心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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ラジオ体操

2019年08月06日 | ほんのすこし
先週の土曜日。
ウォーキングから帰ってきて、ふと、そういえば今は夏休み期間だったよなあと気づき、土手にもう一度行ってみた。6時半からラジオ体操をやっているとゴミ集積所に張り紙があったことを思い出したからだ。

土手を降りて草原に立っていたら、小学生の女の子がひとり、所在なげにしていた。少しすると中年の男性(もしかするともっと年上かも)がやってきた。後はなかなか来ない。ふたりが首をかしげている。女の子に「何年生なの?」と話しかけると二年生だという。小さな顔で手足もひょろっと長い。
「子供達は来ないんでしょうか」と男性に尋ねると「いつもはもっといるんだけどね~」と答えた。
しばらくすると上級生の男の子がやってきた。この子がいつもはラジオを持ってくる係なのだろうか。

ラジオもないので、男性の方が「仕方が無い、かけ声かけるからやろう!」と。ラジオなしのラジオ体操が始まった。
音楽がなくても男性のかけ声でなんとかなるもので、ラジオ体操第一をやり終えた。本当はラジオ体操に出ると判子を押してもらえるはずだけど、その女の子が持ってきたカードには押してもらえず。
男性が「もしかしたら土日はやっていないのかもしれないなあ。月曜日に今日の分も押してもらえばいい。」と言うと、女の子はちょっと嬉しそうな顔をした。
「明日も来る!」って。

わたしが子供の頃は土日関係なく、毎日やっていたと思ったけど、今は違うのかなあ。
あの子、日曜も行ったかしら。わたしはあれから顔を出していない。行ってみたい気持ちもあるけど。

前はテレビ体操を録画して家の中で体操をしていた。今は全然やる気なし。でもラジオ体操ってやってみると全身の運動になって真剣にやればかなり体にはいい。やれば体にいいってわかってるのに、テレビは別の番組をつけてしまう。頭の中に〈朝にちょっと歩いているもん〉という言葉が浮かんで、それで運動した気になっちゃってる(笑)
さらにラジオ体操を真剣にしたら、鬼に金棒なのにね!


暑さに負けずに

2019年08月05日 | ほんのすこし
まさかこんなに暑くなるとは!
最近は早朝のウォーキングが終わり、雑草取りをし、朝食の準備を。
1日のうちで一番活動しやすい時間。あとは無理。だんだん暑くなってくるので、動けない。
そんなこんなのここ数日、母の熱中症を気にしつつのごはんしたく。エアコンなし、扇風機だよりのわたしには、この暑さは
もう、駄目❗

あれ?
負けないっていうシチュエーションだったのに(笑)


ペットボトルにこんなものをつけてました

2019年08月05日 | 母のこと
母が針と糸を持って
「これ、通してくれ」と頼んだ。一体、何をするのかと思ったのは、テーブルには手直しすべき服などがなかったからだ。頭をかしげながらも、眼鏡をずらして針穴にしつけ糸を通して、母の手に渡した。

すると母は居間から隣の台所のテーブルに座った。テーブルの上には太めのゴムと冷蔵庫に貼り付けていた薄いマグネットが置いてあった。

母は持病が二つもあり、朝昼晩と飲む薬の量が半端でなく多い。その薬を飲み込むために食後にはペットボトルに水を入れてテーブルに置いておく。その準備をするのはわたしだが、ずっと小さめのペットボトルを使ってきたけど、そろそろ新しいものに変えたら? ということで最近、どれにしたらよいかあれこれ選んでいた。本当は普通の500ミリのだと大きすぎる(母には重い)から、もう少し小さいものがあればよいのだけど。金曜日に皮膚科受診したときに病院内で小さめのお茶のペットボトルを購入した。
「これ、小さくてちょうどいいから、持って帰って水を入れるのに使う」と喜んでいた。
だが、帰ってきてボトルのラベルを剥がし、水を入れると・・・そのペットボトルは最初から少し茶色い色がついていたのだった。水を入れると水が茶色に見える。
〈これは、絶対、使わないだろうな〉
すぐ母が
「やっぱり駄目だ。これだと美味しく見えない」とぼやいた。
だろうね、やっぱり。

仕方がないので、最近生協で購入した炭酸水のボトルを勧めた。なんといってもラベルが可愛いのだ。母に選んだのはシマウマ。象やペンギンもあったけど。
沢山あるので、間違えると困るということで、すぐに母はキャップを黒いマジックで塗りつぶしていた。そういうところは抜かりがない母だ。
しかし、どうもそれだけでは母的にはつまらなかったらしい。

孫が来たら遊べるかと冷蔵庫に貼り付けていたものがある。それがマグネットだ。しかもアンパンマンたち。色々なキャラクターが貼り付けてある。
その中からジャムおじさんを選んで、自分の水専用ボトルだとわかるよう、ゴムとジャムおじさんを縫い付けていたのだ。

後で、出来ていたボトルを見て、母のアイデアにこそっと微笑んだわたしだった。
母、86歳、可愛く見せたり、可愛いと言われるとまんざでもない顔で嬉しそうにする。いい意味で年を取る楽しさを知っているのかもしれない。