く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈奈良歳末点描〉 漢国神社で恒例の 「大祓⋅獅子神楽」

2024年12月30日 | メモ

【今年で17回目、高校生の熱演におひねり次々と】

 大阪の笑い納めが枚岡神社の「注連縄掛(しめかけ)神事」(通称お笑い神事)なら、奈良のそれは 漢国(かんごう) 神社の「大祓⋅獅子神楽」だろう。太神楽曲芸師の豊来家玉之助さんが2008年に1年間の厄払いと新年の招福を願って獅子舞を奉納したのが始まり。今年も29日に石舞台で約2時間にわたって繰り広げられ、境内は熱演と軽妙なトークで笑いの渦に包まれた。(下の写真は「へべれけ」の一場面)

 漢国神社は近鉄奈良駅から西へ徒歩数分の距離にある。獅子神楽は同神社の韓園講(からそのこう)の主催で、午後1時から始まった。幕開けの演舞は豊来家さんの「韓園」。1人で獅子頭を両手に持って舞うもので、ご自身で創作したとのこと。次いで「宮参り」「大黒」と続いた。

 昨年まで演舞でもトークでも豊来家さんの八面六臂の活躍が目立った。ところが今年はやや控えめ。その分、若手出演者の力量が上がってきたということだろう。

 その中で注目を集めたのが兵庫県立西宮高校邦楽部の「県西太鼓“爛漫”」の皆さん。「 雲」と題した獅子舞を力強く華麗に演じて、演舞後にはこの日一番のおひねりが舞台上に飛び交った。(写真 上と下)

 この後も演舞が続いた。「剣」「荒神祓崩し」「親子獅子」。そして次の演目「へべれけ」に移る前、豊来家さんが「その前に見ていただきたいものがある」と話し、舞台裏に「ナカムラさ~ん」と声を掛けた。登場したのは昨年、半紙を口にくわえたまま舞う過酷な群舞で、終盤に口元から半紙を落とした女性だった。

 今年は豊来家さんの太鼓に合わせ、1人で最後まで舞い終えた。昨年「次はもっと練習を積んで落とさないよう頑張ります」と話していたこの女性。その言葉通り、見事に雪辱を果たした。今年も笑い納めの愉快なひとときを過ごすことができた。

【 東大寺大仏殿には長蛇の列】

 29日東大寺を訪れると、参道も大仏殿の周りも参拝客で賑わっていた。その多くがたぶん海外からの観光客。大仏殿への入場口には長蛇の列ができていた。

 入場し中門の基壇から大仏殿を望むと、その間も人の波が続いていた。元旦の午前零時から8時までは入堂が無料になる。大仏殿上部中央の観相窓も開いて、境内からも大仏さまのお顔を拝むことができる。

 大仏殿内も「柱くぐり抜け」の場所に長い列ができていた。柱の下に開いた穴をくぐると無病息災や祈願成就のご利益があるという。そばにはこんなお願いの立て札 。「大変混雑することから、待ち時間が長く苦情が寄せられています。より多くの皆様に手際よく柱くぐりをしていただけますよう、記念写真は1人1枚でお願いします」

 普段くぐり抜けに挑戦するのは子どもや小中学生が大半。だが、この日は多くが大人の旅行客だった。 中には頭が出ても胴体がなかなか抜けず、知人に助けを求め引っ張り出してもらう人も。「記念写真は1人1枚」に、「抜ける自信のない方は自重を」と付け加える必要があるかもしれない。

【興福寺五重塔素屋根工事の長大クレーンは一休み】

 興福寺の国宝五重塔は来春から本格的な保存修復工事が始まる。そのための塔を覆う素屋根(高さ約60m)の建設も最終段階を迎えている。猿沢池から見上げると、つい最近まで立っていた長大クレーンが姿を消していた。だが、よく見ると素屋根の足元に赤白模様のクレーンらしきものが!

 塔最上部の相輪も完全に覆われているように見える。クレーンも役割を終えたのかも。そう思った。だが、どうも違うらしい。近くの興福寺国宝館の関係者によると、今は年末年始で工事休止中のためクレーンを折り畳んでいるとのこと。素屋根の完成は来年3月末の予定。その後、7年後の2032年3月の完成を目指し、屋根瓦の葺き替えや漆喰壁の塗り直し、木部破損箇所の修理などを行う。

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〈平城宮いざない館〉 植物画展「春日大社万葉植物園の草木花」

2024年12月24日 | 美術

【 英国⋅キュー植物園公認画家⋅山中麻須美さん指導の教室作品展】

 国営平城宮跡歴史公園(奈良市)内の平城宮いざない館で「春日大社万葉植物園の草木花」と題した植物画展が開かれている。監修者は奈良市出身で「英キュー王立植物園」の公認画家として活躍する山中麻須美さん(在英37年)。5年前から帰国時に平城宮跡の施設で開いてきた植物画教室の初の作品展だ。 来年2月9日まで。

