がつくと
この間まで明るかったのにもうこんなに暗くなってるのかと驚くように
なるでしょう。
       
【この頃によく歌われる唄】

「ちいさい秋みつけた」
サトウハチロー作詞・中田喜直作曲

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
目かくし鬼さん 手のなる方へすましたお耳に
かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラスうつろな目の色
とかしたミルク わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥のぼやけたとさかに 
はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

では、では。
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永遠なる小串(5の2)~古老が語る硫黄鉱山~

2014年09月22日 | 日記
(5の1から続く)
送砿夫は砿夫が堀った砿石を運搬する仕事で、一日十台運べば良いのである。
仕事は至極楽で時間も短かく二時頃には終り、後は娯楽もなく映画とてもなく、
ただ其の日、其の日を平凡に過して居た。
 其うして五、六年過ぎた頃、毎年六月十五、六日はツツジの満開で
丁度其の頃山では山神さんの祭りで私も何か一ッと思い、
青年時代村の祭りに手踊りをやった事を思い出し、
採砿の人達二〇人位集めて私が師匠となり
八木節、安来節、東京音頭等色々仕事から終り次第十日程練習し笛太鼓で賑やかし盛大にやった。
当時は何も娯楽も無かった為、山の人達も喜んでくれた。
 又私共坑内という明日の事もわからない危険な場所で働く為、
山神さんを信仰しようと思い
山神さんは十二さんであるから十二日が祭日十二講を作り五、六名でやった。
そうしてその晩は、下から商人に肉とか色々な品を上げてもらい賑やかに行った。
其れもあたり、山全体に山神さんを尊ぶようになった。
そうしてその晩は、あちらでも、こちらでも楽しく歌声が聞えるようになった。
ほんとうに嬉しく思った。
其うした甲斐あってか十年の間ー度も怪我もなく無事に務めさせてもらったのも、
山の神さんのお蔭と今でも有難く思いました。(以下略)


戦時中の吾妻鉱山のお祭り


昭和8年白根鉱山の仮装

坑内の様子、作業実態、娯楽、もっと敷衍すれば日本人の信仰観などを
うかがい知ることが出来ます。
様々な面で影響を及ぼした硫黄産出、企画展で触れてみます。
(投稿:ワイルド三太)
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永遠なる小串(5の1)~古老が語る硫黄鉱山~

2014年09月22日 | 日記
昭和初期の硫黄鉱山を語ったものです。

鉱山生活十年(ST様 明治四十二年生まれ)
 昭和六年六月軍隊より帰りこれといった仕事も手に付かず、
そうかと云って何時までも遊んで居るわけにも行かず、
何かと思い出したのが当時硫黄鉱山であった。
賃金も良いとの事ゆえ其れに引かされて行って見ようと思い
F集落のMさんが吾妻鉱山に務めて居たので頼んで見た。
早速話してくれ、其れから二ヶ月位たった十一月末、
山に上って来いとの事。雪のある山に登った。
 丁度其の年は雪も多く知らない山道を心配しながら
薄暗い山道を一人淋しく山にたどり着いた。
着いてみたらたまげた(驚いた)。
丸太造り薄暗いような飯場で、そうして真中に人きなストーブがあり、
中には一杯薪がくばり、赤々と燃え大ぜいの人達がストーブを囲み、
何やら盛んに話し合って居た。
私も初めてであるのでよろしくと頭を下げ、
Mさんに連れられ飯場長であるSさんに紹介してもらい、
よろしくとお願いした。
 其れより明けて次の日五時頃起き仕度をし初めてカンテラ(あかり)を下げて
怖わごわしく坑内に入った。
最初は一本道であったが其の中に二本三本又広い場所もあり、
水も落ちている所もあった。
其うしてーッの切羽(試験堀)に着き、其ここには坑夫がー人居た。
其の切羽は高さ六尺横五尺位で砿石が有か無いかを探るので
其処の土をはね出す仕事であった。
初めてであるので一生懸命に汗ー杯かいてやった。
坑内は夏は涼しく冬は暖く、至極良い所である。
私も力ー杯やった。それを見込まれ二ッ月余りで送砿夫になった。
(続く)
(投稿:ワイルド三太)



