く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈ならまちわらべうたフェスタ〉 12会場で多彩なイベント

2024年10月21日 | 祭り

【 紙芝居、大縄跳び、絵本ライブ、ふれあい動物園】

 奈良市のならまち界隈で10月20日「ならまちわらべうたフェスタ 2024」が開かれた。 ならまちは世界文化遺産元興寺の旧境内を中心とする旧市街地。ならまちセンターをはじめ12の会場で多彩なイベントが繰り広げられ、多くの子どもたちでにぎわった。

 ならまちセンターの芝生広場ではコンサートや紙芝居、アナウンサー体験などが行われ、周りには飲食などの模擬店も出店。奈良市のキャラクター「しかまろくん」の前には行列ができていた。(写真奥の高層ビルのように見えるのは 修復工事中の興福寺五重塔の素屋根)

 「どじょうつかみ」も人気を集めていた。1回100円で制限時間1分間。ぬるぬるしてなかなか難しそうだか、6匹つかまえたという子も。飼い方や「食べられる?」と聞いて持ち帰っていた。

 市民ホールでは「良弁一座」によって大紙芝居が上演された。演目は「不審ケ辻子の鬼」など奈良の昔ばなし。畳1畳分もある紙芝居は迫力満点だった。館内ではお手玉遊びやおもちゃの手作りなども行われていた。

 「春日若宮おん祭」の大宿所会場では子どもたちが大縄跳びや羽根つきに興じた。「郵便屋さん ハガキが十枚落ちました~」 などわらべうたに合わせてジャンプ。中には 100回以上跳んだ女の子もいた。秋晴れの下、みんなも笑顔で輝いていた。

 奈良町物語館では「言の葉の羽」 による“絵本ライブ”が開かれていた。ここも親子連れで盛況だった。

 もちいどのセンター街の駐車場は「ふれあい動物園」の会場に。手にはめた軍手で恐る恐るミニ豚など小動物を触るチビッ子たち。ここでは有料でメダカすくいも行われていた。

 奈良市史料保存館には大和の民謡やわらべうたの録音⋅採譜に取り組んだ牧野英三さん( 1921~2003 )に関する資料などが展示されていた。江戸時代の子どもたちが遊ぶ様子を描いた「大和名所図会」(1791年)も。

 その隣の奈良市杉岡華邨書道美術館や奈良町にぎわいの家、奈良市音声館、奈良町からくりおもちゃ館なども子どもたちでにぎわった。 

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〈妖怪書家⋅逢香さん〉 東大寺観音院で「逢香展in東大寺」

2024年10月19日 | 美術

【妖怪に託した風刺書画など約40点】

 東大寺法華堂(三月堂)のそばにある観音院で、“妖怪書家”として知られる逢香(おうか)さんの個展が開かれている。 元ミス奈良(2014年)で、奈良市観光大使として活躍中の逢香さん。テレビ出演もあって知名度も高く、連日多数のファンが詰めかけている。会期は明日20日まで。

 逢香さんは大阪出身で現在奈良在住。6歳の頃に書道を習い始め、奈良教育大学(伝統文化 教育専攻⋅書道教育専修)を卒業した。妖怪に興味を持ったのは大学で変体仮名の授業を受けたのがきっかけという。2021年からNHK 奈良の「逢香の華やぐ大和」に出演中。

 会場の観音院入口正面には『あつまれ文字たち』という作品が展示されていた。独特の書体はタイポグラフィー というそうだ。「気に入った子(もじ)たちに 集合をかけました 」との説明が添えられていた。

 屏風仕立ての上の作品は タイトルが 『現代社会に龍出現』。現代っ子は みんな龍なんて恐れることなく、珍しがってスマホで写真を撮ったりしている。

 『よくくらべ』は今年制作した最新作の一つ。 ハリセンボンで 「比」の字を叩く人たち。それを止めさせようと「怒⋅羨⋅憎⋅妬」の顔を持つ化け物たちが駆けつける。

 『嘘つき』(写真は部分)も最新作。 臼と杵の化け物がつくのはお餅ではなく「 嘘 」の文字。だから嘘つき。臼から舞い上がる文字の勢いが、世間に嘘が蔓延している様を表しているようだ。