 会場の入り口正面を飾るのは山中さん自身が描いた「春日大社 本社 大杉」。樹齢1000年ともいわれるご神木だ。注連縄が掛かる幹の質感や葉の繊細な描写から、その力強い生命力と圧倒的な存在感が伝わってきた。

 「春日大社の万葉植物」として展示中の受講生の作品は全部で23点。それぞれに植物の現代名と万葉名、代表歌とその意訳が添えられている。 ヤブツバキ(万葉名つばき)には坂門人足が詠んだ歌が紹介されていた。「巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思はな 巨勢の春野を」

 その他に「自由課題」として27点、「初心者クラス」として 21点 を展示中。 自由課題の作品の中にはボタニカルアートと呼んでもおかしくないような力作も多く含まれていた。

 会場内中央には20世紀で最も優れる植物画家の一人と称された山中さんの師、故パンドラ⋅セラーズさんのコーナーも。キュー植物園との縁をつないでくれ「私の人生を大きく変えるきっかけを作ってくれた」恩人だ。

 セラーズさんの没後、遺族から彼女が使っていた画材一式などが託された。原画 2点や2人が写った写真なども並ぶ。

 山中さんに師事し、いま活躍している植物画家のコーナーもある。その一人が米田薫さん。植物学者牧野富太郎をモデルとした NHK連続テレビ小説「らんまん」のために数々の植物画を描き下ろした。その中には牧野博士が発見し夫人の名前に因んで名付けたという「スエコザサ」 もあった。米田さんは現在、筑波実験植物園を拠点に活動しているという。

 米田さん同様、2005年から山中さんに師事している安江尚子さんは「新分類 牧野日本植物図鑑」( 2017年北隆館刊)で作画を担当した。図鑑には安江さんが描いた植物画が79点掲載されているとのこと。

 植物画とは「植物をただ美しく描くだけでなく 、科学的に正しく描くこと、植物の声を聴くこと」と山中さん。平城宮跡での植物画教室からも、その精神を受け継いで活躍する画家がいつの日か生まれるかもしれない。

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〈おん祭⋅後宴能〉 能「釆女」、狂言「口真似」など奉納

2024年12月19日 | 祭り

【御旅所そばの特設土俵では奉納相撲も】

 「春日若宮おん祭」の4日間があっという間に過ぎ去った。17日には最大の祭典「お渡り式」と「御旅所祭」が繰り広げられ、若宮様は同日深夜「還幸の儀」で御旅所の仮御殿から若宮神社の本殿へ。最終日の18日には祭の無事終了を祝し「奉納相撲」と「後宴能」 が執り行われた。

 仮御殿正面の芝舞台(「芝居 」の語源とも)で後宴能が始まったのはこの日午後2時から。今年は金春流による能が「釆女(うねめ)」など二番、大蔵流による狂言が一番奉納された。「釆女」は帝の寵愛が薄れたことを嘆き悲しんだ女官の釆女が奈良の猿沢池に身を投げたという故事に因む。

 南都を訪れた旅の僧3人が若い女性に声を掛けられ猿沢池に案内される。そこで女性から釆女の悲話を聞く。 そして実は自分がその采女の霊だと打ち明け池の中へ姿を消す。僧たちが霊を弔っていると、再び釆女がーー。

 采女の霊を勤めたのはシテ方能楽師の櫻間右陣さん。演能時間は約1時間15分だった。この後、狂言の「口真似」(シテ茂山千五郎さん)や能 「鵺(ぬえ)」(シテ金春穂高さん)などもあった。

 「後宴能」に先がけ午後1時からは御旅所の南側で1時間にわたって奉納相撲も行われた。参加したのは20人ほど。神妙な表情で横一列に並び、春日大社の神職のお祓いを受けた後、中学生の部と団体の部と個人の部で熱戦を繰り広げた。

 好天の日中とはいえ厳しい 冷え込み。土俵の周りには数カ所、暖を取るため 薪が焚かれていた。土俵を幾重にも囲む大勢の観客たち。その中には観光客とみられる外国人の姿もちらほら。最前列のちびっ子たちからは「がんばれー」という熱い声援が飛び交っていた。

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〈おん祭⋅大宿所詣〉 JR奈良駅から餅飯殿町まで神子の行列

2024年12月16日 | 祭り

【神子4人のはずが 3人! 八嶋神子の姿見えず】

 今年もまた奈良の師走を彩る「春日若宮おん祭」 (12月15~18日)の時季がやってきた。春日大社の摂社若宮神社の例祭で、平安時代の1136年に始まって以来、一度も途切れることなく続く。今年で889回目。祭は例年15日の神子(みこ)の行列「大宿所詣(おおしゅくしょもうで)」 から始まる。

