心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

笹倉鉄平を久々に出してきた

2013年06月17日 | ほんのすこし
笹倉鉄平のリトグラフ。
タイトル忘れてしまった・・・通路に犬が寝そべっている。くつろいでいるなあ・・・「それぞれのひととき」だったかなぁ
たぶん夕暮れなのだろう。奥の席ではカップルが仲良さそうに話に花を咲かせている。
年老いた男も一人で座っている。
カフェには 色々な人が集まる。
そのひとときが ここにある。色彩がどこか懐かしいような セピア色で描かれていて、落ち着いた雰囲気。今のわたしには このくらいがちょうどいいのかもしれない。穏やかなものを与えてくれるもの・・・
いくつかあるリトグラフと絵の中から 今のわたしの気分に合うものを狭い部屋に置く。そこだけ違和感があるかもしれないなぁと思う。ごちゃごちゃした部屋だけど そこだけ目につく(笑)

ずっと絵を描く気がしない。頭の中ではこういう感じでとか 出てくるのに行動が伴わない。母が絵を描いているのを見ると 自分も描こうかなと思ってみるのだが、筆や絵の具を出してくるまでにはならない。もうすでに私の中では 絵を描くということは 出来ない部類に入ってしまったのか?

少し前に片付けようとした段ボール箱から 以前描いた絵が出てきた。パステルやらアクリルやら。パステルで描いたものを見て これ どうやって描いたんだっけ?と。今さらながら描き方さえ忘れてしまったらしい(笑)
でもそれを見て なんだか柔らかくて気持ちいい秋だなと感じた。捨てるのは止めようと思った。一応 箱の中身を処分しようと思ったわけで。やっぱり自分が描いたものでも捨てたいものと捨てたくないものってあるなぁ。
いつか母のようにもっと年老いてからでも また描いてみたいと思うかもしれない。明日 描きたいと思うかもしれない。でも それは笹倉鉄平のようなプロではないから、わたしがわたしの気持ちのために描くということなのだ。笹倉鉄平は こうして見るためにある。インテリアとしてね。

やっぱり空はいい

2013年06月17日 | ほんのすこし
忙しかったり、ぼんやりしていたり・・・なんとなく上を見上げることがなくなっていた自分。
久しぶりに空をじっくり見ていると 同じぼんやりでも 空を見てるってなんだかいいなあって思えてくる。
大きなものの中に存在している!って感じるからだろうか。

ここを始めてから早9年に向かおうをしている。2004年の11月から開始。そして その間 なんと様々なことがあったことだろう。その都度 悩みながらもどうやらこうやら乗り越えてきて。
今年は きっぱりとした決定事項があったりして。それが原因なのかどうかはわからないけど、なんとなく体調にも違和感があったりして。自分でも気付かなかったメンタルな部分への影響があったんだなあと感じている。

大丈夫 大丈夫と言い聞かせながらも どこかで空虚に思えている自分がいて、やるべきことをやらずに結論を出してしまったことへの後悔があったりする。結果として同じであろうと そこへ行きつくまでにやらなくてはならないことを省いてしまったことへの後悔・・・聴きたいことや言いたいことを飲み込んで結論を出してしまったことへの後悔・・・それがずっと喉にとげが刺さった感じで残っていた。
でも 今さら何を知ったところで 変わるはずもなし。変わりたいとも思っていないから、これで良かったのだろう。
それでも ときどき これでほんとに良かったの?という疑問が頭をもたげてくるのはどうしてだろう。

そんなもやもやな自分がいたので 空を見る余裕がなかったのだろう。
久しぶりに見ると やっぱり空はいいなあ。
特に雲があったりすると 気持ちいい。
雲はいいなあ。
わたしは雲になる。
雲になって どんどん伸びて行く。この空を。どこまでもどこまでも。
あぁ なんて広いんだ。
こんな広い世界で生きているんだな わたしは。
もう一回 リセット リセット。
空を見る余裕がある今、これからだよ
と 自分に言う。
先のことに不安はあるけれど この9年間の自分を否定する気はさらさらない。
ここにいた自分を大事にしよう。
空を見るって やっぱりいい。