 『般若』は横長の大作。東京でPV(プロモーションビデオ)の撮影の合間に、なんとわずか1日で描き上げたという。

 俳優八嶋智人さん(奈良市出身)とのコラボ作品も展示中。八嶋さんも長年、奈良市観光特別大使を務めている。逢香さんが水墨画で鹿を描き、八嶋さんが左上に奈良への思いを込めて「想」の 1文字を墨書した作品。 その前で 中年の女性が逢香さんを「多才な方ね」と評し「鹿の絵も生き生きして」と見入っていた。

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〈米原曳山まつり〉 子ども歌舞伎「恋飛脚大和往来 封印切」

2024年10月14日 | 祭り

【小学生の男児7人、湯谷神社で熱演を披露】

 滋賀県米原市の「米原曳山まつり」が10月12~14日の3日間、秋晴れの下で繰り広げられた。江戸時代からの長い伝統を誇る祭り。“本楽”の13日には鎮守社の湯谷神社で子ども歌舞伎が奉納され、熱演に観客から温かい拍手と声援が送られた。

 この曳山まつりは長浜の曳山祭を見習って始まったという。曳山は北町の旭山、中町の松翁山、南町の壽山の3台あり、今年は松翁山で子ども歌舞伎が披露された。役者は3つの町から選ばれた小学1~6年の男児7人。13日には午前9時から”御渡り“があった。

 市役所前を出発した行列は途中小休止を挟みながら1時間かけて湯谷神社へ。その後、神事が営まれ、歌舞伎を演じる男児たちは神妙な表情でお祓いを受けていた。

 子ども歌舞伎の今年の演目は近松門左衛門の「恋飛脚大和往来」の2幕目「封印切」。市川団四郎さんが振り付けを指導した。語りの太夫は竹本龍豊さん、三味線は豊澤賀祝さん。三番叟で幕開けした。物語の舞台は大坂。大金を扱う飛脚問屋の若旦那忠兵衛は遊女梅川と恋仲になる。

 だが、身請けに必要な250両という大金はとても用意できない。そんな中、忠兵衛の友人、八右衛門が梅川を身請けしたいと言い出す。廓「井筒屋」の主人はその申し出を断った。

 すると、八右衛門は忠兵衛の悪口を散々言い立て、金がないことをあざ笑う。カッとなる忠兵衛。次の瞬間、懐に入っていた店の金を出し50両、100両と次々に封印を切ってしまう。

 忠兵衛は罪の大きさにおののき、梅川にすべて打ち明ける。そして二人は心中を決意するのだった。

 終演後、曳山の周りには多勢の観客が押し寄せ、熱演を称えていた。役者の子どもたちも大役を果たした安堵からか、柔和な表情を振りまいていた。

 この後、曳山は神社を出て、だらだら坂を下り、南北に走る目抜き通りへ。そこでもほぼ2時間おきに場所を変えながら3回、子ども歌舞伎をお披露目した。

 米原では囃子のことを「シャギリ」と呼ぶ。それぞれの山組に保存会があり、独自のシャギリが伝わっているそうだ。リズミカルなシャギリの響きが心地いい。宵宮の12日には曳山が6年ぶりにJR ⋅ 新幹線の線路を跨ぐ米原跨線橋を越えて西町を巡行した。伝統の祭り保存へ地域を挙げて取り組む熱気がひしひしと伝わってきた。

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〈帝塚山大学付属博物館〉 企画展示「眠具ーねむりの道具と文化」

2024年10月06日 | メモ

【近世の箱枕や香枕、宝船図なども】

 帝塚山大学付属博物館(奈良市帝塚山)で第18回企画展示「眠具ーねむりの道具と文化」が開かれている。近世の箱枕や陶製香枕に加え、古墳時代の玉枕、中国⋅北宋時代の陶製枕、さらには宝船図など夢に関わる資料も展示されている。(下の写真は大阪府高槻市⋅阿武山古墳出土の玉枕=復元品)

 企画展の参観は日経新聞10月5日付朝刊で「『殿様枕』とめまい」という記事を目にしたことから。国立循環器病研究センターが1月、高い枕を使っていると脳卒中の一因である突発性椎骨動脈解離の発症リスクが高まるとして「殿様枕症候群」と名付けたという。折よく「眠具」展開催中。そこで江戸時代の枕の実物を見ようと思い立ったわけだ。

