心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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あっちゃー、な日々でした

2021年01月13日 | ほんのすこし
ずっとずっと更新できずにいました。

昨年はコロナ禍で、年末の買い物も長持ちするものは早めに買っておこうと数日前から混雑する日を予想して買っていたり。おかげでパントリーからはみ出していましたよ、食材が。
そして本当の年末は買い物をせずに済まそうと考えていました。さらには家族が帰省できないだろうと予測し、これまたのんびり母とふたりで過ごすために少なめのおせちを早割で予約していました。

なんとなくお客さまが来ないって、気持ちに焦りがない感じです。でもまだ11月の初めは弟の子供が帰省するかもしれないと母が孫の電話で聞いていたので、31日には何かを用意しておかなくては、と思ったりしていました。あれこれネットで注文して冷凍庫は案外埋まっていきました。

そんな感じで食べ物には困らないよね? って思っていました。のんきなもんです。まさか、あんなことが待ち受けていようとは・・・

※※※

31日はいつも吸い物と茶碗蒸しだけは手作り。吸い物にも使えるように鶏で出汁を多めに取っておきます。元旦のお雑煮にも使えます。
今年はマイブームの親鳥で出汁を取りました。前は鶏のガラで取っていたのですが、最近は面倒?なのか親鳥です。
あ、こんな悠長なことを書こうと思っていたわけではありませんでした。ほんとに「あっちゃー」な日々がすでに始まっていたことに全然気づいていませんでした。
28日頃から、母が尿の出方に疑問を抱き何度もトイレに行くようになりました。「もしかしたら膀胱炎になったかもしれない」と言うので、以前、急な発熱で急性腎盂炎にかかり入院したことを思い出しました。でもその時とは症状が全然違うので、安心していました。
「水分を沢山とってばい菌を出そう」と二人で少し笑い合ってもいたのです。
そのときまではちゃんと一階に母が、わたしは二階の自分の部屋で寝ていても大丈夫でした。夜中に何度かトイレに起きている母の様子はわたしがぐっすり眠り込んでいない限り、ドアの音で気がつきます。ベッドに戻った頃に確認のため降りていくのが常でした。

ところが。
30日の朝、その日はあろうことかすぐに階下に降りていかず、テレビをつけてニュースを見ていました。早く起きていっても母がゆっくり寝るように静かにしようと思ったのです。御飯が炊きあがる頃におもむろに起きていくと・・・なんだかベッドの下に白っぽいものが見えます。
一瞬、何がなんだかわかりませんでした。そばに行くと、母が横たわっていて
「母さん! どうしたの!」と大きな声を上げました。
「お前を呼ぼうとしたけど、携帯も見たらないし・・・」
「いつベッドから落ちたの」
「わからない。熱が上がってぼうっとして・・・」
一体何時からそうしていたのか、本人もわからず、ただ起き上がれないので尿はそのまま出してしまったのだと。確かに周りが濡れているし、体も濡れている。すぐにお風呂を沸かし、ようやく床から起き上がらせ連れていきました。
お風呂に浸かると少し気持ちが良くなったのか、ベッドに入るとそのまま寝入りました。

でも、その日からずっと熱が上がったり下がったり。咳も喉も変化はなく熱だけが。最初は風邪なのかと思ったのですが、だんだんこの様子は前に高熱になった腎盂炎のときに似ていると。
ただ、年末で病院はお休みだろうし、ベッドから起こして車に乗せるのは至難の業。
もう腹をくくって、とにかく水分を欲しがるので、水分を与えて下着を何度も取り替えて熱を下げることに徹底しました。食欲はもちろん無いのですが、薬を飲まなくてはいけないと思い(別の病気の)おかゆを少しでも食べてもらいました。最初は寝たままの状態で二日ほどわたしが口に入れてあげていました。
トイレに立っていくのが大変なので、オムツと尿パッドをつけさせて極力トイレには立たせませんでした。汗を取ることや食事の用意、考えていた年末の光景はみじんもありません。

