いよいよ、前の部屋の明け渡し日となりました。
新しい部屋に越してきて、今日で三週間。少しずつですが慣れてきたかな、と思い始めてもいます。でも、今日久しぶりに、6年住んだ部屋に行ってみて・・・。
走り慣れた道、いつもの近所の風景。駐車場にクルマを停めるのも、何百回としたことなので、切り替えしなんてしなくても、一度でピッタリ。そして、トビラを開けた時の部屋のにおいが、まだ自分の家って感じがしてね。
でも、もう何も無い部屋。ガラーンとした部屋を眺めていると、初めてこの部屋の内見をした日のことが思い出されます。6年前の春。ちょうど桜の季節でした。まだ、柑橘系二人組の仕事にも関わる前ですから、ここにいらっしゃってる多くの皆さんともお会いしていなかった頃ということになるでしょうか。
実は、最初、同じマンションの他の部屋の内見に来たんです。こことは広さも間取りも少し違う部屋でした。その部屋の窓からは目の前に桜の木。それまで住んでいたい部屋と比べても、広くなるし、悪くないな、とは思いました。「うん。いい部屋ですね。」と、案内してくれた不動産屋さんと管理人さんに言いながらも、「(でも・・・)」と何か心に引っかかるものを感じてました。
なので、まだ時間もあるし、もう少し色々と見てみるかな、と思い、「どうもありがとうございました。わかりました。では今日のところはとりあえず」と言ったところで、管理人さんが「あ、ちょうど先日もうひと部屋空いたんですよ。まだ掃除もリフォームも入ってないけど、見るだけ見てみますか?」とおっしゃるので、「そうですか。じゃあ、せっかくですから」と、見るだけ見てみることに。「お探しの条件に合うかどうかはわかりませんが」と案内してくれて、「はい、こちらです。」と鍵を開けてくれました。
そして廊下を抜け、リビングに入った瞬間。
「あ、ここだー。」
服なんかの買い物と一緒ですよね。「あったあった、これこれ」という感じです。
考えていた平米数よりも3割くらい広く、部屋数も一部屋多い。家賃だって、当然考えていたよりも、ちょっと・・・。でも、一旦走り出した気持ちは止まらず、「その分、頑張ればいいんじゃんか」と思って、すぐに「ここにします」と決めました。
自分でも、思いもかけぬ決断でした。とはいえ、まるで不安が無かったわけじゃなかった。若い頃に次の家賃が払えるかどうか、不安で眠れない夜も経験してましたから。
でもね。初めて一人暮らしをしたワンルームの部屋にいた頃、ある人に言われた言葉を思い出したんです。そこは、初めての部屋ということもあって、とても気に入っていた部屋でした(・・・部屋の真ん中にお風呂があってね(笑))。ある日、4つ年上の友人が彼女を連れて遊びに来てくれました。その彼女とも以前からよく飲んだりしていたので、僕も仲が良かったのですが、部屋に来るのは初めてでした。その彼女もやはり4つ年上で、当時で30歳を少し超えたくらいの年齢だったでしょうか。彼女はスタイリストとして大成功を収めていた人だったのですが(今でもよく雑誌やテレビなどで名前を見ます)、全然気取ることも、奢ることもなく、とっても無邪気で元気な、素晴らしい人でした(そうでないと、あそこまで成功しないかも)。
その彼女が、帰る間際、「ケンちゃんさ、この部屋、出てみない?」って言ったんです。
「・・・え、なんで?確かにちょっと狭いけど、楽だし。今はこのくらいの家賃しか払えないしさ。結構気に入ってるんだけど。」と言いましたら、
「うん。それはわかる。勿論ここもいいんだけど。・・・これは私の考え方なんだけどね、人は、住んでる場所で大きく変わると思うのよね。その部屋の大きさ合った人になる、っていうか。だから・・・」
「ケンちゃんは、・・・もっと広いところに引っ越したほうがいいと思う」
彼氏も、「うん。それ、わかる。そうだ、ケン坊、引っ越しちゃえ!」って。
誤解しないで欲しいんですけど、彼女は確かに本当にお金持ちだったけど、ちゃんと気持ちで仕事をする人で、人を大切にするハッピーな人で、そして自分から率先して一生懸命働く人で、「でも、遊ばないと、働けないから。だから沢山働いて、沢山遊ぼうよ」って言って、眠い目をこすりながらでも、笑いながら仕事に行って、そのまままた遊びに行っているような人でした。いうならば、いつもエネルギッシュな人。決して守銭奴の様な人でもないし、成功第一主義の人でもないし、その言葉にも、なんのトゲもありませんでした。ただ、心から本当にそう思ってる、っていう人の言葉でした。
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あ。また間に合わないじゃん、とりあえず一旦(笑)。