 上と下の写真は江戸~明治時代の「漆塗船底箱枕」。いずれも髷や結髪が崩れないよう、高さがやや高め。下の枕は底が弧を描き髪形が崩れないよう、頭の動きに合わせ左右に揺れる。

 江戸~明治時代には化粧道具や貴重品を収納できる引き出し付きの物入れ枕も作られた。それにしても、どの箱枕もかなり高い。日経の記事によると、当時から「4寸(約12㎝)だと髪形が乱れないが3寸(約9㎝)の方が長生きする」といった説があったそうだ。

 下は明治~大正時代の陶製香枕。中に香を入れて焚くと、良い香りに包まれて寝ることができる。

 中には約1000年前の中国製も。北宋時代(960~1127)の磁州窯(現河北省磁県)の「白地劃花牡丹文枕」。牡丹の文様に透明の釉薬をかけた優美な一品だ。

 枕以外には宝船図なども展示中。京都⋅五條天神社の宝船図は舟に稲穂が乗ったシンプルな構図。この天神社の図柄が宝船図の最古のものとの説もあるそうだ。

 「聖護院門跡 宝船図」(明治時代)には帆に悪夢を食べてくれるという貘(バク)の文字、その周りには七福神を象徴するもの、例えば百足(毘沙門天)、巾着(布袋)、鶴⋅松(福禄寿)などか描かれている。企画展示の会期は11月2日まで。

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〈ナタマメ(鉈豆⋅刀豆)〉 その名は長大な莢の形から

2024年09月29日 | 花の四季

【江戸初期に渡来、若莢は福神漬け、豆は健康茶に】

 マメ科ナタマメ属のつる性1年草。原産地は熱帯アジアまたはアフリカといわれ、日本には江戸初期に渡ってきた。花は白かピンクの蝶形で、夏にかけ扁平の大きな莢を付ける。長さは通常30㎝ほどだが、時に50㎝前後になることも。その形状からナタマメという和名が付いた。英名でも「剣の豆」を意味するsword beanと呼ばれる。莢の中の豆は白または紅色。

  学名は「Canavalia gladiata(カナバリア⋅グラディアータ)」。属名はインド南部マラバール地方のナタマメの現地名に由来し、種小名は「剣状の」を意味する。若い莢は福神漬けの材料になるほか、煮物や炒め物、天ぷらなどにも用いられる。乾燥豆は煎ってお茶に。血行促進や免疫力アップに効果があるそうだ。

 今年初めて栽培に挑戦した。種子を買ったのは奈良市の小西さくら通り商店街にある「刀祢米穀店」。店頭に吊るした薄茶色の巨大なナタマメがずっと気になっていた。豆を水に漬け、膨らんで数日すると小さな芽が出てきた。それを地植え。その後つるがぐんぐん伸び、花も次々に咲いて莢もできた。ただ中には扁平ではなく、ぷっくりしたものも(写真㊤)。頂いた栽培方法のちらしには「花が咲くころ1回追肥」とあった。地植え以来、肥料も与えず植えっぱなしだったせいだろうか? 「刀豆やのたりと下る花まぢり」(炭太祇)

 

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〈明日香村稲渕〉 「案山子祭り」棚田を囲み50体

2024年09月24日 | 祭り

【テーマは「絆」 能登への応援作品数多く】

 「日本の棚田百選」や「日本の里100選」に選ばれている奈良県明日香村の稲渕棚田。その展望台や案山子(かかし)ロードを会場に、9月22~23日「案山子祭りin明日香村」が開かれた。

 主催は地元の住民や棚田オーナーでつくるNPO 法人「明日香の未来を創る会」。今年のテーマは「絆」で、主催者側製作のジャンボ案山子は石川県輪島市に伝わる「御陣乗太鼓」だった。大地震に襲われた能登地方への連帯や復興支援への思いが込められている。そばに募金箱も置かれていた。

 一般公募の作品にも能登に向けたものが目立った。輪島の有名な棚田「白米千枚田」も地震で大きな被害を受けた。『棚田を結ぶ絆』(制作者:田中一憲さん⋅智恵美さん)は輪島の市鳥トキと奈良の県鳥コマドリをお地蔵さんが温かく見守る。「同じ棚田の仲間として心が痛みます。今後、美しい千枚田が甦ることを願って止みません」との言葉が添えられていた。

