少年柔道時代、意地だけで練習に行っていた時期が結構長かった。
一応は練習に間に合うよう帰ってみたものの、
行きたくないわぁ〜・・嫌やわぁ〜・・。
と足が重くなって、奥さんに、『ちゃんと行きや』と促されることが多々あった。
体が疲れてるからとか、子供の調子が悪いとか、そんな理由は一切なかったんですが、やっぱり人に対する拒絶が多かったかなと。
私は練習中、勿論、子供達を中心に見ていますが、大人の顔色も見ています。
親がやる気をなくしていないか、子供にプレッシャーを与えていないか、不満を持っていないか・・と探って見ていると、
コソコソとする人、手のひら返す人、裏表がある人、損得勘定ばかりする人、我が子のことしか見えてない人・・が垣間見えてしまい嫌気を差してしまう。
嫌ならそんなところ見なきゃいいのにって話なんですけどね。
自分的には目を背けたらいけないと思っていたし、そして、見てしまったものはスルーできないので、時には理解を得る為、時にはお互いが歩み寄りの議論していた。
気付かないのは許されるかも知れないけど、気が付いているのに放置することができなかったんです。
ただ、そこにはとんでもないエネルギーを使う。
嫌なシーンを見るのも、そこを指摘したり、嫌なことを言うのも心身共に疲れ果てる。
だから、憂鬱な気持ちだったことが多かったように思いますが、グループを引っ張る者の宿命だと思っていました。
孤独なポジションで家族ぐらいしか心が許せないと荒んでいた時もありました。
勿論、早く練習に行きたいと思うこともありました。
これを教えたい、試したい、伝えたい。
とワクワクした気持ちにさせてくれる雰囲気の時もある。
ま、常にそうありたいんだけど、そうはいかない。
今は楽しくやらせて貰ってますが、今でも言うべき時は言うスタイルは変わりませんけどね。
見て見ぬ振り、自分さえ良ければいいという器用な方々もいますが、孤独な宿命と向き合っている指導者の方々も沢山おられますので、そんな方々と傷を舐め合って頑張って行きたいな。😁