心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

人生の節目に

2013年04月26日 | ほんのすこし
いつも母とふたりで行く温泉ですが、昨日はわたしひとりで行きました。母にとって温泉は命の洗濯と言えるぐらいのものなのですが、毎日行くのは無理みたいです。逆に体に負担がかかってしまうようなのです。
だから 飛び飛びに連れていってます。

そんな二人のうちのひとりだけが しかもいつも連れて行く時間帯よりずっと早めに行ったものですから、見知った方からは「あれ?今日 お母さんは?」という問いかけを何人からも受けました。そのたびに「今日はお休みでーす。続けて入ると疲れるらしいから。」と答えました。
みなさん その言葉にかなり納得。自分もそうなんだという方もいらして。
年を取ると 体にいろんな負担がかかります。温泉もすごく良いんだけど 回数の加減も考えなくてはならない人もいるんだなと母を見て 知りました。

いつもは母と話しながら過ごす温泉ですが、昨日はわたしひとりなので、ぼーっとしていようと思っていました。すぐ顔見知りの方がいたので 挨拶がてら話しかけました。すると 思いがけずその方の話をしばらく聞くことになりました。家族と一緒の食事をしていることのありがたさ、夫を亡くしたけれど 家族が自分のことをよく思ってくれていること、妻に先立たれるより夫が先に逝った方が夫にとってはいいんじゃないかということ、などなどかねてから自分が思っていることを話し出すその方。いつもは挨拶程度なのですが、なんだか新しい一面を知ったような気がしました。
温泉に来ている方 色々な方がいます。少し話をすると 次に会った時にはもう随分前からの知り合いみたくざっくばらんになります。そしてしばらく見かけないと互いに心配していることがわかります。

年を取った方のお話を聞くのは ためになることも多いです。その人の長い人生のほんの一握りの部分を垣間見るだけで 皺の深さにこめられているものを感じることができます。どんな暮らしをしてきたのかとか どんな生きざまだったのかとか、想像するだけですごいなぁと感じることが多いのです。みなさん 本当に苦労してきています。でも その苦労をあまり表に出さずに 今こうしてゆったりと温泉に浸かっていることのしあわせをかみしめている そんな方が多いのに気が付きます。苦労の連続であった頃には想像もつかなかったしあわせなんだろうなとも思います。

人の行く末はだれもわかりません。明日がどうなるかもわかりません。
でも 生きてさえいれば 明るい明日が来ると信じて 前に進んでいった先に今がある。今は 過去の自分が作ったもの、今の自分の姿が未来を作ると信じて、しあわせになれると思っています。
生きてさえいれば・・・喜びを味わうこともできる。生きてさえいれば・・・何が自分にとってしあわせなのかを知ることもできる。
今の自分が どんなにしあわせか・・・何年か前に味わった辛さも時が過ぎれば薄れます。そしてそこにしがみつかずに 前を前をと見てきたから 今の自分があるのだなと本当に強く感じています。
これからの人生もまた よりよくありたいために 今 自分が何をすべきかをとことん考えていかなくてはと思っているところです。
今がちょうどわたしにとっては人生の節目。大事な決断をし、前に一歩足を踏み出そうとしています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