 『御陣乗太鼓天高く響け』(キトラとらい塾)はのぼりに「能登の皆さん頑張れ」、『明日香より愛をこめて』(かずくん⋅ようさん)はハートに「能登」と「一日も早い復興をお祈り致します」というメッセージが記されていた。

 『渋沢栄一も応援!がんばれ、能登!』(大阪在住の4人組「陸女部」)と題した作品も。ところが能登では大地震に加え今度は豪雨災害。案山子を制作した皆さんのご心痛はいかばかりか。

 絆がテーマということで「家族」を表現した作品も数点見られた。上の案山子は『絆って家族のことだわ。』(軽費老人ホーム明日香楽園)、下は『家族の絆~誕生日祝』(植村雪子さん)。

 時節柄、パリ五輪を題材にした作品も。『絆の力で金メダル』(せせらぎの園)、『「のこたん」with エッフェル塔』(大和高田市かたらい教室)などだ。

 下の作品は上から『マリンと遊ぶ』(新川ムツ子さん)、『キキとジジ』(烏頭尾南美さん)、『私の中の百目鬼(どうめき)』(久保仁美さん)。百目鬼は百の目、顔を持つ鬼案山子で、栃木県宇都宮市大曽の伝説に登場する妖怪をモチーフに制作したという。

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〈休ケ岡八幡宮〉 社殿前のミニ土俵で奉納子供相撲大会

2024年09月17日 | 祭り

【薬師寺管主ら僧侶も参列し秋季大祭】

 薬師寺の鎮守社、休ケ岡(やすみがおか)八幡宮(奈良市西ノ京町)で敬老の日の16日、秋季大祭が執り行われた。神事に続いて、社殿の前に設けられた土俵では近畿大学相撲部の協力のもと「奉納子供相撲大会」が開かれた。

 大祭は午前10時すぎ、鮮やかな朱色の社殿の前で始まった。現社殿は1603年に豊臣秀頼によって造営されたもの。国の重要文化財に指定されている。献饌に続き巫女舞、土俵清祓(きよはらい)の儀、薬師寺僧侶による読経と続き、最後に薬師寺の加藤朝胤管主(かんす)の挨拶で1時間余にわたる神事を終えた。

 厳かな神事の後は恒例の子供相撲。近大相撲部員3人が登場し、参加するちびっこたちに禁じ手としてパンチ⋅足蹴り⋅髪を引っ張るの3点を挙げた。男児の勝負の多くは短時間で決着。ところか女児2組の対戦はいずれも約3分にわたる大熱戦に。大相撲ならたぶん水入りだろう。観客から「がんばれー」「押せー」という熱い声援が飛び交っていた。

 この後はちびっこたちと大学生の対戦。最初は小学低学年、次に高学年、そして最後は全員で相撲部員に向かっていった。締めくくったのは大学生同士のガチンコ勝負。その迫力に圧倒された。

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〈筒井順慶まつり〉 勇壮な僧形⋅武者行列が練り歩く

2024年09月09日 | 祭り

【地元の高校⋅中学の先生や生徒たちが扮して】

 奈良県大和郡山市で9月8日「筒井順慶まつり」が繰り上げられた。地元の「筒井順慶顕彰会」の主催で、今回で21回目。主会場の筒井城跡の広場で多彩なイベントが開かれ、多くの市民でにぎわった。(写真は近鉄筒井駅前で)

 筒井順慶(1549-84)は筒井城最後の城主。筒井城は外堀で囲まれた東西500m、南北400mに及び、平城式城郭の中では大和で最大規模を誇った。しかし1580年、織田信長の命で破却され、順慶は居城を郡山城に移した。

 順慶は山崎の戦いで洞が峠で形勢を眺めていたとして日和見主義者の代名詞のようにいわれてきた。ただ史実は異なり、順慶は実は洞が峠に出陣していなかったという。顕彰会は順慶を「領民第一の徳将」「状勢判断の天才」と讃える。

 順慶まつりは午前10時半、大阪堺鉄砲隊による祝砲でスタート。出陣式などに続いて「僧形⋅武者行列」が近鉄筒井駅前に向けて出発した。これまで市長が務めてきた順慶役は県立ろう学校の校長、嶋佐近役は県立大和中央高校の校長が務め、近隣の学校の先生や生徒たちが家臣などとして参加した。僧形は筒井家が元々興福寺の僧兵出身のため。