 行列は祭に奉仕する神子を輿に乗せ、大宿所(奈良市餅飯殿町)まで送り届けるもの。そこで神子たちは祭の無事執行などを祈願する「御湯立(みゆたて)神事」に参列しお祓いを受ける。

 行列の参加者は参集場所のJR 奈良駅前でまず集合写真を撮った。最前列には白の被衣(かずき)をかぶった神子たち。あれ? 神子は4人のはずだけど3人しかいない! おん祭の日程などを記すチラシを再確認。確かに神子は辰市⋅八嶋⋅郷⋅奈良の4人となっている。数人の方に伺った。それによると、どうも今年は八嶋神子(やしまのみこ)が不参加らしい。どんな事情からだろうか。

 行列の一行は午後0時45分ごろ、駅前を出発した。行列の到来を告げる太鼓を先頭に三条通りを東へ 。後ろに奈良市観光大使を務める演歌歌手川井聖子さんや 雅楽の奏者たちが続く。

 その後に3人の神子。それぞれ輿の上から沿道の観客に笑顔を振りまいていた。神子の列の後ろには小型の御所車が続いた。

 行列は三条通りを左に折れてアーケード街の東向商店街の中へ。普段でも人通りの多い商店街は人がひしめき合って大混雑。

 3台の輿にはそれぞれ先導する形で「NARA  CITYコンシェルジュ」(旧ミス奈良) が1人ずつ付いていた。

 行列はその後、幹線道路の登大路を越えて東向北商店街を北上 した。そして奈良女子大学正門そばにある春日大社の境外末社初宮神社の前でUターン。この後 小西さくら通り商店街を南下し、もちいどのセンター街に面した大宿所に向かった。

 おん祭最大の呼び物お渡り式は17日正午から。古式装束をまとった総勢約1000人と馬約50 頭が参加、華麗な時代絵巻が繰り広げられる。

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〈瀧谷不動尊〉 “身代わりどじょう”100円が200円、 そして 300円に!

2024年12月14日 | メモ

【 弘法大師開山の眼病平癒⋅厄除けの霊場】

 滝谷不動尊(大阪府富田林市)に初参拝した。「瀧谷のお不動さん」として知られるが、正式名は瀧谷不動明王寺。平安時代の821年に弘法大師空海が開山した。本堂に祀られる本尊、不動明王(重要文化財)は「目の神様」や「どじょう不動様」などとも呼ばれる。ここに伝わる眼病平癒の“身代わりどじょう”という独特な信仰に好奇心がそそられた。

 近鉄瀧谷不動駅から東へ徒歩15分ほど。その境内は車が行き交う府道の峠を少し下った所に広がっていた。府道を挟んで北側に本堂や多宝塔、南側に瀧不動堂、西国三十三所堂、 三宝荒神堂などが立地する。

  本堂にお参りし御朱印を頂いた後、早速、瀧不動堂のそばにある身代わりどじょうの放流場へ。紅葉を眺めながら緩やかな参道を下ると、右手に瀧不動堂、正面奥に瀧行場、左にどじょうの流し場が見えてきた。その途中、右側に一願不動堂 (下の写真)と2体の瀧地蔵が鎮座していた。

 「身代わりどじょうの由来」と題した案内板のそばの建物に、小さなどじょうが1匹ずつ入ったコップがずらりと並べられていた。由来によると、このどじょう流しは魚や鳥を放つ仏教の「放生」の伝統に沿ったもので「放たれたどじょうが身代わりになって自分の目を助けてくれる」という。

 並んだコップの上に「お知らせ」が貼られていた。「諸般の事情により一杯二百円を本年十月一日より三百円とさせていただきます」。前回100円が200円になったのは2020年12月だったという。諸物価高騰の時節柄とはいえ、4年あまりで3倍とは!

 「つい数年前まで 100円だったのに」。どじょう流しにやって来た参拝者の口からもそんな苦笑が漏れていた。どじょうは「ここから流して」と書かれた挿入口から流すと、白いパイプを伝って眼下の小川に放たれる。

 

 この後、再び紅葉を愛でながら石段を上り、惣拝所、西国三十三所堂、三宝荒神堂を巡った。惣拝所は聖観音をお祀りしており、その背後の建物に安置した西国三十三所を一堂に拝礼できる。色鮮やかなステンドガラスが印象的だった。

