日本陸軍将校だった私の伯父
(故人)が北支で帯びていた
のは濱田1式ではなく、FN社
のブローニングM1910だった
という。
日本にも多く輸入されていた
名銃M1910は大人気で、将校
だけでなく、民間人の多くも
購入していたようだ。
比較的安価で、小型で、コン
シールド性も高く、かつ極め
て安全な機構装置が三重に組
み込まれた携帯利便の拳銃。
まさに拳銃、ザ・ハンドガン
というようなピストルだった。
日本のアニメでは峰不二子の
愛銃でもある。
1910年から1983年まで70年
以上も生産されていた名銃中
の名銃だ。
だが、伯父は実戦で発砲した
事は一度も無かったとの事だ。
では佩用していた軍刀は?と
問うと「なぁんが。昭和刀よぉ」
(ママ)と言った。
昭和刀が何を指すのか不明だ
が、鉄板抜き物なのか靖国刀
なのか分からない。戦時中の
機械鍛錬の関物軍刀であった
ならば(現在登録不可)、か
なりの切れ味と強靭さを持っ
ていた事は確かだ。関物軍用
刀は素延べ刀や鉄板打ち抜き
刀ではない。
実は日本刀一千年の歴史で
一番強靭堅牢な日本刀を作っ
た時期が第二次大戦前で、軍
用刀の中でも当時の現代刀は
頑丈無比だった。
戦後は現代刀は美術品になっ
たので99%の現代刀製作者は
戦前戦中の軍用刀を否定し、
蛇蝎のように毛嫌いし、現代
刀製作者たちは刀の実用性を
否定する。曰く自分らは「作
家」であると自称して。刀鍛
冶ではなく芸術家なのだ。
だから鍛冶屋が先生、先生と
呼ばれてふんぞり返っている
のが現代の現実だ。
伯父はその軍刀も一切使った
事は無かったと言っていた。
満鉄○○部から陸軍に移籍し
たのだが、戦闘で武器兵器は
本人は使わない職務だったの
だろう。
ただし、刀よりも銃には充分
良い物を装備した点に、職務
が何たるかを伺わせる。
なお、日本軍では将校の銃と
軍刀と装備品は自費の自弁で
揃えなければならなかった。
長靴(ブーツ)までもだ。
軍からの支給や貸与ではない。
これ、いろいろ当時の話をい
ろいろな古老たちやお年を召
したご家族に聞くと、結構大
変だったみたい。
うちは血族親族が明治以降は
軍人、警官、教師、看護婦だ
らけだが、戦前から戦中の話
を直に聞ける人たちも段々少
なくなってきた。
歴史を実体験した本人たちの
嘘無き時代語りは、単にリア
ルであるだけでなく、とても
貴重なのだ。
そして、戦後の身の振り方は
保守体制派から革新派までい
るが、血族親族たちが言う共
通点は「戦争は二度と嫌だ」
という点だ。
元軍人将校も銃後に生きた人
たちも、私の血族親族で、戦
争万歳!と言う人間は一人も
いない。
一つの、現代における支持政
党の違いや思想信条の違いを
超える共通の視座、のような
ものを私は血族親族から強く
感じる。
私の血族親族は、右から中道
から左まで、一様に願いは
「反戦平和」なのだ。
一千年を越える戦争屋の血族
たちがそう思っている。
これは一つの何か不動の心の
ようなものを感じる。
そして、その心根には人の希
望の光がある。