 行列の一行は筒井駅前で記念写真を撮って小休止した跡、再び城跡のまつり会場へ。行列帰着後、会場では「やまと獅子太鼓」の演奏や一般参加の水攻め合戦、堺鉄砲隊の実演などが繰り広げられた。近くの光専寺ではまつりに合わせ安置する木造順慶像が一般公開された。

(写真はまつりで曳き回された光専寺の木造順慶像を模した像)

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〈橿考研付属博物館〉 2023年度発掘調査速報展「大和を掘る39」

2024年09月07日 | 考古・歴史

【39回目、県内31遺跡の出土品を一堂に】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で2023年度発掘調査展「大和を掘る39」が開かれている。前年度の発掘調査の成果を出土した遺物やパネルなどで紹介する恒例の展示会。39回目の今展では縄文時代から江戸時代に至る県内31の遺跡を取り上げている。9月16日まで。

[珍しい太鼓形の埴輪が完全な形で!]

 田原本町の宮古北遺跡の周濠から他の様々な形象埴輪と共に見つかった。太鼓形埴輪はこれまでも今城塚古墳(大阪府高槻市)などで3例確認されているが、完形の出土は初めて。大きさは長さが約28㎝、胴部径が約25㎝。中央の穴は「成形⋅焼成のため開けられたものと考えられる」とのこと。遺跡は「宮古平塚古墳」と命名された。

[井戸の中から巨大な大甕を発見]

 奈良市の平城宮跡の南東約2キロの平城京佐京四条四坊~六条三坊の発掘調査で13基の井戸が確認された。大甕が出土したのはその一つの井戸から。須恵器で、石組みの枠内に転落した状態で見つかった。

[法隆寺参道脇の円形の植え込み、実は6世紀の古墳だった!]

 斑鳩町の法隆寺のそばにある駐車場の一角に円形の植え込みがあり、地元では舟塚古墳と呼ばれてきた。直径は8.5mほど。そこを奈良大学の学生が中心になって発掘したら、横穴式の石室が見つかった。副葬品の大刀や馬具、琥珀玉、須恵器や土師器も出土した。6世紀後半の築造とみられる。

[舒明天皇の宮殿跡に掘立柱塀の柱穴列!]

 飛鳥時代の宮殿遺構、飛鳥宮跡(国史跡)には3つの時期の宮殿遺構が重複して存在する。第Ⅰ期は舒明天皇が造営した飛鳥岡本宮。その推定地の発掘で、掘立柱塀の多数の柱穴跡が見つかった。写真は柱抜き取り穴の剥ぎ取り地層。

[若草伽藍の南を区画する溝?]

 聖徳太子が建立した創建法隆寺「若草伽藍」推定跡地の南側の調査で、東西に延びる幅約2m、長さ約16mの溝が確認された。伽藍の南辺を画する溝の可能性が指摘されている。溝からは大量の瓦類も出土。その中には焼けた瓦や壁土片なども含まれていた。

[井戸から浮き彫りされたお地蔵さんの石仏!]

 橿原市の芝ノ前遺跡は14~15世紀を中心とした墓地関連遺構。その発掘調査で新たに煮炊きなどに使う羽釜や甕を蔵骨器とする火葬墓が確認された。同時に石仏や土器が井戸や溝に投棄された状態で多数出土した。中世の墓地が廃絶されていく様子を物語るものとして注目を集めている。

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〈宝山寺〉 洋館風客殿「獅子閣」を特別公開

2024年08月19日 | メモ

【螺旋階段、色ガラス、漆喰壁┄和洋折衷】

 この建物を単独で見たら、仏塔伽藍の一つとは到底信じられないかもしれない。生駒山の中腹にあり「生駒聖天」として知られる宝山寺(奈良県生駒市)の「獅子閣」。完成からちょうど140年。国の重要文化財に指定されているその建物が8月中、日曜日ごとに特別公開されている。

 獅子閣は山門を入って本堂手前を右手に曲がった奥にある。2階建て寄棟造り(玄関は切妻造り)で、まず目を引くのが1階のアーチ状ガラス窓と玄関上部のベランダ。外観は洋館風だが、瓦葺きや漆喰壁など和風の伝統技法も見られる。