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すみません。
でもその時は、「うん・・・、考えてみるね。ありがと。」って言うのが精一杯で、即答は出来ませんでした。
その部屋に住んでるのだって、当時は結構楽では無かったんです(笑)。住み始めた頃はまだバンド時代だったので、少ないながらもお給料が出てました(そしてワンルームの家賃で半分以上がなくなるという(笑))。やがてバンドが活動を停止して、当然その薄~いお給料すらも停止して、あとは時々少しだけ入ってくる仕事で、どうにかこうにか食べ繋いでいる、といった感じだったんです。だから料理もね、その頃にだいぶ覚えたんですよ。お手軽で安くて、お腹が膨れるやつね(笑)。もう、ギリギリ生活ですよ。まだ100円均一とか、無かったしなー(笑)。それでも何だかんだ言って楽しかったなー、と思えるのは、たぶん「若さ」の成せる技ですね(笑)。
でも、それから一ヶ月ほどしたある日、レコード会社に勤めていた大学の同級生から「あのさ、最近、ひま?」「うん。残念ながら、ひま(笑)。」「そうか、それは俺にとっては好都合(笑)。あのさ、ビジュアル系のバンドの○○○なんだけど、今度ウチからアルバム出すことになったんだよ。で、10日ほどでいいから、ちょっと面倒みてやってくれないかな。軽く音楽の基礎的なことをアドヴァイスしてくれる位でいいから。まだその辺もよくわかってないみたいだからさ。」っていう電話がありました。「いやー、おれでよければ、いいけど・・・」そして翌週からそのバンドと共に、いきなり山中湖の合宿所へ。赤や青や金色の髪の毛のバンドメンバーたちと僕だけで、いきなり10日間ほどの山暮らし。でも空気とご飯がおいしくて、いい所でしたけどね。
あー、どんどん話が逸れていってるような。まぁ、書いちゃってるものは仕方ないと、ご勘弁を(笑)。
で、最初、合宿所で合った時には「うーむ。すごい状況だな、これ。大丈夫か、おれ。」って、ちょっとだけ思ったんですけど、初日の夜には、もう仲良くなって大宴会(笑)。中日くらいには「ケンさん、うちのメンバーになっちゃいなよ」って言ってもらえて、勿論それはやんわりご辞退申し上げましたけど(笑)、結局そのままCDのプロデュースまで頼まれちゃうことになったんです。
そして東京に戻って、一日36時間スタジオ詰め、4時間睡眠、という強烈きわまるレコーディングの日々が始まりまして(←バンドも初めてのメジャーでのレコーディング。そして、僕も手探りでしたから、とっても時間が掛かりました)、まぁここは今詳しくは書きませんが(結構書いてるようですが、まだまだ話が尽きないですよ、この時のことは。凄い話も沢山あってね(笑))、でも、とにかく無事にレコーディングが終わり、やがて入ったそのプロデュース料といいますか、・・・ギャラを丸々全部つぎ込んで、とにかく引っ越すことにしたんです。躊躇はありませんでした。あれからずっと、彼女のあの言葉が気になってましたから。うん、もしかしたら、そういうものなのかもって。よし、とにかく信じてみよう、って。
そして選んだのが、渋谷でした。どうせなら、ど真ん中に行ってやれ、ってね(笑)。広さも、いきなり倍。「ほんとに大丈夫か」なんて、先のわからないことを考えてても仕方がありませんからね、もう思い切ってね。清水の舞台で助走つけて、ジャンプして法隆寺あたりまで飛んでみた、とでもいいましょうか(笑)。
そしてそれを機にですね、僕の人生は帆を高々と揚げた船のように、いきなり仕事がガンガン舞い込み始める・・・なんてわけはなく(笑)、まぁ色々とありました。あ、おっさ・・・いや、おにーさんの昔の苦労話ほど退屈なものも無いと思うので(笑)、ここらでやめときましょうね。
結果として、あの彼女の言葉は、僕は「あり」だと思っています。ちょっと背伸びしてでも、っていうか冒険してみるのって、本当に悪いことじゃないって思うんです。怖いから、ってセーフティ・ゾーンから出なければ、確かに、色んな事にそういう考えの人になっちゃうかも、とちょっとそれはそれで怖くも思います。
一人暮らしされてる方はわかると思うんですが、家賃って、毎月の支払いの中で間違いなく一番大きいものですよね。だから、これをコントロールすることで、張り合いにもなると同時に、仕事により責任感や危機感も出るし、ということなんじゃないかな、と。
