例外はありつつも、基本的に映画や文学、絵画や彫刻、写真などとは違って、
音楽には、それが出来上がっていく様をリアルタイムで見せる(聞かせる)、という表現方法があります。
映画が公開される。
本が発売される。
絵がお披露目される。
みな、その出来上がりは、何度も推敲されて、吟味されたものです。
あとは、その評価を待つばかり。
コンサートは、作る過程を見せるものですから、最後の一音が終わり、ステージに終演のアナウンスが流れる瞬間まで、
その完成形は、作り手側にも、予測不可能な部分を大変多く含みます。
要は、やってみなくてはわからない、終わってみなければわからない。
それを、あの規模で行うわけですから。
玉置さんが、最終リハの日、最後に仰いました。
「もうあと、俺たちに必要なのは、4万人のオーディエンスだ。お疲れ!」
そうなんです。
これは、いつも僕もここで書いていますが、今回も、本当に実感した部分なのです。
前日、甲子園で通しリハーサルを行いました。
いわば、コンサートの内容を全て演奏したのです。
ただ、そこには、お客様は、いない。
そして昨日、15時過ぎに僕たちがステージに上がると、目の前には4万人近いお客さんが、いるわけです。
これはね、まるで別物なのですよ。
別世界、異世界、といった方が、わかりやすいでしょうか。
同じ場所で、同じメンバーで、同じ楽器で、同じ楽曲を演奏しても、
まるで別なものになるのです。
僕たちは、そのギャップを知っているから、余計にかもしれません。
生き物のように、色々なドラマがありながら、うねり、その一曲が始まり、終わり、次の曲が始まり・・、
だんだんコンサートが作られ、流れが出来ていく様は、まるで地面に水が流れ、行く先を変えながら、徐々に川になっていくかのよう。
一瞬一瞬、コンクリートのような重圧と、同時に、さらさらと空をゆく夜風になったような軽やかな気持ちの両方を、ないまぜに感じながら、
僕たちも、皆様と一緒に、甲子園で、音楽の一部となって、あのコンサートを作りました。
円グラフにすれば、「楽しかった」が半分以上を占めますが、でも、100、それだけではないです。
100「楽しかった」だけのコンサートなんて、存在しないかもしれません。
いつだって、どこかで苦々しさを伴うものでもあります。
ただ、「楽しかった」という短い瞬間が、それはそれは恐ろしく光り輝いているので、・・・それ以外の事が吹き飛んでしまうのですよね、いつも(笑)。
ぞして、いつもどこか不完全だからこそ、
「よし、次こそは」
と、それが活力になり、モチベーションになるのだと思います。
昨日の夜は、爆睡でした。目を瞑った瞬間に、落ちていました。
そして、今朝、信じられないくらいのポカポカ陽気の平和な空気の中、新幹線に乗り、
終わったという安堵感と、よくぞこのスケジュールの中ここまでやったよなあ、という達成感と、
でも、まだどこか、やっぱりやり足りない気持ちと、
でも、じゃあもう一日やれ、と言われたら
「すみません、ちょっと無理です(笑)」
というような、今はまだ、
おがくずがビーカーの中でわさわさと動き回っている、混沌とした状態にいます。
一生忘れることのない、素晴らしい体験をさせて頂きました。
安全地帯さんは、最高のバンドです。
そして、田中さんの一日も早いご回復を心よりお祈りして。
改めまして、昨日は本当にありがとうございました。
今日は銭湯に行きました。
こんな日は、お風呂にゆっくりつかるのが最高です。
ということで、明日には、沈殿するかと思います(笑)。
ではー。