 宝山寺の客殿として1884年(明治17年)に建てられた。西洋建築として有名だった「鹿鳴館」の完成の翌年に当たる。明治初期、文明開化を象徴するものとして、洋館をまねた“擬洋風建築”が各地に建てられた。獅子閣もその一つ。横浜で西洋建築を学ぶため3年間修業を積んだ吉村松太郎という宮大工が設計し棟梁を務めた。

 玄関を入ると、板張りの洋室が広がる。すぐ右側には木製の螺旋階段。漆喰磨き仕上げの真っ白な壁面にアーチ状の扉と窓があり、扉に嵌め込まれた赤青緑の色ガラスが室内を華やかに彩る。左側には6畳敷きの日本間が2部屋。能や狂言に材を採った襖絵はいずれも江戸後期の絵師、土佐光孚(みつざね、1780~1852)の作。

 2階には10畳間が2部屋あり、上の間には床の間や違い棚が設けられていた。襖を飾るのは1階とは趣を異にする花鳥画や山水画(筆者は日本画家真嶋北光?)。天井は碁盤目状に縦横組み合わせた格(ごう)天井。ベランダからは眼下に本堂や拝殿などの堂塔を望む。

 獅子閣を後に、久しぶりに多宝塔、太師堂を経て奥の院へ。無数のお地蔵さんたちが出迎えてくれた。家族とみられる3人の男性が仏様をたわしなどでゴシゴシ磨いていた。ご苦労さまです。

 残念だったのは多宝塔などの賽銭箱に「信者様へ」と題し、こんな一文が掲げられていたこと。「賽銭窃盗事案が夜間に頻発しております┄┄夜間の賽銭献上は門衛に預けて頂きます様、お願い申し上げます」。奥の院の大黒堂には「酒⋅塩⋅穀類をまく事 厳禁します」という貼り紙もあった。

 参道で羽を休めている大きなガに出合った。羽根の目玉模様からたぶんヤママユ。虫好きには憧れの昆虫の一つだ。成虫の寿命は僅か1週間から10日ほど。この間に交尾し産卵する。相手は見つかったのだろうか。

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〈奈良市美術館〉 永井秀幸「とびでる!錯覚3Dアート展」

2024年08月15日 | 美術

【トラのイラストが手のひらを貫通!】

 奈良市美術館(「ミ⋅ナーラ」5階)で3Dアーティスト永井秀幸さんの作品展「とびでる!錯覚3Dアート展」が開かれている。平面のスケッチブックに描かれた絵が立体的に飛び出して見える作品が40点ほど。中には手のひらや甲を貫通しているように見える不思議な作品も。25日まで。

 

 永井さんは和歌山県出身で1991年生まれ。今は大阪市在住で関西を中心に各地で作品展を開いている。著書に『とびだす!3Dアートえほん ひみつのちかしつ』など。作品群は大きく①L字アート②貫通アート③平面アート――の三つに分かれる。

〔L字アート〕見開きのスケッチブックをL字型に置き、濃淡や陰影をつけながら描いたもの。筆記具は黒鉛筆のほか色鉛筆やクレヨンも使用。

〔貫通アート〕二つのイラストのパーツからなり、その一つを手のひらなどに乗せて合わせるとまるで貫通しているように。自由に手に取って体験できる。

〔平面アート〕これらも1枚の紙に描いた作品だが、陰影などによる目の錯覚で立体的に浮き上がって見える。

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〈東大寺二月堂〉 参拝客でにぎわう「功徳日(およく)」

2024年08月10日 | 祭り

【1日で4万6000日分参拝のご利益! 福引の楽しみも】

 8月9日は1年の中でも特別な観音様の縁日「功徳日」。この日参拝すると、なんと4万6000日参拝したと同じご利益があるという。十一面観音菩薩像を祀る東大寺二月堂もこの日が「功徳日(およく)」。朝早くから参拝客でにぎわった。

 4万6000日は約126年分に相当する。この日数はどこから? 一説ではお米1升が約4万6000粒であることから来ているという。加えて一生分の功徳があるとして「1升=一生」とかけたともいわれている。「およく」は「お浴」で「功徳に浴する」ことを意味する。

 参拝客にとっては福引もこの日の楽しみの一つ。灯明料(1口500円)を納めると、1口につき1枚の福引券がもらえる。午前8時半ごろ、二月堂の石段を上ると、福引引替所の前に列ができていた。