もっともこれは・・・僕たちみたいな、不定期な収入の人の考え方なのかもしれません。彼女も、「仕事は自分で取るしかない。でもやった分、ちゃんと自分の価値としての収入を得ることができる。でも仕事が無ければ当然収入は無いし、へたしたら何ヶ月もゼロが続く時だって、決して無いことじゃない。」という、綱渡りのような生活を選んだ人です。なので、誰にでも一様にあてはまる考え方では無い、と言うことは、一応、お断りはしておきますね。ただ、経験を通して、僕もそれが実感としてわかったような気がする、というのは事実です。決してえらそうなことを言うつもりもありませんし、自分が大きくなったなんて、未だこれっぽっちも思っていませんが、でもなんか不思議とあの話は理解が出来た気はしているんです。
なので、あれから引越しでは、毎回ちょっとづつでも、部屋を広くしていくことにしてるんです。そのほうが、面白いことが起こりそうだから。もう、こうなったらね(笑)。
はい、そして話、ぐーんと急に戻ります。お気をつけて(笑)。
そして、6年住んだあの部屋。引越しもどうにか落ち着いて、それでもやはり別にいきなり仕事がバンンバン舞い込む・・・わけは、やはりありませんでした。そうそう、うまくはいかないもんです(笑)。誘われるままに細々とバンドなどを始めてはみたものの・・・「さて、どうなるか。どうするか。ま、どうにかなるだろうし、どうにかするしかなんだよな」という感じ。
そして、その年も終わりが見えはじめ、寒い冬が近づいてきたある日、一本の電話がありました。
「あー、久しぶり。元気?ケン坊さ、来年の頭から半年ほど、ひまじゃない?」「えー、残念ながら半年どころか、今のところこの先一生ひまですが(笑)」「そうか、良かった。あのさ、ピアノの仕事があるんだけど、興味ある?」「え、はい、あ、勿論!えっと、ちなみに、どなたのお仕事ですか・・・?」「うん、○○なんだけど。」
電話口から聞こえてきたのは、あの柑橘系二人組の名前でした。そしてなんとね、この電話の主は、つい最近も、俊くんやJYONGRIちゃんのライブで一緒にお仕事させていただいていたばかりの石坂さん、だったんですよ。二人組がひょんなことで僕の名前を挙げてくれたらしく、その前にKEIKOちゃんのソロ・ツアー、そして、宇都○隆さんツアーでお世話になっていた石坂さんがファースト・コールを引き受けた、ということでした。
結果として、あれからずいぶん長い間、沢山のツアーで、彼らと一緒にステージに立たせてもらうことが出来ました。日本全国の大きなステージにも何度も立たせてもったし、音楽的にも本当に勉強させてもらって、そして何よりピアノを弾くことの面白さ、楽しさを改めて教えてもらうことになりました。そして、今これを読んでくださっている皆さんとも、出会えるチャンスをもらったんですよね。そして、それはずっと繋がっていきました。へきるちゃん、奈美恵ちゃん、俊くん、JYONGRIちゃん・・・、いえ、アーティストさんに限らず、何時間かけてもここに書ききれないくらいの人々との沢山の出会いをもらえるきっかけになりました。
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そんな電話を受けたこの部屋も、今はもう何も無くガラーンとしています。ほんとに、見事にからっぽ。
本当に、今日でさよならだね。
でも、ここで沢山の思い出が出来ました。ここから沢山の街へ行って、沢山のみんなに会って、そしていつもここに帰ってきました。外で信じられないくらい楽しい事があった日も、ベロベロに酔っ払ってしまった日も、いつもここへ帰ってきてました。MP9500が来た日も、D40を買った日も、こないだまで色々と助けれくれてたパソコンを組み立てた日も、このブログを書き出した最初の日も、ここにいました。どんなことがあっても、最後にはいつもこの部屋に帰ってきて、この部屋のベッドで眠ったんです。
本当に、ありがとね。楽しい日々を、充実した日々を、だらーんとした日々を、文句も言わずに過ごさせてくれて。感謝してます。
もう、たぶん二度とここには戻ってくることは無いだろうけど・・・でも、またこの部屋に誰かの生活の灯りが灯っているのを、いつか見に来ます。・・・通報されない程度にね(笑)。
そして、少し慣れてきたとは言え、まだ夜中にトイレと間違ってお風呂のドアを開けてしまったり、お風呂と間違ってトイレに浸かってしま・・・いや、それは無いですけど(笑)、灯りを点けるスイッチの位置もどの部屋でも手で探ってしまうくらい、しかもそもそもスイッチすら無い壁を(笑)、と、まだまだ不慣れなことが沢山ありますけど、これからの生活の中で、馴染んでいくんだと思います。どうぞよろしくね、新しい部屋。もう、今日から僕は、この部屋の鍵しか持っていないからさ。ここが帰ってくる、唯一の部屋になったんだからさ。
ではー。