心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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振り返ることもたまには必要だ

2013年11月05日 | 母のこと
昨日は 早めに母のところに行きました。やりたいことがあったからです。
天気が良くなくて 雨が降った後でしたので、庭の冬囲いもまだ早すぎました。やると言ったら 手伝おうかと思っていたのです。外もいつもより寒かったし コタツで丸くなっていました。(一体何しにいったんだか・・・)

母はコタツの前で 数日前からリフォームに夢中。20年以上も前に買ったまま着ないできたセーターやらカーディガンを出してきて 今使えるにはどうしたらいいかとあれこれ頭をひねってアイデアを出しているところでした。どうしても襟繰りがきついと脱ぎ着するのが大変なので 襟を変えようとしていました。何度も仮止めしては頭をくぐらせて 確認しています。その一つ一つの動作が大変そうなのですが、人よりかなり時間をかけて頑張ることが 自分のためになると思っているようです。
わたしは助けを求めてきたときに手助けするようにしています。もっとスムーズに出来るように やってあげればいいのに・・・と思われそうですが、たくさん手を動かして後で痛みを感じても 母が自分だけの手でやり遂げた満足感にはかないません。
小さなことでも その人がやり遂げた!という気持ちを味わえることが大事ではないかなと思うのです。最初から最後までそばにつきっきりで手とり足とり・・・スピードは上がるでしょうが、ほんとに母にとって喜びになるのかなと 首をかしげてしまいます。だから 今のところは見守ることに徹しています。出来上がったら 大いに褒めて その労作がいかによく出来上がったかを認めてあげようと思っています。

わたしができることは同じコタツに入って 母の昔を少しずつ聞きながら 書きとめること。
母が針を持ちながら わたしの質問に昔を思い出し 思いだし話してくれます。「こんなこと聞いてどうするんだ?」と疑問を投げかけられましたが「家系図を知りたくてね」と答えておきました。
父は幼いころから順番に両親を亡くしています。そのあたりのことはあまりよく知らなかったので 昨日はその人間関係を聞きました。誰に育てられたのか どんなふうに育てられたのか。
父は腹違いの姉たちの家族と一緒に生活していたようでした。鉱山に勤めていた姉の一家(北海道)に世話になっていたそうです。姉の旦那さんは怒るとちゃぶ台をひっくり返すような短気な人ではありましたが、相手のことをよく見て相手に気を使わせないようにする人だったと言ってました。どんなことかというと 結婚前に母と父親とで挨拶に行ったときのこと、田舎から出てきたふたり、どんなふうに挨拶したものかと不安だったことでしょう。そのとき 姉のだんなさんが自分から 母たちに声をかけて挨拶しやすいようにその場を作ってくれたそうです。母も父親もホッとしたそうです。そのとき 母はこの人は相手のことに気を配ることができる人なんだなと感じたそうです。
そういえば 誰かの家に行ったとき 相手の奥さまとかが忙しくしていて 挨拶をする機会を逃してしまうことがありますが、それはこの逆なのでしょう。まずは訪問者が気持ち良く挨拶できる雰囲気を作ってあげる それが一番の受け入れた気持ちの表れなのだと思いました。

そういうことから あれこれと襟ぐりを直しながら 仮糸を取りながら 一針一針さしながら 昔を紐解くように語る母。父のことは 父の境遇を知って「この人は赤ちゃんや子供の扱い方を知らないんだな。自分が代わりになろう。」と決心したそうです。昔は父の帰りも遅く いつも食事は母と弟と三人で、日曜ぐらいでしたか 家族全員で食事したのは。だから私たちが幼いときは母が父の代わりに遊んであげたり(男親がするようなこと)したのだとか。お前たちを足で上にあげて高い高いしたり・・・
「あっそれ なんか覚えがあるなぁ。母さんが寝そべって足を上げて 母さんの手とわたしの手をつないでわたしのお腹に母さんの足があったよね。わかる~」
そのシーンがぼんやり浮かんできました。朝早くから夜遅くまで取引先を回っていた父。どんな仕事ぶりだったのかと思うのですが、なんとなくわかる気がします。
母に言わせると メーカーの新商品が出てときなどメーカーの人を連れて 取引先を回るときはお昼をメーカーの人が出してくれるらしいのですが、他の人は普段食べない高い値段の店に連れていくのに 父は安くておいしい中華そば屋とかラーメン屋につれていったんだとか。「父さんは メーカーの人にあまり負担させたくなかったんだよ。おかげでラーメン屋は詳しかったよ」と笑って言いました。

母はちゃんと父のことをわかっているんだなと思いました。そして自分のことを深くわかってくれる妻がいるということが父の人生にとっていかに大事だったかをいつも感じます。
母が言ってました。
「仕事で遅くまでへとへとになって帰ってくる、日曜だって疲れて横になっていたい、そのときに「子どもとも遊んでくれない、どこかにも連れていってくれない、いつも手伝ってくれない」ダメな人だと決めつけないで、この人にできるはしてもらう できないことはわたしがやろう そう思うだけで二人の関係が長く続くもんだと思うよ。」
相手にしてもらうことだけを求めない 自分がしてもらいたいことより 自分が相手にできることを探す それが長く続く秘訣なのかもしれません。父が母に頼まれて何かをやると 必ず母に感謝されたそうです。そして父も母がほんのちょっとでも父が喜ぶことを(それがテレビのチャンネルを変えてくれるということでも)してくれると「ありがとう ありがとう」と言ってくれたそうです。だからわたしが父の顔を思いだすのは 微笑んでいた顔です。
感謝して生きる それが一番しあわせへの近道なのでしょうね。
幼くして両親を亡くし 姉家族と暮らさなければならなかった父に 周りの人に感謝して生きようという気持ちがあったからこそ可愛がられてきたのだろうと思っています。