 西国三十三所堂は半円形の建物で、1番札所の那智山青岸渡寺から33番谷汲山華厳寺まで本尊の仏像が扇状に並ぶ。ここ1カ所で全山のお砂踏みができるわけだ。

 さらに石段を上ると三宝荒神堂(上の写真)に達する。そこからの眺めが絶景だった 。本堂の裏山に立つ二重の多宝塔が見えた。

 瀧谷不動尊は眼病平癒だけでなく、商売繁盛や交通安全、厄除け祈願などでも広く信仰を集める。境内には時折、車の交通安全を祈祷する太鼓の音が鳴り響いていた。

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〈北九州点描〉 折尾駅弁おじさん、「無法松」の石碑

2024年12月12日 | 旅・想い出写真館

【 門司港出征の碑、バナナ資料室、「 光る君へ」 巡回展 】

 昨年6月JR九州折尾駅(北九州市八幡西区)の北側駅前広場で「折尾まつり」が開かれた。人気を集めた催しの一つ、折尾名物かしわ弁当の早食い大会でひときわ目を引いたのが、舞台上で駅弁の木箱を抱え満面笑顔で声援を送るおじさん。両手を羽ばたかせながら踊る愉快な仕草が強く印象に残った。

 この駅弁おじさんは小南英之さん。10年あまり前から折尾駅構内で駅弁を売ってきた。取り扱うのは1921年(大正10年) 発売という地元のソウルフード「東筑軒のかしわめし」だ。次に折尾駅に降り立った時は必ず彼から買い求めたいーー。1年半後、その願いが叶った。お忙しい中10分間ほど立ち話をさせてもらい、 自ら考案したという振り付けを交えた「かしわめし応援歌」 も聞かせてもらった。職を転々したという小南さん。営業の経験を生かした立ち売り弁当屋さんはまさに“天職”だろう。 同伴者と訪問先の分も合わせ、かしわめし5個を購入。

 JR小倉駅から旦過市場に向かい、周辺をぶらついていて遭遇したのが下の「無法松」と刻まれた石碑。無法松は岩下俊作の小説に登場する人力車夫富島松五郎のこと。石碑の横に小倉出身の小説家、劉寒吉(1906~86)が寄せた一文が添えられていた。「その性純情にして清爽、哀切の生涯は我等の胸を打つものがあった。無法松は岩下俊作の詩と夢の世界に生まれた永遠の人間像である。市井の歌である。美と愛の精神である」。 1959年建立。

 小倉の中心部では幻想的な光の装飾で彩る「小倉イルミネーション」が開催中だった。小倉城や市庁舎に近い鴎外橋⋅紫川周辺エリアのコンセプトは「光集まる銀河団空間」。日が落ちイルミネーションの輝きが増すにつれ、人出も光に誘われるように増えた。この光の祭典は来年1月13日まで続く。

 門司港レトロ地区の西側にある関門海峡ミュージアム(写真㊦)では NHK 大河ドラマ「光る君へ」の巡回展が開かれていた。訪れたのが日曜ということもあって会場の1階多目的ホールは観客が溢れんばかりの大盛況。

 来場者は順番待ちで出演者の等身大パネルと並んで記念写真を撮ったり、色紙サインを食い入るように見つめたり。ドラマの紹介パネルに加え、主演の吉高由里子さんが身に着けた衣装なども展示されていた。

  同ミュージアムの「海峡レトロ通り」2階にある「門司港バナナ資料室」。ここには 門司港発祥バナナの叩き売りの由来や歴史を紹介したパネルやポスターのほか、「ザ⋅バナちゃん節」のレコードやバナナをテーマにした書籍も並んでいた。

  関門連絡船乗り場近くに「門司港出征の碑」が立っていた。「ご存知ですか」と 始まる碑文によると、戦時中にこの門司港1号岸壁からは200万人を超える兵士が戦地に出征、「半数の100万人は生きて再び故国の土を踏めなかった」。

 昨年、門司港駅の南側から明治時代に開業した旧門司駅の機関車庫とみられる遺構が見つかった。その場所は北九州市が計画中の複合公共施設の建設予定地。 市民の保存運動に加え、ユネスコの諮問機関イコモスの意見表明もあって、市は全面解体の方針を撤回、遺構の一部を現地保存することにした。工事現場を厳重に覆うパネルの壁面。その隙間から重機や掘削した土砂の山が垣間見えた。

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〈門司港⋅松永文庫〉 北九州ロケ100選⋅映画資料展

2024年12月08日 | メモ

【北九州国際映画祭開催を記念し連携企画展】

 門司港レトロ地区(北九州市門司区)の西側にある歴史的建造物「旧大連航路上屋」内の映画資料館「松永文庫」で、いま「北九州ロケ100選⋅映画資料展」が開かれている。北九州国際映画祭開催(11月1~3日)を記念した連携企画展。市内で撮影が行われた映画の中から100作品を選んでポスターなど所蔵資料を展示している。来年1月13日まで。

 北九州市は「映画の街」を目指し2000年に「北九州フィルム⋅コミッション」を設立、映画撮影の誘致⋅支援活動に取り組んできた。昨年から北九州国際映画祭も始まった。今回の資料展では1950年制作の「海のGメン 玄海灘の狼」から最新作「52ヘルツのクジラたち」までの作品を取り上げている。

