心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

こういうノートがあります

2012年08月22日 | ほんのすこし
朝日新聞を購読していて ずっと前から 第1面に掲載されている「天声人語」を切り抜きするのが習慣になっていました。切り抜いて何をするのかというと 気に入った文章を読んで吹き込みしていたのです。

それが最近 この天声人語を書くということがブームになっているそうで、ある日新聞のチラシに「天声人語書き写しノート」を販売しているということが書かれてありました。早速 どんなもんだろうと販売所に注文。
体験版と共に三冊のノートが手元にやってきました。1冊がちょうど1ヶ月分を書くようになっているようです。
まだ一枚も書いていませんが(笑)
中身は こんな風になっています。



ちょうどぴったり原稿に納まるようになっていて、▼じるしもきちんと書けば 最後まで行くようです。
もう老眼が入ってきて コンタクトをすると細かい文字を読むのがとても大変なので、新聞記事のままですが、書きづらいため、今朝は切り抜きを拡大コピーしていました。A4サイズにちょうど二日分の天声人語が収まりました。横置きに130%に拡大するとちょうど良いみたいです。濃度はかなり薄い設定にしました。そのままだとバックが汚くなってコピーされるのです。

130%ぐらい拡大された文字だと 見やすく 見て書くにはいいかなと思います。
なぜこんな手間のかかることをしているのかというと。今度 ワンディシェフの店で 「脳トレ、天声人語を書こう」というのをやってみようかなと考えているのです。
年をとってくると 書く作業から遠ざかってしまいます。かくいうわたしも毎日キーボードに触れることはあっても 書くという行為はあまりないのです。書く しかも 結構難しい漢字を見ながら書くことは頭の運動にはもってこいだと思います。また書かれている内容も時事多岐にわたっていますし、感動する言葉もたくさんあります。何人か集まってくれた方同士で 天声人語に書かれている内容について 話してみることもまた刺激になっていいのでは?と考えています。

もちろん書くだけでなく わたしは読む練習も続けたいと思っています。
読むことは 口の運動 発声の助けにもなりますから。天声人語を書くということを 昔 息子に「天声人語をノートに書き写していけば(継続)絶対ためになるよ」と言ってくれた方がいました。息子はそのことを学生時代にやっていたようです。就活の時期にもがんばったようでした。何事も一つのことを諦めずに続けていくことができるというのは 成長の力になるんだなと思います。わたしは やらなかったりやったりと波が激しいので これじゃいかん!と反省しきりです。せっかく届けていただいたこのノート 活用してみたいと思います。
ひとりだと挫折しやすくても 何人かいれば 続けていけそうな気がします。思わぬ良いお話を聞ける機会があるかもしれませんし。まずはやってみること・・・その一歩です。もうTさんは やる気まんまんです(笑)ふたりだけでも それはそれでいいと思っています♪

人は変われないのか?変われるのか?

2012年08月22日 | ほんのすこし
夕べは 眠れないなと思って ここ数日寝られない日が続いていたので 9時過ぎに薬を飲んだ。10時ころ布団に横になり、借りてきた本を開き、しばらく読んでいた。
本を持ちあげ 読んでいると だんだん重くなる。
これは 眠りに入るのか?と横向きになる。
少しすると だんだん持っているのがつらくなる。眠りたくなってきた・・・

午前3時。目が覚めた。
おっそれでも5時間程度は眠れたってわけだ。まだ頭がぼーっとしているけど。あんまり暑くて起き出した。昨日もその前も残暑が厳しく 部屋にいるより 外の日陰にいるほうが涼しかったりする。
この暑さ 一体いつまで続くのか。今朝の新聞によれば あと1週間は続くとか・・・が~ん・・・もういいんだけど。

わたしがだれかのためにしてあげられることは少ない。
何かできないのかと悶々としているだけで 手を差し伸べてやることもできずにいる。
せめて話を聞いてあげれたら・・・と思うのだが。いかんせん 拒否されてしまったら それも叶わない。
きっと解決の糸口はあるはずだ。
人はそうそう簡単に変わらないもんなんだなと痛感。丸くなったねぇなんて悠長な気持ちはどこかへ捨ててきたほうがいい。昔と全然変わっていないと思えることだらけだ。しかも相手によって態度を変えるというところがなんとも・・・
今は 与えられるはずの仕事を先回りして作っておくぐらいで、重箱の隅をつつかれて攻撃されないようにするのが関の山か。

でもなぁ 考えてみたら とっくの昔に見限っていたはずなのに、まだどこかで変わってくれるって思っていたんだな きっと。
人間の本性はそうそう変わるわけないってことか。
ここで 何度か「人は変われる」って書いたけど、それは変わろうと思う気持ちがあるからで、その気持ちがちっともなければ 変わることなんてないのだろう。根本的な価値基準 立場の上下 そういうものに縛られていると、本質の人間の中身をみることができなくなってしまう。たとえば どこかの会社の社長だとか 部長だとか その地位にあるから自分は偉いと思うのか。それだって その地位から退けばただの人にすぎないのに。
ただの人になったときに 何ができるかによって 残りの人生が変わると思う。
だれかのために自分が何ができるかを考えて行動に移せるか そこが変われるポイントなのだと思う。

人に与えても その見返りとして自分への賛辞を求めている人は 与えることができなくなったときが試練の時だ。与えることでちやほやされてきた経験が まるで極上のワインを飲んでいるような余韻を味わえるから それをまた味わいたいと思ってしまう。そこには 自己陶酔しかない。相手がどう思うか、どう望んでいるかは二の次だ。自分がこうしたら こういう評価が下されて 賛美の声が出るだろう・・・と。たしかに震災の時は 身を粉にしてがんばってみせたらしい。非日常のときではなく 日常の中で その行為が出れば もっと周りの評価も違ってくるのに。結局 日常に出てこないというのは、本質は変わっていないということなのだろう。
変わってほしかったなぁ・・・
そういう自分はどうなのよ?
あはっ変わってませんね(笑)
あと一歩のところで いつも尻込みしている。気持ちはあるのに 動けない。
ただ見守るしかないのか・・・

だんだん空が明るくなってくる。
今日が始まる。
今日こそは 何かできないかと思う。
まずは今日の予定のボランティアをやりこなしてからだ。目の前のことに集中しよう。

○○さんのココロの声が聞けたら・・・と思う。たとえ聞いてわたしが何もできなくても・・・。
それはわたしの自己満足にすぎないのか?返って傷口を広げるだけなのか?
でも真実を知らずにいたままでは 何も言えない。