心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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危なかったよ

2025年01月31日 | ほんのすこし
我が家は固定電話も携帯も留守電にしている。
固定電話にかかってくる見知らぬ電話は、留守電に代わると相手がすぐ切ってしまうことが多い。
基本、用事がある人なら留守電に入れるだろうから、入れない電話番号の人は無視してもいい、というスタンスだ。それでも携帯ではない他の固定電話番号だったりすると気になってスマホで電話番号を調べる。
ほとんど出なくてもよいという結果になる。

スマホも留守電設定していて、他に迷惑電話の可能性ありの場合は通知が入る。見知らぬ電話には出ないに限る。そういう状態なので、本当に用事のある人はぜひ留守電に一言入れてほしい(笑)

で、昨日のこと。
午後に見知らぬ携帯番号からかかってきた。もちろん、出ない。少し経ってから画面を確認すると、留守電が入っている。なんだろう?
聞いてみると、○○ファイナンスだという。お知らせしたいことがあるので電話してほしいという内容だった。

詐欺? 一瞬頭によぎった。早速電話番号を調べた。う~ん、ちゃんと登録されているなあ。
気になるので、電話をかけてみた。
電話があった旨を告げると、どうやらカード使用に不正アクセスらしいものがあり(高額)確認の電話だった。ピンときた。
実は昨年インスタの広告を見て、素敵なバッグを割引で紹介していたのがあって、しかも1個好きなバッグが無料で買えるという。結構好きな形のバッグがあったので、レッスン用に使えそうだとかあれこれ選んで注文した。その広告の謳い文句が「長年やってきた工房を閉店することになったので」ということ。ご夫婦で営んでいる工房だと説明。

待てど暮らせど来ない・・・国内なのになぜ?閉店作業が大変なのか?(そんなことを考えたわたしがアホらしい)
一か月近く待ってようやく届いた。届いたよ、でもね~広告のバッグ画像とは明らかに雲泥の差があり。しかも、国内の工房なのになぜにmade in China?
これも詐欺でしょ。革製品だと銘打っていたのに合皮そのもの。安っぽい。
娘に知らせたら呆れられた。

勉強になったわ。前にメールに届いた「ユキバッグ」のリンク先をクリックしても「存在しない」
悔しいったらありゃしない!

前振りが長くなったけど、その支払をカード決済したことを思い出した。もしかしてそれが何か影響しているのも。電話に出た係の優しいお姉さんに伝えた。
「もしかして今後不正に使用される可能性があります。新しいカードを発行しますか」即「お願いします!」
「では、今からカードを停止しますね。新しいカードが来たら、毎月のNTT支払とかご自分で変更手続きが必要になりますから、よろしくお願いしますね」
NTTの他に二箇所変更手続きが必要だとのこと、もうすっかり忘れていたので、メモをしカードが届いたら早速手配しなくちゃと古いカードを穴のあくほど見ていた。

危なかったね。もし留守電をすぐに聞かずに放っておいてたら。高額品の引落しされていたかも。留守電はすぐに確認すべきだね。

あ~、それにしても引っかかるわたしの愚かさよ。バッグの被害だけじゃなく二次被害(そっちの方がもっと危ない)でカード不正されまくっていたら、ぞっとする。
○○ファイナンスの方に感謝感謝だわ。
しばらくカード使えないのはちょっと困るけど,買い物しなきゃいいわけで(笑)節約しようっと。

ま、何事もタダ(一個無料バッグ)より怖いものは無いと言うからね。くわばらくわばら・・・



読んでみたくなった

2025年01月31日 | ほんのすこし

『ほんまに「おいしい」って何やろ?』吉宏吉弘 集英社

ニュースの記事に目がいった。
私自身は「これは必ず食べる!」とか「死ぬまでに味わいたい!」といった食に対する願望は薄いほうだ。「何か食べたいものない?」「どこか食べに行きたいところない?」と聞かれても意気込んで答えることは殆どない。
だから、予約がとれない店があるということも知っていたが、それが日本のどこにあって、どれだけの費用なのかなど知る由もなかった。

ひとり5万円とか7万円。
ホテルのレストランとかワイン入れると高かったりするし、そんなものなのかなあ。そういえば、昔むかし、娘と東京のホテルに泊まったとき、よせばいいのにホテルのレストランに入って食事をした。ウエイターがワインを勧めてきたので、適当に選んでもらった。会計のときに値段が想像以上だったので内心びっくり。ワインが高かった。食事はまあまあ不可もなく。
それいらいホテルのレストランで食事をとりワインをいただくなど滅相もない、といった気分でいる。

脇道に逸れた。
確かに狭い店で定員10名か8名だったら、すぐに予約が埋まってしまうだろう。次の予約を取っておかないと今度はいつ食べれるのか?といった切迫感もあるだろう。そしてここではこんなに美味しい料理を食べることができたぞと自慢もしたくなるだろう。インスタにアップしたくもなるだろう。それだけのお金を払っているのだ、と。
それはそれで美味しいものを味わう、味わい方の選択の一つだと思う。しっかり平らげて「あぁ、美味しかった!」と最後に言える醍醐味だと思う。

村田さんが言うには独立するなら価格設定を25000円ではなく、せめて15000円からにしてお客がついてきたら、上げるのがいいのではないかと。
まあ、何かの記念日とか、年に一回の贅沢だとして15000円のお店に行くという人もいるだろう。私は5万や7万といったお店には死ぬまでに一度も行けないだろうね。でも行けないからといって今後の人生になんの障りもない。

よく「死ぬ前に何か食べたいものを、と言われたら何を選ぶ?」という問いがあるが、わたしは悩む。絶対これだ! というものが思い浮かばないからだ。
また話が逸れた。
村田さんが危惧しているのは、料理人としての立ち位置、姿勢がこのままだと崩れていくのではないかということだろう。高い素材を探し、素材を生かす技量もあるだろうが、狭い世界だけでその料理の腕を使っていていいのだろうか? もっとより多くの人にその技を見せていくのが必要じゃないかということだろうなあ。よく読むと、村田さんはそういったお店を営んでいる方を除外しようとしているのではなく、食材の見聞きや努力は認めていて、それがもっと沢山の人に享受してもらえるような提供の仕方を模索すべきではないか、と言っている気がする。
それは料理人としての後継者への道筋を考えてもらいたいという厳しくもやさしい目線でもあるなあ。

読みかけの土田康彦氏の『辻調すし科 先生といた日々』を開いて読みたくなった。