 会場の入り口正面を飾る映画は1958年の木下恵介作品「この天の虹」。東洋一の製鉄所だった八幡製鉄所を背景に、そこで働く人々の喜びと悲しみを描いた。当時、工場から立ち上る煙は“七色の煙”と呼ばれ、繁栄の象徴と捉えられていた。

 古い映画の中には洞海湾などを舞台にした任侠ものが目立つ。「花と龍」や「 日本女侠伝」シリーズをはじめ「残侠の港」「女侠一代」「日本大侠客」「札つき博徒」。若戸大橋 が登場するものも多い。「社長漫遊記」「でっかいでっかい野郎」「霧の旗」「玄海つれづれ節」など 。

 「DEATH NOTE デスノート」や「図書館戦争」には北九州市立美術館、「スパイゾルゲ」「世界で一番美しい夜」などには西日本工業倶楽部(国指定重要文化財旧松本邸) がロケ地に。「男はつらいよ 幸福の青い鳥」「あいつに恋して」「海猿」などには関門海峡が登場する。 門司港駅や門司港レトロ地区で撮影が行われた作品も少なくない。

 北九州出身の監督が故郷でロケした作品として取り上げたのは青山真治(門司) の「共喰い」、三村順一(小倉)の「グッバイエレジー」 、雑賀俊朗(八幡) の「レッドシューズ」など。 八幡出身の俳優光石研主演の「逃げきれた夢」は 北九州でオールロケを敢行した。

 ガッツ石松監督⋅主演の「カンバック」のロケ地はJR 小倉駅に近い西日本総合展示場。元世界チャンプのボクサーが再び果敢にリングに上がる姿を描いた作品で、ポスターには「息子よ見たか 男の挑戦を」の大きな文字が躍っていた。

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〈たかとり城まつり〉 旧城下町の土佐街道で時代行列

2024年11月24日 | 祭り

【火縄銃実演、太神楽、南京玉すだれなども】

 日本三大山城の一つ高取城の旧城下町、奈良県高取町で23日「たかとり城まつり」が開かれた。今年で36回目。呼び物の時代行列をはじめ火縄銃や殺陣(たて)の実演、太神楽、よさこい踊りなどもあり、石畳の土佐街道やイベント会場の高取児童公園は多くの見物客でにぎわった。

 時代行列は午後1時に出発、1時間ほどかけて児童公園まで練り歩いた。先導は和太鼓グループ「鼓城」。これに高取国際高校の生徒による「旗行列」が続いた。その後ろには勇ましい「高取甲冑隊」と「子ども甲冑隊」。

 続いて高取町自治会と女子高校生が扮した「姫と家老」。橿原青年会議所の「大名駕籠」には可愛らしい女の子がちょこんと乗っていた。

 「奴行列」で息の合った掛け声と所作を披露したのは土佐時代行列保存会のメンバー。その後には高取町福祉協議会の女性陣による「忍者くノ一」、「紀州九度山手作り甲冑真田隊」が続いた。

 奈良県立万葉文化館の「万葉びと」の後ろには再び鎧兜姿の「甲援隊」。舞を披露し、「エイ、エイ、オー!」と勝ちどきを上げた。

 行列はなおも続く。南都銀行の行員による「江戸両替商」、「大阪城鉄砲隊」、少年野球チーム「高取ホークス」。

 そしてトリを務めたのは昨年同様、神戸に本拠を置く「日本南京玉すだれ協会」の女性陣だった。

 時代行列に先駆け、児童公園では午前10時から和太鼓を皮切りに多彩な出し物が繰り広げられた。太神楽の豊来家幸輝さんは城まつり初登場。土瓶を口にくわえた棒で自在に操ったり、木製のクワに水を入れたコップを乗せ上下にぐるぐる回したり。巧みな曲芸に、あちこちから「すごい!」という声が飛び交っていた。火縄銃や殺陣の実演、よさこい踊りなどもあった。

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〈平城宮いざない館〉 秋期特別展「町なかのお役所ー大学寮と鋳銭司」

2024年11月15日 | 考古・歴史

【大学寮の建物配置と寮内のイメージを復元】

 奈良時代の主要な役所は中枢部の平城宮内に配置された。ただ、その外側の町なかに置かれたものもあった。今回の特別展ではそのうち役人の養成機関だった「大学寮」と和同開珎などの貨幣を鋳造した「鋳銭司(じゅせんし)」を取り上げている。11月24日まで。

 大学寮があったのはこれまでの発掘調査や平安京での位置から、平城京左京三条一坊辺り。「コ」の字型の掘立柱建物群の跡が見つかり、「大」「飯」「厨」などと書かれた墨書土器を含む須恵器なども大量に出土した。

