よく、ミュージシャンが集まると、笑い話でいうのです。
「俺たちミュージシャンなんて、失業保険もないし、怪我したって終わりだし、年金だってわずかだし、来年続けてるっていう社会的な信用もないから、銀行もお金貸してくれないしねー(笑)」
なんて。
「でも、定年だけは無いからね。」
「元気なら一生、ずっと現役でいられるってことだけが、唯一の救いだよね」
「そうそう、だいたい、好きで始めたことだから、一生続けたいよね」
なのに。
--------------------
今日はリハーサルでございましたので、会見も見れておりません。
休憩時間に見たネットのニュースで、知った次第です。
2000年に、KEIKOちゃんのソロツアーに参加させて頂いたことが、
僕にとってのミュージシャンとしての最初の転機だったと確信しています。
それまで、どこか鬱々としていたミュージシャンとしての自分に対する思いが、
色々な意味で、色々な方々の助けで、・・・なんといいますか、吹き飛んだというか、吹っ切れた、そんな思い出深いツアーでした。
そのツアー演奏していた曲の半分ほどは、globeの曲でした。
本当に、最高に楽しいツアーでした。
そのツアーの模様は、音源にもなっております。
その翌年の2001年、さらにその翌年2002年、2年続けて、TMNetworkのボーカリスト、宇都宮隆さんのツアーに、バンマスとして参加させて頂きました。
TMの曲も演奏しましたね。。
そして、2003~2004年にかけて、安室 奈美恵さんのツアーに参加させて頂きました。海外を含む、40本以上の公演でした。
安室 奈美恵さんが、ちょうどヒップホップ路線にシフトチェンジし始めたころのツアーでしたので、メニューの半分~2/3くらいは小室さんの楽曲でした。
そして、2005年に、今度はバンマスとして安室 さんのツアーに参加させて頂いたのですが、さらにヒップホップ路線の楽曲は増えておりましたが、
やはり「Can You Celebrate?」などは演奏しましたし、当然のことながら、大変な盛り上がりとなりました。
今でも椎名へきるちゃんの現場で、バンド編成の時にご一緒しているミュージシャンは、globeのレコーディングやツアーメンバーであったり、一緒に安室 さんのツアーを周ったメンバーだったりもしています。
あの冨田先生をして「あなたは、モーツアルトの生まれ変わりみたいだ」とまで言わしめた作曲家。
日本人で、この作曲家の曲を一曲も知らない人は、ほぼ居ないといってよいと思いますし、
逆に、「10曲以上、今でも、カラオケで歌える」という方も、多いのではないでしょうか。
凄い事ですよね。
そして、日本のシンセサイザーの発展の歴史にも確実にその足跡を残した、偉大なイノベイターでもあります。
沢山の伝説、そして、沢山の夢を与えてくれた方でもあります。
僕も学校でも、よく、お話をしたりしていました。
何といっても、日本で、もっとも成功した作曲家の一人で、その名前の下に「ブーム」とまで付いたとなりますと、
その社会的なインパクトは、日本の歴代作曲家でNo.1だった、といっても過言ではないのですから。
色々なことがあったにせよ、
・・・その切っ掛けなどについては、何を言う立場でも、発言する立場でもありませんが、
ただただ、結果として、この天才と世に言わしめた大作曲家が、
「引退」
というのは、
心が捻じ切れるほど、残念でなりません。
今は他の言葉もございませんし、グルグルと色々な思いが頭を駆け巡っております。
また、一緒にツアーを周っていた頃の、・・・もう18年も前になりますが、明るく元気なKEIKOちゃんの声と笑顔も、ずっと耳に、目に、ちらついております。
簡単には言葉にできない、複雑な思いがあります。
ただ今日、今は、
かくも多くのご縁を頂き、また、遠くに、近くに、音楽家として、多くの刺激と影響を与えて頂いた
いち後輩ミュージシャンとしての僕からは、ただただ、感謝の言葉を述べさせて頂きたいです。
小室さん、長い間(・・・あっという間でもありますが)、どうもありがとうございました。。。
では。