 
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永遠なる小串(4)~郷土資料館秋季講座案内~

2014年09月21日 | 日記
明治維新まで数年、開国横浜で貿易に従事した中居屋重兵衛(なかいやじゅうべえ)。
蘭学、火薬製造に通じ、「砲薬新書」を著し、諸国諸大名に献上、
嬬恋一帯が硫黄を産出することを世に知らしめた人物です。


硫黄鉱山群の背景にはこんな事も伏線として流れていると思えます。
併せ、生糸と並ぶ輸出品マッチ(日本は世界2位の輸出国。1位は米国)は
資本蓄積の乏しい明治日本に少なからず貢献しているでしょう。
一見、無関係と思える事象に見えざる赤い糸が結ばれています。
嬬恋郷土資料館の秋季講座、おすすめです。

嬬恋郷土資料館秋の講演のお知らせ
   各日とも入場無料。
   直接会場へ。

1.9/27(土) 中居屋重兵衛~生糸大量集荷の謎~

講師:元嬬恋高校長‐中居屋重兵衛顕彰会副会長
    安斎洋信氏
日時:平成26年9月27日(土)午後1時30分~
会場:嬬恋郷土資料館視聴覚室


2.10/18(土) 天明3年浅間災害
     ~地点情報を絵図でたどる~

講師:群馬県埋蔵文化財調査事集団関俊明氏
日時:平成26年10月18日(土)午後1時30分~
会場:嬬恋郷土資料館視聴覚室



3.10/25(土)
 中居屋重兵衛と生糸貿易のはじまり

 講師:横浜開港資料館副館長西川武臣氏
 日時:平成26年10月25日(土)午後1時30分~
 会場:嬬恋会館三階大ホ‐ル
    0279-80-2330
 (嬬恋村大字三原691番地・東都小学校校庭東側)



4.1783/天明3年浅間災害
  ~復旧・復興の足跡~

 講師:群馬県埋蔵文化財調査事集団関俊明氏
 日時:平成26年11月8日(土)午後1時30分~
 会場:嬬恋郷土資料館視聴覚室
    
 問い合わせ先:嬬恋郷土資料館
      嬬恋村大字鎌原494番地
      0279-97-3405

(投稿:ワイルド三太)

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永遠なる小串(3)~古老が語る硫黄鉱山~

2014年09月17日 | 日記
硫黄採掘の坑内の様子や賃金水準がうかがえる語りです。
昭和初期と思えます。
画像は戦後のもののようです。
話の内容と画像は一致しませんが坑内のおおよそのイメージは作れます。

吾妻鉱山のトロッコ 撮影年次不明

明治41年生まれ 故HH様
昭和三年。自分は徴兵検査の年でした。
まだ寒い二月頃自分の友達にお願いして置いた処、
何日頃登山しろとの事で登山し探鉱飯場に案内され
採鉱雑夫として採雇されました。
飯場には見知らぬ人が沢山居り、
村の方も十二名居り良く来てくれたと迎えてくれました。
早速次の日より初めての鉱内にカンテラを持って人坑致しましたが、
何分一寸先は闇。掛の人や先輩に色々指導して頂いて
鉱石集め其を運鉱夫が製練場に運ぶのであった。
其の時の自分、一日の本番が壱円位でした。
尚時間外等合せ一ヶ月働高三十四、五円位でした。
其の内用度飯料を差引くと手取り十二、三円位と記憶して居ります。
只今其の時を思うと、一年中働いてハイライトの煙草一ケ位、
考えて見れば驚の外はありません。
其の後吾妻鉱山が滋賀県に本社に併山なり
吾妻鉱山より勤労年限に応じて手当を頂き最高二百七十円位、
自分も其の時二百二、三十円位頂いたと記憶して居ります。
其の時は予想しない事で実に嬉しかった。
其の反面悲しい事は鉱山の落盤でした。
自分は其の時雑役夫でしたが運鉱の常夫休み、
其の方の代番に出て行って、落盤に出合って九死に一生を得ました。
其の処は運鉱夫の交換場に成って居り、昔荒堀した処でした。
朝より其の前兆はありましたが、
運鉱夫は皆此の土地の人故落盤と言う経験なくも次第に危険を感じ、
事務所に交渉し、其の時のH所長自ら現場を見証して歩いたが大丈夫との事でした。
が次第に山鳴し、いよいよ危険との事にて運鉱夫十二人が坑道に五、六歩遁げた。
とたんに落盤し其の間一発にて鉱夫全員が命拾いした。
今考えても胸が熱く成る思いです。
(ことぶきのむかしがたり第三集 嬬恋村ことぶき学級 昭和56年)

