わたしが尊敬する人は 自分の信念を曲げないでそれに向かい努力を惜しまぬ人。
わたしがその正反対だから。
コツコツとずっと取り組んでいくということができない。
何か夢中になるものがあると、それに熱中するが、ある程度 自分の力量が見えてくるとそれ以上がんばらずに しぼんでしまう。自分に見切りをつけてしまうというか、冒険を恐れるというか・・・夢に向かって行くんだ!なんて 言葉では書くけれど、実際のところ 自分はすぐへたれてしまう。
そんな自分のふがいなさに いつも辟易して、自分にイライラする。
これが わたしという人間だ。
ここでは いいことを書いていても内実は伴わない。何か新しいことがあれば、まずは恐れがあり、勇気を出すのに一苦労する。前に行くには 行動することが必要だと頭ではわかっているのにね。
人前で本を読むことに抵抗を感じなくなってきているのは、読み聞かせを通して 子どもたちの反応を即座に味わってきたからだろう。反応が鈍いときは技量がなかったのか、それとも本の選び方が適当でなかったのか、あれこれ思案する。反省はいつものことだ。
読み聞かせをしてすでに4年目に入った。この間 子どもたちだけではなく大人相手にも読む機会があった。なぜか大人相手と聞くと 戸惑う。
それは余計なことを考えるからだ。相手が自分をどう思うのか?という不安。子どもたちを前にしては そんなこと考えたこともないのに・・・だ。こと相手が大人だとわかると、途端に余計なものが目の前に浮かんでくる。
自分がまだまだな証拠。
それでも大人相手の朗読というものに興味が湧く。
録音したものを聞き返しながら 自分に足りないものは何かを探る。聞き返すと、こんなので伝わるのか?といった疑問が湧いてくる。
今年は もう少し幅のあることをしようと思った。それがどんな形になって表れるかわからないが、今 わたしの中で今までとは違うものに挑戦してみたいという気持ちと まだまだ修業を積まなければ何もできないのでは?という気持ちがごちゃごちゃになっている。
自分に自信がないといえば それまでだが、努力をしてこなかった自分に腹立たしさを覚える。
まだ間に合うだろうか。
柴田トヨさんは92歳から始めた。
わたしは自作の詩を朗読できたらなと思い始めている。
わたしがその正反対だから。
コツコツとずっと取り組んでいくということができない。
何か夢中になるものがあると、それに熱中するが、ある程度 自分の力量が見えてくるとそれ以上がんばらずに しぼんでしまう。自分に見切りをつけてしまうというか、冒険を恐れるというか・・・夢に向かって行くんだ!なんて 言葉では書くけれど、実際のところ 自分はすぐへたれてしまう。
そんな自分のふがいなさに いつも辟易して、自分にイライラする。
これが わたしという人間だ。
ここでは いいことを書いていても内実は伴わない。何か新しいことがあれば、まずは恐れがあり、勇気を出すのに一苦労する。前に行くには 行動することが必要だと頭ではわかっているのにね。
人前で本を読むことに抵抗を感じなくなってきているのは、読み聞かせを通して 子どもたちの反応を即座に味わってきたからだろう。反応が鈍いときは技量がなかったのか、それとも本の選び方が適当でなかったのか、あれこれ思案する。反省はいつものことだ。
読み聞かせをしてすでに4年目に入った。この間 子どもたちだけではなく大人相手にも読む機会があった。なぜか大人相手と聞くと 戸惑う。
それは余計なことを考えるからだ。相手が自分をどう思うのか?という不安。子どもたちを前にしては そんなこと考えたこともないのに・・・だ。こと相手が大人だとわかると、途端に余計なものが目の前に浮かんでくる。
自分がまだまだな証拠。
それでも大人相手の朗読というものに興味が湧く。
録音したものを聞き返しながら 自分に足りないものは何かを探る。聞き返すと、こんなので伝わるのか?といった疑問が湧いてくる。
今年は もう少し幅のあることをしようと思った。それがどんな形になって表れるかわからないが、今 わたしの中で今までとは違うものに挑戦してみたいという気持ちと まだまだ修業を積まなければ何もできないのでは?という気持ちがごちゃごちゃになっている。
自分に自信がないといえば それまでだが、努力をしてこなかった自分に腹立たしさを覚える。
まだ間に合うだろうか。
柴田トヨさんは92歳から始めた。
わたしは自作の詩を朗読できたらなと思い始めている。