 大学寮で行われた教育は役人が身に付けるべき儒教や法律、計算能力など。「釈奠(せきてん)」という孔子を祀る重要な祭儀も営まれた。会場に入ってすぐ右側に、机を配置した教室の復元イメージが展示されていた。机上には筆⋅硯とともに「論語」などの書物が並ぶ。

 故実叢書『大内裏図考証』の中にある平安京の「大学寮図」によると、寮内には7区画に本寮や廟堂、明経道院などの建物があった。西側は空閑地になっていた。奈良時代の平城京での建物配置もほぼ同じだったと推定される。

 下の写真はその推定復元模型。奈良文化財研究所が朱雀大路に隣接する西側の空閑地を発掘したところ、724年に即位した聖武天皇の大嘗祭に関するとみられる大量の荷札木簡が出土した。それらの木簡類はいま平城宮跡資料館で展示中。

【和同開珎の「現在知られる唯一の母銭」展示中】

 奈良時代に鋳造された貨幣は和同開珎、萬年通宝、神功開宝の3種類。このうち和同と神功の2種類は平安京の町なかでも鋳造されていた。左京三条四坊の和同開珎鋳造遺跡からは焼土の詰まった土壙31基が見つかり、るつぼ⋅ふいご羽口、銅滓なども出土。左京六条一坊の井戸からは神功開宝の鋳型などが見つかっている。

 展示物の中で注目を集めるのが和同開珎の「現在知られる唯一の母銭(ぼせん)」。長屋王の屋敷があった場所の井戸から出土した。母銭は銭貨の鋳型を作るためのもの。通用銭よりやや大きく、文字を際立たせるため字画に沿ってケズリを入れ、型抜きしやすいように方孔や周囲の縁が丸く仕上げられている。

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〈薬師寺〉 中心伽藍を囲む回廊の西北隅を発掘

2024年11月11日 | 考古・歴史

【鐘楼の規模も確定! 現地見学会開催】

 薬師寺(奈良市西ノ京)で9日、9月から発掘調査中の回廊西北隅と鐘楼の現地見学会が開かれた。回廊は金堂や東西両塔など主要堂塔を囲む。今回の調査で回廊全体の規模と構造が明らかになり、鐘楼も東辺と南辺を検出し、基壇に階段を備えていたことも分かった。

 回廊の発掘調査は1968年以来これまでに10回行われてきた。その結果、梁行1間の「単廊」として造営が始まったものの、途中から中央に壁を持つ梁行2間の「複廊」に計画が変更されたことが明らかに。調査を踏まえ回廊のほとんどがこれまでに復元されてきた。(発掘調査場所は講堂西側の左隅)

 ただ講堂の西側に位置する回廊の西北隅の発掘は未調査として残っていた。今回の調査面積は468㎡。現場には回廊の柱が立っていた礎石部分を結んだ赤いテープ3本と青いテープ2本か張られていた。赤テープは複廊、青テープは単廊の場所を示す。

 テープは講堂の西側に復元された回廊の延長線上に西に向けて張られ、その後「L 」字に直角に折れ曲がって南へ伸びていた。

 複廊の礎石はすべて抜き取られていたが、新たに14基の礎石据え付け穴や抜き取り穴が確認できた。据え付け穴は1辺約1.4mの方形。複廊は桁行約4.1m⋅梁行約3.0mで、中央の棟通りに壁を備えた瓦葺き。高さ約36㎝の基壇(幅約9.4m)を持つことが分かった。その外側からは玉石を敷いた雨落ち穴も見つかった。

 今回の調査で回廊全体の規模は西面約115m、東面約113m、南面約123m、北面約124mと判明。また東面回廊の柱間が24間なのに対し、西面回廊は25間とみられ東西非対称だった可能性が高まった。『薬師寺縁起』にも「東面廿四間。西面廿五間」と記載されていた。

 鐘楼は東辺と南辺の発掘により、基壇の規模がこれまでの推定通り東西約15.7m、南北約18.8mだったことが明らかになった。東面の基壇の中央に幅約4.1mの階段があった痕跡も見つかった。

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〈ビッグ幡in東大寺〉 特別コンサート「栃尾克樹×辻ゆり子」

2024年11月10日 | 音楽

【サックスとピアノでクラシックから映画音楽まで】

 東大寺総合文化センターの金鐘ホールで9日「ビッグ幡in東大寺特別コンサート」が開かれた。出演はバリトンサクソフォーン奏者として活躍する栃尾克樹さんと奈良県出身のピアニスト辻ゆり子さん。これまでも共演を重ねてきたとあって、アンコールを含め11曲で息の合った演奏を披露した。

 このコンサートは9月から県内全域で展開中の「奈良県みんなでたのしむ大芸術祭(みん芸)」の一環。東大寺大仏殿前には全国の障がいのある人から「花鳥風月」をテーマに公募した絵画作品を基に製作した“ビッグ幡”が翻っていた(幡は寺院の重要な法要などの際に掲揚される旗のこと)。