硫黄産出は火山活動の結果です。熱水や火山ガスなどの通ったところでは、
熔岩の成分が溶けて出てしまうので、スカスカになり、非常にもろいと
考えられます。
火山は崩れやすいのは今でも同じです。
技術的にこの危険性をどう回避したのか、鉱山技術者に聞いて見たい所ですが、
今となっては不可能でしょうか?
給料が良いことと危険と隣り合わせの仕事であることも読み取れます。
(投稿:ワイルド三太)
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永遠なる小串(2)~古老が語る硫黄鉱山~

2014年09月15日 | 日記
硫黄鉱山は嬬恋の人にとってどういう存在だったのかでしょうか?
様々な角度から見てみましょう。
古老は語っています。
明治四十四年生まれの方が残したものです。
嬬恋から小串に勤務した人はそう多くはありませんが、
通勤の記録があるので紹介します。
干俣集落から小串鉱山に向かって、一緒に歩きながら、
話して居るような極めてリアルな錯覚が、私にはつきまといます。


同じく雪の石津鉱山長屋(社宅)
多分、こんな晴れた日は多くないはずです。月明かりや星あかり、
或いは新月の状態と頭の中で変えれば、雰囲気は出ます。

私の鉱山通の思い出(故人 BO様)
 私共の若い頃は出稼が多かったので、私も鉱山へ八年も行って居りました。
学枝を卒業した次の春十七才で鉱山へ行きました。
其の頃は道も悪く今のような自動車の走るような道は無かった。
鉱山へ行ってから一週間に一日の休みがありましたので、
休みの度に家に下って来るのですが、
人間や牛馬の通る細い道しかなかったのです。
私は、(中間略)三年目の春から製煉夫をする事になりました。
(中簡略)製煉夫になってからは朝の出番が早くなり、
朝四時の交代でしたのでそれ迄に鉱山につくように家を出ました。
家を出て仁田沢より林の中の細道を通り万座川の谷間にかけられたキッ力ケ橋をわたり、
しいんとした万座川の水の音を聞きながら、ねむりねむり六年間も通いました。
時にはあまりねむいからと冬など雪の上に木の枝を折つてしいて腰を下し
十分位うとうとねむる事もありました。
又雪道は人の足あとをひろってあるくのですが、
ねむりねむり歩くので深い雪の中に飛びこんで目のさめる事もありました。
(以下略)「ことぶきのむかしがたり第三集」(昭和56年2月28日
嬬恋村ことぶき学級)

当時のことがよく分かりますね。
書き残してくれて本当にありがとうございます。
こんなことをいくつか交えながら小串展を展開します。
10/11~13鹿沢園地にお越し下さい。
(投稿:ワイルド三太)
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開催「永遠(とわ)なる小串(おぐし)~小串硫黄鉱山展~」

2014年09月10日 | 日記
鹿沢園地から火山列で連なる四阿山(あずまやさん)、御飯(おめし)、白根山一帯は、
かって、硫黄鉱山があり、今なお産業上重要な硫黄(元素記号S)を産出していた。
米子(よなご)、小串(おぐし)、吾妻、白根などの鉱山があり、北海道と並ぶ
国内屈指の硫黄産出地であった。