 引替所の中をのぞくと、様々な景品が三方の壁面にびっしり。正面の上段には大きなテレビや東大寺管長の色紙などもあった。福引券を1枚入手。直前の男性はたこ焼き機が当たった。もしかしたら正面の┄┄。手に入ったのは可愛いふきん1枚だった。

 二月堂に隣接する無料休憩所「北の茶屋」もにぎわっていた。入り口そばで販売していたのは名物の「およく餅」。その向かい側にはみたらし団子を買い求める客の行列ができていた。かき氷やそうめん、冷やしぜんざいなども販売。どれも100円と格安だった。

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〈奈良市写真美術館〉 「観仏三昧」3人の仏像写真約120点が一堂に

2024年08月08日 | 美術

【工藤利三郎⋅入江泰吉⋅永野太造】

 入江泰吉記念奈良市写真美術館(奈良市高畑町)で、奈良を拠点に仏像写真を撮り続けた写真家3人の作品展「観仏三昧」が開かれている。その3人は工藤利三郎と入江泰吉と永野太造で、それぞれ約40点ずつ、合わせて120点弱の作品が並ぶ。9月1日まで。

 タイトルの「観仏三昧」は奈良を愛し度々訪れた歌人、會津八一が宿泊した旅館「日吉館」に贈った扁額の言葉。「仏像の研究と鑑賞に専心する」という意味が込められているそうだ。

 工藤利三郎(1848~1929)は明治中期から大正時代にかけて活躍した古美術写真の草分け的存在。出身地徳島から転居した奈良の猿沢池畔に写真館を開業、19年かけて写真集『日本精華』全11巻を刊行した。奈良市写真美術館が所蔵するガラス原板は国登録有形文化財になっている。

 工藤が明治後期に撮った写真には戦後に修理される前の文化財が多く含まれ、歴史的資料として高く評価されている。展示作品にも腕や手首が欠けた興福寺の阿修羅像、光背が不揃いな法華寺の十一面観音像、解体修理前の法隆寺の中門などが。工藤は奈良を拠点に東北から九州まで足を運んだ。中尊寺金色堂の写真も展示中。

 入江泰吉(1905~92)が仏像写真を本格的に撮り始めたのは終戦翌年の1946年から。進駐してきた米軍が賠償物資として文化財を接収する、との噂話を耳にしたのがきっかけだった。展示写真には東大寺法華堂⋅不空羂索観音像の宝冠取り付け作業を終戦直後に撮影したものも。宝冠は1937年に盗難に遭い、その後戻ってきていた。1948年秋に撮った法隆寺⋅金堂壁画の模写風景もある。その翌年1月に起きた金堂火災について入江は「まさに青天の霹靂」と書き残している。

 永野太造(1922~90)は1952年に「奈良国立文化財研究所」が設立されたのを機に長年各地の文化財の撮影に携わった。小林剛⋅彫刻室長からは「仏像を単なる被写体と思ってはならない。仏師の気持ちに少しでも近付くように」と諭されたという。展示中の写真には工藤、入江作品と同じ仏像も含まれるが、撮る角度やライトの当て方などで表情が微妙に異なって見えるのが面白い。永野のガラス原板は帝塚山大学が所蔵している。

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〈奈良国立博物館⋅夏企画㊦〉 「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」展

2024年08月04日 | 美術

【一級の美術品を通して“祈り”の形を分かりやすく紹介】

 奈良国立博物館(奈良市)の西新館でわくわくびじゅつギャラリー「フシギ! 日本の神さまのびじゅつ」展が開かれている。東新館で開催中の特別陳列「泉屋博古館の名宝」展との同時開催で、会期も同じ9月1日まで。

 このわくわくギャラリーは子どもにも神様⋅仏様にまつわる祈りの美術に関心を持ってほしいと始めたもので、今回で3回目。展示は「お住まいのフシギ」「おすがたのフシギ」「ほとけさまとのカンケイのフシギ」など6章で構成する。

 展示品には国宝3点や重要文化財8点をはじめ一級品が並んでおり、大人にとっても見ごたえ十分。また展示品の所蔵者⋅団体は地元奈良のほか大阪、京都、滋賀、和歌山と広範。テーマに沿った特徴的な美術品展示のため、学芸員らが奔走したことを示す。

