稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№134(昭和63年3月15日)

2020年11月25日 | 長井長正範士の遺文
私は今も尚、漢文が好きですので、今どきの、はやりの文章はどうも性分に合いません。やはり私共の時代は過ぎたのでしょうか。

それはともあれ、近年、益々外国用語が日本語の中に入り込んで、中にはすっかり日本化され、老いも若きも何等抵抗なく取り入れ、話をしたり、書いたりしていますが、日本も国際化するにつけ、比類の片仮名で書いた英語まじりの文章や、テレビの話など、ディクショナリーを片手にしなければ解しかねるところが次第に増えて来て、時代におくれてはならじと、忙しい毎日を送っております。以前買った現代用語の辞典が役に立って来ました次第。こんなことなら、中学時代もっと英語を勉強しておけばよかった、と今になって後悔しています。

さて前にさかのぼりまして、松本教授が魚について話されましたことを書いておきます。「魚は(音=ギョ、訓=ウヲと読む)生きて、およいでいるのを、ウヲというのが本来の意味でありますが、これをとって料理したものはサカナと呼ぶのです。ですから、サカナがおよいでいる、というのは正式には間違いなのです。然し、通常、魚をサカナと言って、世間では通っていますので、いちいち間違いだ、と言う必要もありません。ただ、サカナとは、もっと広い意味があるものです。本来は酒菜(肴)=酒を飲む時に添えて食べるもの(アテ)で、必ずしも魚を料理したものとは限らず、菜っぱの炊いたものでも豆腐でも何でもすべてサカナというのです。又、飲み乍ら芸人などに何かやって貰い、それを見て、サカナとして楽しむ等、すべて含むわけです。」と、以上大変理くつっぽくなりましたので、魚へんの字の魚の名前をついでに書いておきましょう。

これはよくあちこちで書いてあるのを皆さんも充分ご承知のことと思いますが、何んとうまく当てはめて書き表わしたものだと感心するばかりです。その前に、漢字には漢字を作るもと、即ち成立及び使用に関する六書(リクショ)を先に述べておきましょう。これは、象形文字。指筆文字。会意文字。諧声文字。転注文字。仮借文字。の六つの種類があります。これを六体(リクタイ)とも言います。この六つを説明しておきましょう。

(以下、テキスト化不可能なので下図になります)



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