昭和35年小串鉱山全景


昭和33年全盛期の吾妻鉱山


硫黄を運ぶため草軽電気鉄道が敷設され信越線軽井沢駅まで運んだ


冬の石津鉱山社宅・・・今なお冬を過ごすのはきびしい。

代表的な小串鉱山を取り上げ、可能な限り他の鉱山にも触れます。
また、元勤務者によるトークショーも開催予定です。

 10/11~13
 鹿沢インフォメーションセンター2f
 *トークショー 10/13,10時から開催予定

取り急ぎお知らせまで。
(投稿:ワイルド三太)
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白露の頃【二十四節季】

2014年09月08日 | 日記
押忍!
雲のダンナ@須磨・神戸です。

今年の夏は7月は猛暑を記録する日々が続きうんざりだなぁという
気分でしたが8月になると一転、気温は下がり特に関西では猛暑日を
一日も記録せず8月上旬にはツクツクボウシが鳴き、、お盆前には
裏庭ではコオロギが鳴き始めました。

お天気も安定せず各地で豪雨が降り、20日には広島市であの土砂災害が
起き、豪雨で各地で床上浸水などの被害が出ました。

例年とは変わった陽気ですが今日9月8日は二十四節季の【白露】
あたります。
白露は秋分の15日前で早朝には大気の温度が下がって草木の葉先に
コロコロした玉のような綺麗な露のことでこの頃から見ることが
出来るようになり朝晩には秋の気配を感じるようになります。

山々では木の実が熟れはじめている頃となり動物たちの食欲が
旺盛になり来るべく冬の準備をしているでしょう。        
北の国や標高の高い山々からは今月中旬以降になると紅葉情報が色々
流されてくることでしょうが今年の異常気象下での紅葉はどんな具合
でしょうか。
鹿沢周辺での紅葉黄葉は例年通り彩よく楽しませてくるので
しょうか。


【この頃によく歌われる唄】

「とんぼのめがね」
額賀誠志作詞・平井康三郎作曲

とんぼの めがねは
水いろ めがね
青いおそらを
とんだから とんだから

とんぼの めがねは
ぴか ぴか めがね
おてんとさまを
みてたから みてたから

とんぼの めがねは
赤いろ めがね
夕焼雲(ゆうやけぐも)を
とんだから とんだから

では、では。

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染めました藍生葉で

2014年09月08日 | 日記
昨9/7,藍の生葉で染めました。
ミキサーの機嫌(?)が良くなく、昼を挟んで染色液を作り
思い思いの作品を完成させたのです。

発色も良好です。


遠路参加いただきありがとうございます。


縛った糸抜きに苦労しましたが無事完成、よかったですね!


鹿沢の冷たい水で洗い流すのはちょっと大変でした。


チョウ大物も染めましたよ!

染めの技術と藍の種を取るためまた実施したいです。
(投稿:ワイルド三太)
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藍生葉染め

2014年09月05日 | 日記
藍の生葉染めを行います。
今年、藍の栽培が上手く行かず、十分確保出来ません。
少人数にて行います。
発芽した苗がネキリムシに食べ尽くされほぼ壊滅でした。
ネキリムシと気付くのに三日かかり、対応が遅れたたためです。


晴れないと(紫外線に当たらないと)良く発色しません。
天候もイマイチですが、予定通り実施します。


ほぼ同じ条件の下で行った伊香保(8/30)の画像です。
この程度の発色は出来ると思います。

藍の葉を発酵させてつくもを作り染めるのはもっとずっと濃いブルーです。
(ジャパンブルー)
生葉だと画像のような薄いブルーです。
化学染料が開発されるまで、身近な染色植物をつかって染めていました。
日本では紅花(べにばな)が特に有名です。
源氏物語では末摘む花(すえつむはな)として登場します。
人間の長い間の英知が編み出した技法です。
今ではマイオリジナルとして注目必死です。
植物、染め、デザインなど体験を通して学びます。
明後日9/7(日)予定通り実施します。
(投稿:ワイルド三太)


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