 国宝は同館所蔵の『辟邪絵(へきじゃえ)』6幅のうち『神虫(しんちゅう)』(写真㊦=部分)と『毘沙門天』、薬師寺⋅休ケ岡八幡宮の『八幡三神像』、熊野速玉大社の『古神宝類のうち桐蒔絵手箱および内容品』。

 『辟邪絵』は邪悪な鬼神を懲らしめ退治する様子を描いたもの。『神虫』は蚕の成虫の姿をした神様で、「災いをもたらす鬼を朝に三千、夜に三百も食べる」という説明が添えられていた。『八幡三神像』は平安初期の木彫で、中央に僧侶姿の八幡神、右に神功皇后、左に仲津姫命が鎮座。僧形の神像が神仏習合を象徴的に表す。

 重文『東大寺大仏縁起』は東大寺の僧侶祐全が室町時代の1536年頃に描いた。風神と雷神、龍神が大仏殿を建てるための材木をスムーズに運べるよう協力している様子なども描かれている(写真㊤=部分)。

 重文では奈良⋅往馬大社の『生駒宮曼荼羅』、大峯山寺の『蔵王権現像』、談山神社の『沃懸地太刀』、和歌山⋅丹生都比売神社の『金銅琵琶(伝平政子奉納)』などもある。他には奈良⋅矢田原第三農家組合所蔵の『富士参詣曼荼羅』、大阪⋅本山寺の『宇賀神像』、奈良⋅西笹鉾町自治会の『三社託宣』なども展示中。

 この美術展は高校生以下(18歳未満)入場無料で、来場者にはクイズ形式のワークシートを配付している。会場の一角には展示品の中から自由に描いてもらった作品を掲示する「お絵かきギャラリー」やお面づくりのコーナーも。

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〈奈良国立博物館⋅夏企画㊤〉 特別陳列「泉屋博古館の名宝」展

2024年08月01日 | 美術

【住友春翠のコレクションを中心に中国青銅器など80点余】

 奈良国立博物館(奈良市登大路町=下の写真)で特別陳列「泉屋博古館の名宝」展が始まった。泉屋(せんおく)博古館は住友家伝来の美術品の保管⋅研究⋅公開を行う施設として1960年、京都市左京区鹿ケ谷に開設された。現在はリニューアル工事中で、再オープンは来年4月の予定。

 この展覧会には「住友春翠の愛でた祈りの造形」という副題が付く。春翠は住友家第15代住友吉左衞門友純(1864~1926)の雅号。泉屋博古館の収蔵品は青銅器や書画、西洋絵画、陶磁器、茶道具、能面など約3500点に及ぶ。春翠の収集品はそのコレクションの中核を成す。

 

 展示は第1章の「中国青銅器―春翠の情熱」と第2章の「仏教美術―春翠の審美眼」で構成する。青銅器には紀元前14~11世紀の殷の時代やその後の西周の時代のものが多く含まれる。

 古代青銅器に多く見られる文様が怪獣を正面から見た姿を表したもので「饕餮文(とうてつもん)」と呼ばれる。殷代の酒を入れる容器『饕餮文方罍(ほうらい)』はつぶらな愛らしい目の造形が印象的。『犠首方尊』も同じく殷代の作。方尊の「尊」の文字は両手で酒甕を捧げ持つ様子を表すという。

 青銅器では『虎鎛(こはく)』というバチで叩く西周(紀元前11~10世紀)時代の打楽器や西周~東周時代の鐘、前漢(紀元前2世紀)~唐(8世紀)の銅鏡6面なども展示中。銅鏡のうち『画文帯同向式神獣鏡』(後漢3世紀)は重要文化財に指定されている。

 仏教美術の展示品では『線刻仏諸尊鏡像(瑞花鴛鴦八稜鏡)』(平安時代)が国宝。流れるような繊細な線刻で、中央の如来坐像を6体の諸尊が囲む。販促ちらしを飾るのは朝鮮⋅高麗時代の優美な仏画で重文の『水月観音像』。落款から徐九方の筆で制作年も1323年と判明している。

 

 『毘沙門天立像』(鎌倉時代)は京都⋅青蓮院旧蔵と伝わり、作者は快慶の弟子筋という説も。像内に62枚の画像が納められていた。上の仏像は重文の『阿弥陀如来坐像』(平安時代)。春翠の長男、住友寛一(1896~1956)が入手し、その後、泉屋博古館から奈良国立博物館に寄託された。会期は9月1日まで。

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