く~にゃん雑記帳

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<橿考研付属博物館> 特別陳列「迎春の祝事―酒と宴」

2023年01月04日 | 考古・歴史

【出土した土器の形や木簡などから辿る】

 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で年末年始に合わせた特別陳列「迎春の祝事(ほぎごと)」展が開かれている。テーマは「酒と宴」。縄文・弥生時代から古墳・飛鳥・奈良時代の出土品を中心に、酒と宴にまつわる遺物を選んで紹介している。会期は1月15日まで。

 縄文時代の出土土器は煮炊きに用いられたとみられる口が大きい深鉢や浅鉢形が一般的だが、中期後半以降、様々な形状のものが現れる。その中には細い円筒状の注ぎ口が付いた「注口(ちゅうこう)土器」もある。器面に文様が施され、丁寧な仕上げなものが多い。大和三山の一つ、畝傍山の東南に位置する橿原遺跡(橿原市)から出土した縄文晩期の注口土器(写真㊤)は重要文化財に指定されている。細い口から注がれていたのはさて?

 弥生時代の主要な器種は壷や甕、高杯(たかつき)だが、中期になると水差形土器や細頸壷、把手付き鉢など多様化が進む。一町(新沢一)遺跡(橿原市)出土の台付き水差形土器(写真㊤)は器面全体に施された美しい文様が目を引く。こちらも重要文化財。酒石酸(澱=おり)などが検出されないため中身は不明だが、何か特別な液体が容れられていたに違いない。

 古墳時代に入ると、5世紀ごろ朝鮮半島から堅牢で透水性が低い須恵器を作る技術が伝わった。「はそう(漢字は「瓦」の右に「泉」)」と呼ばれる須恵器は大きく膨らんだ胴部に丸い孔が穿たれており、その孔に竹などを差し込んで注ぎ口として使われたとみられる(写真㊤は橿原市の土橋遺跡出土)。古墳時代の須恵器では平たい水筒のような提瓶(さげべ)や蓋付きの小さな壷が4つ付いた「台付子持壷」なども出土している(写真㊦)。

 飛鳥時代になると日本書紀の記述や木簡などから、酒と宴の実態が浮かび上がってくる。飛鳥宮跡(明日香村)出土の木簡に記された「須弥酒」は上澄みを集めた酒のことで、当時の酒の中でも特別な酒だったと考えられる。飛鳥京跡苑池出土の木簡には酒や酢を管理する「造酒司」の名前も記されている。

 奈良時代には平城京などで酒に関する遺構や遺物が多く見つかっている。「酒器」墨書土師器の杯(写真㊤)もその一つ。三条大路の北側溝からは「一升一合」と記された墨書須恵器壷(写真㊦)が出土した。唐招提寺境内からも底面に「二合半」と書かれた須恵器の椀が見つかっている。量り用の枡として使われていたのだろう。ただ、それらの容積から当時の1合は約80㏄で、今の1合(180cc)の半分弱だったことが分かった。

 会場には橿原遺跡から出土した大きな六角形の井戸枠も展示中。高さは横板組み4段で90㎝だが、本来は7段で182㎝だったと推測されている。22基の井戸が確認されている橿原遺跡の中でもこの六角形の井戸は異形の存在。古代の多角形の井戸は藤原京の五角形、平城京の八角形など数が限られることから、橿考研では「祭祀用井戸として酒造りの水をこの井戸からとっていたのかも」と推測している。

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