心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

夜景がきれいでした

2013年02月17日 | ほんのすこし
三軒茶屋のキャロットタワー 26階にあるスペースから。
ドリンクコーナーもあるし 無料スペースもあるし、ぐるっと後ろに回るとレストランがあったようで。
あったかい抹茶カフェを頼んで しばし夕暮れから夜にかけて変わっていく町並を見ていました。夕暮れ 日が沈みかける前には 遠くに富士山が見えました。富士山の真ん中を横切るように細長い雲があったので、最初は娘が教えてくれるまで 富士山だとはわかりませんでした。というか 富士山が見えるというのが不思議な思いで 富士山は見えないものという固定観念がわたしの中にはあったのです。

ここ地元は盆地なので 見渡す限り 遠くが山だらけです。それを見慣れているせいか 突然ビルが立ち並ぶ向こうに富士山の形が浮かんでいるというのは 想像できなかったのです。だんだん日が沈むとともに 富士山も見えなくなり すっかり夜になると 一段と♪街の灯りがとてもきれいね 横浜~ もとい 三軒茶屋~♪って感じで うっとり。なんにもしないで ぼーっと見ている時間がたまらなくいいなと思いました。

特等席のカップル席が 窓ぎわにあって カップルが仲良く座ってワインなんか飲んでいましたよ。まるでふたりだけの世界なのよって雰囲気が漂っていて ほぉ~ 都会だなぁと田舎者のわたしは感心してみてしまいました。まぁこの綺麗な世界をふたりで堪能できるんだから どこへ行かなくても楽しいか・・・わたしもずっと若かったら カップルで夜景を眺めてワインを楽しんでみたいものです。別に年とってても大丈夫か(笑)
いつかまた来てみたい そんな素敵な場所でした。



お金を使わずに 見事な夜景を楽しめるって すごいなぁと思います。朝9時から夜11時まで開放しているとか。だまってずっといてもかまわないってことなんですよね。もちろん 珈琲を頼んだりしてボックスシートにいることもできますし。ちょっとした軽食もありそうでした。
ホテルから見える夜景よりずっと広くて 飽きない光景でしたよ。窓の広さが半端じゃなくて目の前一面が 夜景!って感じです。

この夜景を見ている人たちは一体どんなことを思って見ているんでしょうね。

帰郷して 見えるものの違いに驚きつつ、ここがなんだかホッとするなと思い、都会の夜景はほんのたまに見るからいいのかもしれないと思っているのでした。なんにもないところだけど、なんだか黙っていても疲れない、そんな空間があることに とても安心感を抱いています。ごちゃごちゃとした空間で 雑多な印象の部屋ですが、わたしがそこかしこにいる そんな空間です。自分が住んでいるところ それがココロのふるさとで、いつのまにか自分が自分でそのふるさとを作り上げている・・・きっともっとずっと年老いて 振り返ったときにここにいた自分を懐かしく微笑みながら思いだす・・・そんな気がします。

それにしても・・・片付けないと、もう少し綺麗にしないとね(笑)

ありがとう話

2013年02月17日 | 母のこと
今日は 雲があるけど良いお天気です。
最近 雪がどっかりと降ったりもするけど、結構 お天気なときもあって、ゆるやかに冬が過ぎているなと感じることが多くなりました。それでも例年よりも除雪費用がかさんでいるらしいです。母の玄関前の屋根にあった固い雪が暖かさに負けて どかんとずり落ちたらしいです。それをせっせとご近所の旦那さんが寄せてくれたらしく 今年の冬は その旦那さんがいてくれたおかげで 母もわたしもとっても助かっています。
まるで救世主のごとく現れた!って気分です。
長い間 出稼ぎに行っていたらしいのですが、今年からは退職されて地元にいることになったそうです。働き者のご主人らしく 戻ってきても毎日あれやこれやと動き回っているようです。本当に いつも何かしら家の周りのことやらをしています。

母が一人暮らしなのを知っていて 今年は家の前の道路の雪や屋根から落ちた雪までも寄せてくれているのです。本当にありがたいなと思っています。
母はいつもわたしにも何かというと「悪いねー」と言います。すかさずわたしは「悪いねーじゃなくて ありがとうって言ってくれた方が嬉しいんだけどぉ」と返します。すると「あぁ そうか その方が気持ちいいよね」と言って笑います。
そのことから「ありがとう話」に発展することがあります。
「ありがとう話」というのは 父や弟のこと。

生前 父はよくどんな人にも「ありがとう」って言ってました。わたしにも母にも。入院中は看護士さんや介護の方にも。何かしてもらうとほんとにありがたいなという表情で言うのです。言われたこっちは なんだかたいしたことしていないのに嬉しくなります。
背中をさすってあげても 嬉しそうに「そうか さすってくれるか、ありがとう」と優しい口調で言ってもらうと 最初は少しだけ・・・って思っていたのが もっと長くやってあげようって気持ちになったり。それが父の作戦だったとすれば すごい戦略です(笑)

そんな父に似たようなところも弟にはありました。強く相手を非難することはできず、母や私に対して不満があっても 苦笑いをしてすます そんなところがありました。そしてやってもらいたくても口に出さずにいたことを わたしがやってあげたりすると「ありがとう」って 嬉しそうな顔をして言うのも父に似ているなぁと感じることがありました。
父も弟も「ありがとう」って言葉を男にしてはよく使っていたよね?って 母とふたり思い出しながら話しているのです。それがわたしたち二人の「ありがとう話」なのです。

悪いねぇ って言うより、ありがとうって言う方がいい。そう思います。母の「悪いねぇ」は もう習慣になってしまっているようで なかなか消えませんが。わたしに対してすまなさを感じて生きてもらいたくないので、わたしは娘として当たり前のことをしているだけだと言っています。それでも母に言わせれば わたしがいなければ もう何回も死んでいた と繰り返します。
感謝したいのは こっちの方。母がいてくれたおかげで わたしは生きる喜びをまた味わえるようになったと思えるから。母には一日一日 少しでも長く生きてほしいと 目覚めるたびに思います。そして 同じようにわたしも子どもたちに心配をかけない人生を歩まなくては・・・と思うこのごろなのです。