高校の文化祭で、演劇やダンスなどの出し物の一つとしてバンド演奏をした、豊島公会堂(この写真を撮った後に閉館してしまいました)。
800席程の客席には半分程のまばらな感じで、同級生や後輩たち。
32年前、高校3年生の秋、初めてこの公会堂のステージに立った時。
キーボードを弾きながら
「ああ、こんなに大きな音で演奏することは、もう一生無いかもしれないな。気持ちいいな。」
と思った瞬間を、今でも覚えています。
時は流れて。
ひょんなことから、今日、高校以来、一度も会っていなかった同じクラスの友人と連絡を取ったのです。
彼のほうが、ブログを見て「〇〇(←高校の名前)の川村か?」と。
でも、なんの連絡先も書いてないので、北海道の友人のMちゃん(やはり同じクラスだった)に聞いて、今の連絡先を訊いて貰ったのです。
連絡すると。
「おう、そんな声だっけ」
「お互いにな(笑)」
「ひまなのか?プータローなのかと思ってた。」
「かろうじて、ギリギリ回避してるかな」
「なんだ、じゃあ、ちゃんと税金もはらってんのか。えらいえらい」
「おかげさまでな」
32年ぶの会話がこのスタートですよ(笑)。
勿論、クラスの中でも、仲の良かったグループの一人でございます。
毎日のように一緒に昼ご飯を食べて、休み時間はだらだら喋って。
よく覚えてるのは、二人乗りでバイクに乗って、走り出してすぐにこけて、僕は胸の骨を骨折したのに(あとで知ったのですが)、そのまま夜遊びに行ったことですかね。
あんなことや、こんなことも、よく思い出せないけど、でも、曖昧な記憶の中にも、夢に溢れた、やけにキラキラしている時期です。
やつは、バスケ部で、背も高くて、男の僕から見ても可愛い顔してて、きっと当時もモテたことでしょう。
「ひさしぶりだから、最近の写真送ってよ」
と言ったら、
「頭の上まで肌色なだけだ」
「ライン、やってないのか」
というと、
「やり方わからない。ID? バーコードなら頭に乗ってるけど」
と(そののち、頑張ってラインは送ってくれた)。
22歳、25歳の二人の子どもを育てた、立派なオヤジになっているわけですよ。
「川村くんがミュージシャンになっていることは、どうもピンときてないようだった(笑)」
と、間に入ってくれた友人Mちゃんが言っていました。
下手なりに、頑張っていたんですけどねえ(笑)。そこは、目に入ってなかったかな(笑)。
まだ、当時と変わらず、高校のそばに住んでいるとのこと。
「ひましてるなら、この辺通りかかったら、飲んでやるから連絡しろよ」
「お、おう」
「・・・って、来る気ねえだろ(笑)」
「んなこたーない」
もうほんと、同級生ならでは(笑)。
同じクラスになったのは2年間だったかな。
でも、学生の頃の2年って、密度というか、接着度が凄いですよね。
毎日顔を合わせて、同じクラスで過ごすって、特殊な事なんですね。
そして、それから32年。
長いです。
でも、その32年も、一瞬で飛び越えてしまう。
少しラインして、
22時になったら、
「寝る。もう返信するな。気になっちゃうから」
って。
とか言いつつ、また、ブルル。
「今日はなんだか楽しかった」
って(笑)。
おうおう。
いやあ、会いたいなあ。
頭が全部肌色の、Kに(笑)。
それについては、
「川村は原型保ってんな。おれの髪型真似していいぞ」
とも言ってましたね。
お、おう、そのうちな。
エコだもんな(笑)。
ではー。