 コンサートはクライスラーの「シンコペーション」から始まった。次いでシューマン「アダージョとアレグロ」、メンデルスゾーン=リスト「歌の翼に」。サクソフォーンの深みのある音色と迫力のある低音が会場に響き渡った。続くモンティの「チャルダーシュ」では目にも止まらない指使いで超絶技巧を見せてくれた。(下の建物は金鐘ホールがある東大寺総合文化センター)

 この後、チャップリンの主演映画「ライムライト」の主題歌「エターナリー」を挟んでサン=サーンス「白鳥」、ラフマニノフ「チェロソナタ第3楽章」など。最終10曲目は再びチャップリンの映画「モダン⋅タイムス」より「スマイル」だった。アンコール曲はブラームスの「甲斐なきセレナーデ」。演奏前、栃尾さんがその曲目を解説してくれた。あのブラームスにこんなコミカルな歌曲があったとは。

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〈大和文華館〉 特別展「呉春ー画を究め、芸に遊ぶ」

2024年11月07日 | 美術

【襖絵など40点余、四条派の祖の画業を辿る】

 大和文華館(奈良市学園南)で特別展「呉春ー画を究め、芸に遊ぶ」が開かれている。江戸中期に活躍した絵師呉春(1752-1811)は四条派の祖として近代の京都画壇にも大きな影響を与えた。その画業を代表作『柳鷺群禽図屏風』や『白梅図屏風』など大作を交えながら振り返る。11月24日まで。

 呉春は京都で生まれ、20代に与謝蕪村に絵画と俳諧を学んだ。30歳のとき呉服里(くれはのさと、大阪⋅池田)に移り住んだのを機に呉春に改称。その後、再び京都に戻って円山応挙らと親交を結んだ。

 『柳鷺群禽図屏風』(京都国立博物館蔵)は六曲一双の重要文化財で、前期と後期で右隻と左隻を入れ替えて展示。右隻には枯れ木に止まって群れ騒ぐ5羽のカラス(烏⋅鴉)が描かれている。カラスは師蕪村を象徴するモチーフの一つ。蕪村から譲り受けた「三菓堂図画印」も捺されている。その作品の隣には蕪村の『鳶⋅鴉図』(二幅対)のうち『鴉図』が展示されていた。

 呉春の六曲一双『白梅図屏風』(逸翁美術館蔵)は深みのある青地に白い梅の花が浮かび上がる。輪郭線を用いない“没骨描法”に「応挙に学んだ成果が発揮されている」という。『雪梅図壁貼付』(草堂寺蔵、障壁画10面のうちの1面)は応挙自身の作品で、梅の小枝に雪が積もった画面はまさに静寂が支配する。いずれも重文指定。

 呉春筆『蔬菜図巻』(泉屋美術館蔵)は薺(なずな)から慈姑(くわい)まで四季折々の野菜を季節を追って没骨で描いた墨画淡彩。図巻の横幅は8mを超える。その隣には『芋畑図襖』4面(京都国立博物館蔵)が前期中(11月4日まで)展示されていた。

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〈関宿街道まつり〉 東から西へ「宿場大行列」

2024年11月04日 | 祭り

【37回目、山車が“舞台回し”を披露】

 三重県亀山市の旧東海道関宿街道一帯で11月3日「東海道関宿街道まつり」が開かれた。今年で37回目。「宿場大行列」をはじめ盛り沢山のイベントが用意され、好天に恵まれたこともあって多くの観光客でにぎわった。

 行列は午前10時すぎ「三味線道中」を先頭に関宿の東側の入り口「東の追分」を出発、一休さんに因んで小学生が小坊主姿に扮した「子ども時代行列」、公演が近い亀山ミュージカルの「まほろばの夢~新ヤマトタケル」、「関ふれあい音頭」の手踊りと続いた。

 その後に続くのは地元で歌い継がれてきた「正調鈴鹿馬子唄」、そして「時代行列」。馬子唄の馬は遠目からは実物と思わせる出来映え。「本物?」と聞く小さな子どもに「そう。近づくとかまれるよ」と親が答え、笑いが広がる一幕もあった。

 行列のトリを務めたのは「木崎の山車(やま)」。関にはこの木崎も含め現在4台の山車があるが、江戸後期の文化年間(1801~19年)にはその4倍の16台もあったという。祭りのときにはそれらの山車が狭い街道にひしめきあい、「これ以上は無理」ということから「関の山」という言葉が生まれたそうだ。

