心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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もふもふ

2017年05月30日 | ほんのすこし
日曜日の講演会参加の証♪



裏側はこうなっていて。

なまはげの缶バッジも入っていた。秋田に来てくれ~というイケイケ感が漂う。
それにしてもこんなビニール?製品でも写真になると秋田犬のもふもふ感はすごいね。
毛並みがふわふわだなあってわかる。

わたしだって小学生の頃、自分の身長より大きな(と、当時は感じていた。それぐらい秋田犬は大きいイメージだ)真っ白の秋田犬を散歩させるのが楽しみだったのだ。ご近所さんの犬だったけど、とても大人しくてね。温厚な性格の犬だった。だから全然怖くなかったし、当時は車の往来も今なんてものじゃなく時折通るだけだったから、散歩に連れて歩くのは大変じゃなかった。
シロと呼んで抱きついて頭に両手を回すと、日向の匂いがしてうっとりしたものだった。

それが突然犬を連れて歩くということから決別することになってしまう。
あるときに友人のところに見せびらかしに行った(そんなことしなければよかったのに後悔先に立たずだ)。最初は可愛いね~なんて喜んでいたけど、向かいの家から突然大きな犬が出てきてシロに飛びかかってきたのだ。わたしは恐怖でリードを離してしまう。数分だったろうか戦いは続いたが、近くの大人が二匹を離してくれた。
その後の記憶が全然無い。
たぶん誰かご近所さんを呼びに行ってくれて無事に家まで戻ったのだと思う。あれ以来わたしがシロを散歩に連れていくことは無くなってしまった。シロは数年後わたしが学校に行っているうちに病気で亡くなったのだと母から聞いた。犬に触れなくなってしまったわたしにとって、苦い思い出のシロだったけど、抱きついて鼻先に感じたふわふわもふもふとした感触は触れなくなった自分への悔しさと共に蘇る。シロはわたしが行くのを待っていただろうか。

その後、大人になって子供が出来て、少し小さい犬には触れるようになったわたしだ。
でも大きな犬を見ると怖さが先に立つのはまだまだ解消されないようだ。秋田犬も同様、遠くで見るのが一番いいようだ。

甘い物に手が・・・

2017年05月30日 | ほんのすこし
最近、甘いものをあまり食べないわたしが甘いものに手を伸ばすようになった。
先日の秋田市訪問でもお総菜の他にどら焼きやら冷たいお菓子やらに手が伸びて、結構購入してしまった。どら焼きはすでにお腹に収まってしまい姿形すらない。
画像はちょっと前に母のところで頂いてきたもの。冷蔵庫に入れて冷やしていたので、すこぶる美味しかった。桜色のつぶつぶが外の皮の中で桜の花びらのように見えるお菓子だった。中の餡子も甘すぎず上品な味ってこういうのかもしれない! という驚きを味わわせてくれた。
本当に美味しいお菓子ね。特に和菓子って美味しいね。
変な甘味料とか入っていない和菓子ね。

母の舌はとても敏感で、お菓子でも長期保存できるもので何か保存料とか入っていると食後に調子が悪くなる。添加物のないもの、特に甘さを出すために使う物に関しては舌が敏感みたいだ。だからお土産もなるべくそういったものを選んでくる。
そんな母が美味しいといってよこしてくれたのだから、美味しいに決まってる(笑)。わたしの従姉妹がわたしが不在のときにお土産に持ってきてくれたらしい。
久しぶりに会いたかったけど、残念なり。残していってくれたものを大事に食べながら、彼女のすこぶる素敵な笑顔を思い出すことにしよう。

果物も甘い物も自分からすすんで口にしようと思わなかったのだけど、ここ最近は家にいると何か甘い物はないかなあって冷蔵庫とか探すことがある。ふとそんな仕草をしている自分がとても不思議に思えて、あれ? わたし変わった? って変なところで思ったりする。日々の暮らしの中でこれまでと違う自分を垣間見たとき、ちょっとドキッとするのは、年をとったと感じるからなのか。鏡の中の女が昨日と同じ顔をしていそうで、どこか空々しい顔つきに見えるときもある。自分のことをこんな人間だと決めつけているから、そのどこか違った印象を抱く瞬間にちょっとしたオロオロ感が表れるのだろう。

甘い物に手を伸ばす。
ただそれだけなのに、なぜか自分じゃない気がして後ろめたい気分になるのは、わたしが決めつけた自分という仮面を外してしまっているような気がするのだろう。
でも、決めつけてきたことはいつか変化するし、変わることを恐れなくてもいいんだよね。
まあ、甘い物ばかりを食すると体に悪いってことはわかるけど。適度にね。
甘い物は見てるとしあわせな気分になるということもあるし。食べたらもっとしあわせになる? そういうしあわせはたまにあるから希少価値があるんだよ、きっとわたしの場合は。