頼んでいたおせちが31日に到着。
だけど母は食べられず。「桃の缶詰が食べたいなぁ」とつぶやいたので、31日の午前9時、コンビニに行ってみました。期待のものは無く、そこから少し歩いてドラッグストアに。欲しかった缶詰も薬もありました。スーパーに行かなかったのは31日は買い物客でごった返すだろうと思ったからです。ドラッグストアで正解でした。
それでも何かは食べてほしくて、茶碗蒸しと吸い物は準備しました。夜、茶碗蒸しはベッドで喜んで食べてくれました。
お正月はお雑煮を作って出しました。お餅が大好きな母、少しは食べてくれるだろうと。でも期待に反してそんなに食べてくれません。相変わらず水分をほしがり、冷たい桃を食べたがりました。汗は何度も拭き下着を取り替えるので、部屋は洗濯物だらけ。

それでも年末年始は病院が休みなので、落ち着くまで我慢していました。連れて行くのは無理だと。そして以前から予約があったのが5日。それまでに悪化するようなら4日には、と思っていました。
でも、だんだん熱の上がり下がりがすくなくなり、4日には平熱の時間が多くなりました。水分を沢山沢山摂ってもらい、トイレにも付き添いました(その頃はトイレに立てるようになりました)

この分だと明日(5日)には病院行けそうだなと行く準備を。でも油断はできないので、当日の朝、熱が上がっていたら電話しようと。
幸い、熱も上がらず本人もなんとか着替えもし、車に乗れるようになりました。

通常の診察でしたので、採血があります。採血がすんなり済み、結果待ち。
1時間ほどで先生の前へ。先生が「調子はどうなの?」と聞くので母が「(今日は)調子がいいです」と答えると、大きな声で「ほんとなの!」と。一瞬ふたりともビックリして先生を見ました。
「ほんとに調子いいの? 数値が30倍も上がってるよ!」わたしが説明しました。
年末年始熱があったこと、母が膀胱が悪いようだったと言ったこと。

抗生物質を出してくれました。尿の検査もしました。

先生が驚いたくらいの数値。ふたりは熱も下がったし病院にも来れたので安心していたのですが、そうじゃなかった。
でもお薬が出たのでなんだかホッとしました。一週間、飲み続け、昨日、再度病院へ。結果は良好。先生も嬉しそうでした。でも様子を見るから量を減らしてあと5日服用すること、ですって。

すっかり熱は下がっていて、調子も戻りつつあるのですが、年末年始に衰えた体力はなかなか回復しません。ずっと母のそばにいて夜はベッドのそばのソファで寝て、食事に気を遣っていたら、おせちなんてどう食べたか、忘れてしまいました!
今年のお正月ほど「あっちゃー」な日々はありませんでしたよ。まだ予断は許さないので、しばらくはソファで眠る生活が続きそうです。
それにしても・・・ベッドから落ちていたのを発見したときの驚きといったら・・・あんなことは二度と起きてほしくないと思いました。これまでよりも更に注意深く見ていなくては、ね。
で、ごめんね、母さん。すぐに助けてあげられなくて。何度も心の中で謝っていた年末年始でした。

※※※


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2 コメント

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お大事に (手賀沼日記)
2021-01-13 08:58:55
長らく記事が出ないので、心配でした。正月を挟んでいろいろあると大変ですね。
とにかくお大事に。
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手賀沼日記さんへ (けい)
2021-01-13 10:53:54
更新しようにも、毎日落ち着かず、目を離せなかったので、気持ちもだんだん低下気味でした。でも、先生から大丈夫との言葉をいただいたのでホッとしています。
これからはますます目離しができなくなりそうです。更新もぼちぼちといったところでしょうけど、今年も宜しくお願いいたします。
ご心配かけていただいて本当にありがとうございました♪
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