 行列の終点は「西の追分」側にある関地蔵院。巡行を終えた山車はそのそばで”舞台回し“を披露した。山車の上部が高速で回転するという見せ場だ。元は狭い街道で追い抜けないため、上部を回して方向転換できる構造になったのが始まりという。半時計回りに20回ほど回っただろうか。静止すると観客から大きな拍手が沸き起こった。

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〈聖武天皇即位1300年〉 “ 大嘗祭木簡” 奈良の2館で展示

2024年11月02日 | 考古・歴史

【 奈良国立博物館「大嘗贄」や「神亀元年」などの木簡】

 今年は奈良時代に聖武天皇が即位してちょうど1300年。その節目の今年2月、偶然にも即位後の重要な儀式大嘗祭に関連した木簡が大量に出土した。奈良国立博物館は開催中の正倉院展に合わせ、なら仏像館(旧本館)で特別陳列「聖武天皇の大嘗祭木簡」 を開催、「大嘗贄」や「大嘗分」「神亀元年」などと書かれた代表的な木簡8点を展示している。

 木簡群が見つかったのは平城宮朱雀門の東南にあった一片約3mの土坑。約2600点(うち 削り屑 2250点) がまとまって出てきた。

 展示中の木簡は大嘗祭のため各地から送られてきた物品の荷札や 管理用の付け札。

 下の木簡に書かれているのは「佐波郡大嘗贄押年魚千百十隻」。贄(にえ)は神や天皇に捧げる食物で、荷が塩漬けの鮎1100匹であることを表す。佐波郡は周防国(山口県東部)にあった古代の郡域とみられる。

 下の写真は奈良文化財研究所の図録から。中央の木簡には「□郡村社郷高負里大嘗分」と記され、左側の木簡には表と裏に「五連和五百嶋」「神亀元年八月廿二日」と書かれている。神亀元年は聖武天皇が即位した年に当たる。特別陳列は正倉院展の会期と同じ11月11日まで。

【平城宮跡資料館には木簡のほか土器や軒瓦なども】

 奈良文化財研究所の平城宮跡資料館では秋期特別展「聖武天皇が即位したとき。~聖武天皇即位一三〇〇年記念」を開催中。大嘗祭木簡のほか土器や軒瓦、灯火器なども展示し、即位前の首皇子の時代から東大寺の大仏建立までを辿っている。

 展示1番目は皇太子と記された削り屑。奈良時代前半のもので、首皇子とみられる皇太子に仕える舎人などの勤務管理に関わる木簡の一部と推測される。

 大嘗祭関連の荷札木簡でこれまでに洗浄が終わったのは約180点。その3分の2に当たる約120点が備中国(現在の岡山県西部)から送られてきた可能性が高い。なぜ特定の国に集中したのだろうか。奈文研では「今後解明すべき課題の一つ」としている。

 会場には大嘗祭木簡と一緒に出土した土器類も展示されている。

 聖武天皇は即位後、御在所を東院から内裏に遷した。軒瓦と丸瓦⋅平瓦の出土量や比率から、内裏の建物は総瓦葺きではなく、屋根最上部のみに瓦を葺く“甍棟(いらかむね)”だったと推測されている。

 平城宮に程近く長屋王たちの邸宅かあった二条大路の濠状土坑からは灯火器などのほか、疫病よけの呪符木簡も出土した。735~737年(天平7~9年)、疫病(天然痘?)が大流行し藤原四兄弟も相次いで没した。最大の後ろ楯を失った聖武天皇は仏教への傾倒を強めていく。特別展は12月8日まで(木簡は1期と2期で展示替え)。

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〈奈良公園の鹿〉 発情期迎え気性荒く事故多発!

2024年10月24日 | メモ

【頭ぶつけ合う牡鹿、響き渡る太い鳴き声】

 「奈良のシカ」として天然記念物に指定されている奈良公園の鹿が秋の発情期を迎えている。鳴き声を上げ牝鹿を誘う牡鹿たち。牡鹿同士が頭を激しくぶつけ合う光景もあちこちで繰り広げられている 。

 気性が激しくなるこの時期は突然人に突進することもしばしば。今年は9月に43件もの人身事故があった。昨年の実に2.5倍という。公園の一角に立つのは「あぶない!オス鹿に注意」という看板。英語と中国語でも注意を呼びかけている。

 国立奈良博物館の旧館(仏像館)の前で座って鳴き声を上げる鹿がいた。角切りを終えて間もないような牡鹿だった。

 その鹿を上から見ると、頭に数箇所血が滲んだ痛々しい傷跡。 頭をぶつけ合った時に負傷したのだろう。

 「奈良の鹿愛護会」は角による事故を防ぐため、毎年300頭ほどの角を切っている。ただ、今年はまだ立派な角を生やした鹿の姿も目立つ。角の片方が根元近くから折れた鹿もいた。

 下の写真は公園からの帰途での1枚。大通り沿いの側溝で数頭の鹿が固まって一休みしていた。

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