豆まき、恵方巻、柏餅・・・。
日本文化の中では血塗られた
古代史の残像が、あたかもそ
れが善行であり、ただの習慣
であったかのように、食文化
にまで古代征圧史の姿が残っ
ている。原初の意味が忘れ去
られる捏造を伴って。
風物詩のように嘘に転換して
語られ、実行されてきたそれ
らの日本の伝統食文化は、ほ
ぼ全て古代史の皆殺しの歌と
して存在していた。
祭りにおいても、鬼が登場し
たり、注連縄を張ったりとん
どで燃やしたり、神輿を担い
だりの神事として執り行われ
る祭りは、ほぼ全てが残虐な
殺りくによる古代征圧史を祀
るものであると断言できる。
だが、人はそれらが「勝者の
歴史」によって創作されたも
のであるという記憶は既に無
い。
一部の歴史学者(皇国史観以外
の)や民俗学者、その世界に通
じた研究者によってしか、古
代の残虐な王政史の実像は把
握されていない。
恭順か死か。抵抗すれば全員
皆殺し。それがヤマトだ。
だが、あまりに巨大な在地勢
力すぎて、殺りく征服ではな
く傀儡化させる事で抑えざる
を得ない者たちもいた。
それが出雲だった。
吉備は殺りくによって完全征
服された。ハヤト、エミシ
(エゾ)、ツチグモたちの
ように。
そして、古代征服史には、必
ず鐵を巡る中央勢力による地
方在地勢力の技術の簒奪が伴
っていた。
鐵は金(かね=鉄)の王なりと
書く。
古代ヤマトにとっては、農地
開墾による米作範囲の拡大は
即国力の増大に直結したので、
鉄器の掌握は必須条件だった。
そして、オオミタカラという
被支配層を抱え、ピラミッド
社会を作る事でごくごく一部
の者たちがこの国を支配した。
オオミタカラ以外は良民に非
ずとして、地方の在地抵抗勢
力は皆殺しにしてきた。
更に、自らのピラミッド社会
の中にも人間としては扱わな
い最底辺階級を設ける事によ
りオオミタカラたちの抑圧へ
の不満のガス抜きをさせた。
その古代の極めてエゲツナイ
手法を一千数百年後の豊臣秀
吉と徳川家康は最新制度とし
て再構築した。
日本に現在も残存する同じ
日本人内の出自や血脈差別
意識の発生は、古代のヤマ
ト王権成立期に遡る。
有り体にいえば、誰にでも
見える分かり易い構造が現
代の日本にも残存している。
なぜ「国民」ではない天皇
という特別な存在が国民の
最頂点に君臨しているのか、
という構造だ。
明らかに存在する特別な階
級。
日本は今でも階級制度を善
しとし、それを残す階級社
会であるのだ。
それに疑問を呈したり逆ら
ったりしたら虐殺される事
は、つい先の大戦時にも実
行されていた。